yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

七福神

2020-09-19 05:45:40 | 文化
七福神を宝船に乗せた日本的な絵(写真 下)が江戸時代以後に流行しました。
七福神(しちふくじん)とは、福をもたらすとして日本で信仰されている七柱の神です。七柱は一般的には、恵比寿、大黒天、福禄寿、毘沙門天、布袋、寿老人、弁財天とされており、それぞれがヒンドゥー教、仏教、道教、神道など様々な背景を持っています。
唐末の乱世に、明州(寧波)付近の岳林寺に籍をおく契比という奇僧がいました。いつも袋を背負ってあたりを乞食してまわったため、人々から「布袋」とよばれました。ところが、死後、この僧は弥勒菩薩の化身だったという人があらわれ、その生前の姿を鋳(い)て、寺に寄進する人も出、大いに流行しました。中国の民間信仰である道教は、仏教とも習合していました。弥勒を布袋さんとして福神にしました。道教は現世利益の体系で、福と禄と寿という三大希求をもっていて、この希求から頭が長くて体が小さく杖をついた福禄寿という神がつくられました。別に寿老人という神もつくられました。

これらの福神に対して毘沙門天は唯一武装しています。
毘沙門天(びしゃもんてん、梵名: ヴァイシュラヴァナ)は、仏教における天部の仏神で、持国天、増長天、広目天と共に四天王の一尊に数えられる武神であり、四天王では多聞天として表わされます。また四天王としてだけでなく、中央アジア、中国など日本以外の広い地域でも、独尊として信仰の対象となっています 毘沙門天は民間での信仰が広まると、とても多くのご利益がある神様として祀られるようになりました。そのご利益は、商売繁盛、金運、財運向上、武運長久、勝運、開運長久などがあります。

弁財天は七福神の中では紅一点。古代インドで、ガンジス川などの大河が神格化されてこの女神になりました。豊穣と技芸の神であり、やがて福徳の利益をもたらす徳をも兼ねました。

七福神は、ほとんどが異国の神です。その中にあって、なにやら日本的な風貌をもつ神として大黒天があります。ところが、この大黒天、もとはインドの神でした。インドにあっては三面六臂、忿怒相で、髪が逆だち、全身は黒い。平安時代初期、最澄が渡唐して請来し、叡山の政所の大炊屋(台所)に安置するうち、諸国の寺々もこれにならい、ついにはひろく台所の神としてあがめられるようになりました。途中、日本神話の大国主命と習合し、容貌もにこやかになり、江戸期、打出の小槌をもって二俵の米俵に乗るという姿になりました。恵比寿、大黒と併称されます。インドや中国という異国由来の神でもどんどん受容する、いかにも日本人らしい行動パタ-ンの結果ともいえます。

 司馬遼太郎「この国のかたち 三」文春文庫






         
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
«  士 | トップ | 新井白石の父 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

文化」カテゴリの最新記事