yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

山川健次郎の講義風景

2008-05-11 06:58:52 | 歴史

明治時代、元会津藩士でエール大学から帰朝した山川健次郎は東京帝国大学物理学科で教鞭を執っていました。<o:p></o:p>

お雇い外国人教授から日本人教授に順次、教授が交替している時代でしたが<o:p></o:p>

講義は英語で行われました。<o:p></o:p>

学生の数は少なく、数人でした。山川は学生が1人の時でも、少しも手を抜くことな「熱学」などを講義しました。大声で、あたかも軍隊を指揮するかのように激しい声だったとのことです。いつも時間には正確で、始業の鐘が鳴り終わらぬうちに姿を現し、<o:p></o:p>

終業の鐘が鳴ると同時に講義を止めました。<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

打つ鐘のあとより入る山の川 声ぞ積もりて熱となりぬる<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

百人一首の陽成院の歌<o:p></o:p>

筑波嶺(つくばね)の峯より落つるみなの川 恋ぞ積もりて淵となりぬる<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

をもじって学生が作ったと言われています。まさにぴったりでした。<o:p></o:p>

山川健次郎は田中館愛橘、長岡半太郎らを薫陶し、後に白虎隊総長と言われました。<o:p></o:p>

                   星亮一著『山川健次郎伝』平凡社<o:p></o:p>

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 振袖火事 | トップ | 五高教授 秋月悌次郎 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

歴史」カテゴリの最新記事