yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

競争と公平

2010-09-01 07:15:43 | 文化
ある調査によれば、日本は資本主義国の中では例外的に市場競争に対する拒否反応が強いという結果が出ています。競争を容認する人、好まない人のその理由を下に示します。
競争を嫌う人の理由
(1) 公平な競争などあり得ない
(2) 他人と比べられるのが嫌い
(3)競争が嫌い
(4)勝ち負けにこだわるのはつまらない
一方、競争を容認する人の理由
(1) 努力は報われる
(2) 自分の実力が知りたい
(3) 全体の向上が期待できる
(4) 負けるのが嫌い

上記のほかに、幸福度や充実感は他人と比較できるものではない、勝ち負けをはっきりさせることにこだわるのははしたない、競争意識を持っていても表に出さないのが品性の高い大人の態度だと思う、などがあります。

この問題、人生観や価値観が多様ですから、良い悪いを単純に結論づけることはできないでしょう。しかし、競争の無い世界は活性が乏しくなるのではないかと私は感じます。だからといって、競争の無い世界が悪いと直ちに断言できないことも明白です。

 私は、競争の功罪はともかくとして、「公平」ということが、とても大切だと思います。
努力に応じて、報われるのが公平な社会ではないかと思うからです。スポーツや囲碁、将棋
の世界は比較的公平です。これらの世界では、努力すれば誰にでも強くなる機会が与えられています。そして、より上級の試合に出場できるようになります。良い成績をおさめれば、段位やタイトルや賞金が獲得できます。また公平さを支えるためには勝敗が明快に判定できることが重要です。野球やサッカーならば得点、将棋ならば、どちらが王将を詰めたか、ですから明快です。一方、芸能や文芸、絵画、書道、華道、茶道、短歌、俳句のような文化の世界は、力量を客観的に決める普遍的な評価基準が単純明快に決っているわけではないので、公平性を保つのが難しい面があります。これらの世界では努力して才能を磨き、向上し、それが有る程度報われるという社会ではないかと思われます。死後、評価されることもままあるようです。

 詩経に「切磋琢磨」という言葉があります。
 その意味はご承知の通り、学問や修養によって自分を磨きあげる。また、友人どうしが互いに励まし合い、競い合って学問や仕事に励むことです。中国でも孔子の時代から競争しながら、自分を磨くことは意義のあることとしておりますし、これは人生に対する積極的な態度ではないかと思われます。

最後に、米国スタンフォード大学の西義雄教授の話(電気学会誌)を紹介します。「アメリカにはピンからキリの人間がいますが、ピンもキリもその程度が極端な者がいます。日本の青年が、自身では短期の観光程度の経験しか持てない、したがってピンのすごさを体験として知り得ないとしたら大変残念です。ピンの群に混じって燃焼する人生を送ることを選ばないのであったら、いささか安易に過ぎるのではないでしょうか」
 と警鐘を鳴らしておられます。
コメント
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