yoshのブログ

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邪馬台国 所在地 論争

2013-11-09 06:22:45 | 歴史
日本の歴史において「邪馬台国が日本のどこにあったか」については、多くの人の間で論争が続いています。
さて、「邪馬台国の女王は卑弥呼」とよく言われますが、この表現は厳密には誤りだそうです。卑弥呼は、倭の国の首都・邪馬台国の女王ではありますが、倭の君主というのが正しいようです。
邪馬台国の所在地については、北九州説と畿内説があります。
近年の考古学の知見は、邪馬台国畿内説の確定に向けて一手一手と駒を進めている感があります。ただ将棋と違って、「完全に詰め切ることはできないだろう」と、考えられています。なぜなら、邪馬台国は、根本的には文字資料に基づく文献史学の問題であり、物言わぬ土中の非文字資料を扱う考古学では、最終的には決着できないからです。纏向(まきむく)遺跡群の傍らに、3世紀中頃に築造された巨大前方後円墳の箸墓を、女王卑弥呼の奥津城とみる考古学者も多いのですが、墓誌銘をもたない日本列島の古墳で、被葬者の個人名が完全に判明することはありえません。つまり邪馬台国所在地論争は、勝負がつきそうに見えて永久に詰まることのない将棋の攻めと守りを繰り返すように、いつまでも続いていくでしょう。

   松木武彦 「邪馬台国所在論争は決着がつくか?」 學士會会報 No. 902
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