yoshのブログ

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旧制高校には夕陽が似合う

2011-04-22 06:00:22 | 文化
「記念試合」という佳作に出会いました。なお、この本を基に「北辰斜にさすところ」という映画も作られました。「北辰斜にさすところ」は旧制第七高等学校を代表する寮歌です。
旧制高校は高等学校令(1894年および1918年に制定)に基づいて設置され、1950年まで続いた高等教育を行う学校でした。中学校を卒業した後に旧制高校に入り、3年間修学したあと大学に進みました。また現代の高等学校とは性格が異なり、大学の予科という意味もありました。ナンバースクールというのが次の学校です。
第一高等学校  東京
第二高等学校  仙台
第三高等学校  京都
第四高等学校  金沢
第五高等学校  熊本
第六高等学校  岡山
第七高等学校  鹿児島
第八高等学校  名古屋
上記とならんで、札幌に北大予科がありました。

ナンバースクールのほかに地名をつけたネームスクールがありました、山口、新潟、松本、松山、水戸、山形、佐賀、弘前、松江、浦和、静岡、高知、広島、旅順、富山高等学校などです。
高等学校の多くは全寮制でした。毎年、寮祭(紀念祭)があり、その時に新しい寮歌が発表されました。一高は自治、三高は自由を標榜し、他の旧制高校にも独自の理念があり、青年達は学生時代を謳歌したようです。ストームなどの馬鹿騒ぎもやったのですが、概して街の人達は、将来のエリートである高校生には寛容であったようです。
高校では、「天才的な馬鹿になれ、馬鹿の天才になれ!」とも教えられ、小賢しい秀才は軽蔑され、誇り高い武士道の精神に生きたということです。長じてもストームなどという悪癖を止めない人もいたそうですが。桐島科学技術庁長官に同行して渡欧した本田一氏などは、越中ふんどしでレマン湖に飛び込んだり、赤の広場でふんどし一丁になったところでKGBに逮捕されたというような武勇伝をもっています。
今やこうした旧制高校の最後の卒業生も80歳を越えたと言われています。旧制高校は日本の夕陽、高校生には夕陽が似合う、と回顧する人もいます。
山田博正 「夕陽」   学士會報
室積光  「記念試合」 
コメント
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