yoshのブログ

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終戦の詔勅にまつわる秘話

2008-09-08 07:59:50 | 歴史

昭和20年8月15日に昭和天皇の玉音放送があり、これを以て第2次世界大戦は終結しました。この時、天皇が話された終戦の詔勅にまつわる秘話があります。以下は安岡正篤(まさひろ)の逸話を書いた本からの引用です。<o:p></o:p>

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8月13日夜、内閣書記官が安岡の金鶏学院に自動車で乗りつけて、数枚の原稿を持参しました。「終戦の詔勅」案でした。安岡は原稿に朱を入れて推敲をしました。翌14日午前中の御前会議で終戦の御聖断が下され、その午後、安岡が総理大臣、鈴木貫太郎と話をしていた所、書記官長が詔書の作成で困っているから直ぐに来て欲しいと頼まれました。安岡は詔書に「万世ノタメニ太平ヲ開カムト欲ス」という一節を入れました。これは宋の儒学者、張横渠(ちょうおきょ)の「天地のために心を立つ」から始まる有名な文章の一部で、「天は何十億年という歳月をかけて天地、植物、動物をつくり、最後に人間を作った。その人間は五十万年もかけて精神や理想、文化、文明を発達させてきた。つまり、天地が発して人間の心になったのだ。その天地の心を自らの心として、万世のために太平を実現しよう」という意味です。まさに、「神に対する深い自覚」と通ずるものがあります。<o:p></o:p>

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また、その前には「義命ノ存スル所」という言葉を入れました。義命とは大義名分よりもはるかに重いもので道徳の至上命令に当たります。内心に深く耳を傾ければ、もはや戦争はやめるべきだ、という至上命令が聞こえてくる、というのです。ここにも天や神の声を聴くという姿勢が感じられます。<o:p></o:p>

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 後に、安岡の「万世ノタメニ太平ヲ開カムと欲ス」と「義命ノ存スル所」という添削の意図を聞かれた昭和天皇は深く首肯されたということです。<o:p></o:p>

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しかし、閣議では、「義命ノ存スル所」は分かりにくいという意見が出て「時運ノ赴ク所」に変えられてしまいました。これでは戦況が思わしくないから止める、という「成り行き任せ」の姿勢になってしまいます。後でこれを知った安岡は「国家のことは成り行き任せではいけない」と怒りました。近衛文麿に<o:p></o:p>

代表されるような「神に対する深い自覚」もなく「成り行き任せ」の指導者たちがもたらした結末がこの終戦でありました。       (以上は引用)<o:p></o:p>

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この逸話一つによっても、安岡正篤の深い学識と品格の高い見識を知ることができます。さらに、それを御自身のこととして正確に認識された昭和天皇は誠に偉大な方であったと思います。<o:p></o:p>

コメント
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