「太平記」では、後醍醐天皇は正統な君主、足利尊氏は敵役、新田義貞は脇役という印象があります。新田義貞は損な役を引き受けさせられています。新田義貞と足利尊氏は共に清和源氏の嫡流であり、源義国の雲孫(うんそん、8代後の孫)です。義貞は、北条高時を破って鎌倉幕府を倒した功により、後醍醐天皇の建武の新政の中で要職につきました。しかし南北朝の対立の中で次第に居場所を失い、足利尊氏に圧迫され、越前で戦死しました。義貞は、血統良し、性格良し、策謀できない、という日本人好みの愛されキャラクタ-でした。徳川氏も、清和源氏の家系の新田氏を重んじて、新田氏の子孫と称しました。越前の義貞の墓所(称念寺)の門前に10年住んだ武士が明智光秀ですが、同じ源氏(土岐氏)の光秀が、天下を望んで、織田信長を本能寺に倒したのもむべなるかな、とも言われます。
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