yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

斉明天皇

2010-09-18 07:40:35 | 歴史
先日、奈良県の牽牛子塚古墳(けんごしつかこふん)の発掘調査により、ここが斉明天皇の墓とほぼ断定されました。斉明女帝は舒明(じょめい)天皇妃であり、「大化の改新」を行った天智天皇とその弟の天武天皇の母で、女性ながら軍勢を率いて九州方面に出征されたこともあります。その途次に額田王(ぬかたのおおきみ)が詠んだ歌は有名です。

熟田津 ( にきたつ) に 船 ( ふな ) 乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな

この歌は熟田津で潮待ちしていた船団が、いざ出航という時に随行していた宮廷歌人の額田王が詠んだ歌で「万葉集」に採られました。天皇が全軍を鼓舞することを意図した歌と言われています。斉明天皇は、朝鮮の百済救済のために九州に赴き、太宰府の近くの朝倉で倭軍の指揮をされましたが、彼の地で崩御されました。なお斉明天皇は激動の「大化の改新」の時代を乗り切られた偉大な天皇であったと思われます。
歴代125代の天皇の内、女帝は10代8人です。すなわち、
 推古天皇(33代)、皇極天皇(35代)、斉明天皇(37代、35代皇極天皇が重祚)、
持統天皇(41代)、元明天皇(43代)、元正天皇(44代)、孝謙天皇(46代)、称徳天皇(48代、46代孝謙天皇が重祚)、明正天皇(49代)、後桜町天皇(117代)です。
女性天皇は少数ですが、推古天皇(この御世の摂政は聖徳太子)や斉明天皇、持統天皇などは、歴史上大きな存在感のあった女帝でした。

奈良県明日香村にある牽牛子塚古墳(けんごしつかこふん)の調査により、当時の天皇家に特有の八角形墳であることが確認されました。高さ4.5m、対辺の長さ22mで三段構成の石組みの壮大さが、天皇家の権威を誇示していることから、斉明天皇(594-661)の陵墓と考えられると言うことです。しかし、宮内庁は、以前から奈良県高取町にある車木けんのう古墳を斉明天皇陵に指定しており、墓誌などの明らかな証拠が出ないかぎり指定を変更しないということです。

さて、現代のヨーロッパの王国を見ますと、イギリスのエリザベス女王をはじめ、デンマークのマルグレーテ2世、オランダのベアトリクス女王、ベルギーのエリザベート王女(将来、女王になられる予定)などの女帝がいらっしゃいます。古来、王位継承を巡る争いが絶えないので、男女にかかわらず長子をもって次の王とする慣習が最近定着しているそうです。一方、日本には、明治22年に制定された「旧皇室典範」により男子が天皇になると定められています。しかし皇位継承者を確保するためにも、この見直しを考慮する動きもあると聞きます。
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