yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

日本学術会議

2020-10-28 06:46:26 | 文化
日本学術会議の意義について、元京都大学教授の永田和宏氏の論考を次に紹介します。

(前略)国にとって、なぜ学術会議は必要なのだろう。そもそも学者や研究者の役割とは何なのだろう。答はすぐに返ってきそうである。理系の場合なら、まだ明らかになっていない現象に原理を見つけ、病気の原因や治療法を見つけ、新しい技術によって生活の質を高めてゆく。イノベ-ションという言葉に代表されるように、世界を前進させ、開いてゆくミッションを持つのが学者・研究者である。いわば社会の、世界の、<前衛>としての役割がまず求められている。と同時に、社会の<後衛>としての役割を担うことも、学者としての重要な使命であると、私は思う。
<前衛>として社会をどんどん前進させるのが学者の喜びであり役割だが、同時に社会の<後衛>として、ここまでは許せるが、この一線は決して踏み越えてはならないというところに、常に目を光らせ続けること、それは<前衛>たるに勝るとも劣らない大切な学者の使命なのである。人文社会系の学者だけではなく、理系の学者においてもこれは然りである。
ここで大切なことは、社会の発展に資するような大きな発見や理論構築、分析などは研究者の個人的な努力や研鑽によって成し遂げることが可能であろうが、社会が、そして政治が踏み越えてはならない一線に対して警告を発するのは、個々の学者だけでは無力だということだ。国家権力にとって都合の悪い声明・警告は、個人としての研究者の発する声だけでは無視されたり、覆い隠されたり、ある場合には、歴史が示すごとく弾圧されたりしやすいのである。日本学術会議が、<学者の国会>として存在する意味はそこにある。それぞれの専門知を持って集まった学者が多面的な議論を戦わせつつ、なぜこの一線を踏み越えてはならないのか、それをそれぞれが積み重ねてきた研究による<知>の集積として理論化する。個々の専門知が、総合知としての見解を表明できるのは、学術会議という場があるからこそなのである。


 


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする