陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。

「夜の眇(すがめ)」(三十四)

2009-09-30 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空

姫宮の館に、家なき子を連れ帰ると、女中たちは大騒ぎになった。
まず、千歌音が姫子ともども巫女装束すがたでうっかり帰還してしまったことである。ほんらいは、大神神社に寄って着替えるべきなのだったが、大神の老神官と下働きの通いの下男下女しかいない大神家では、赤児を連れ込んだところで、どうすることもできないのは自明である。千歌音の隣にいたのが、あの絵占いの巫女であり、かつ、お隠れ島で刑死したとか、先ごろの村を壊滅させた巨神(おほちがみ)に踏みつぶされてしまったのだろうとか、とかく散々に噂されていた張本人だけに。幽霊ではないのか、祟りではないのか。ある者は一瞥して薄気味悪がり、また、ある者は姫子を奇跡の生還だと褒めたたえた。とくに、かねてから姫子の擁護派であった来栖川子爵の喜びようったらなかった。姫子は多くを語らずに、薄く苦笑いしているだけである。

さらには、そのふたりのほかに、ちいさなおまけ坊主がついてきたことである。
またあの千歌音お嬢さまのお友だちが、迷惑なものを拾ってきて、と小言をこぼす者大勢。なにせ、姫子はそれまでに捨て猫やら捨て犬やらをかってに預かってきては、この邸に置いて帰ることもあったのだ。何匹かは女中たちの伝手(つて)で引き取られることが多かったのだが。姫子じたい、私が拾ってきた仔犬のようなものだけれど、と千歌音は内心思ったものだ。

さっそく、侍女の一人に命じて、お湯に浸からせ、産衣を与えて、乳をふくんだ粥を与えた。
ほんとうは、こうしたささやかな面倒ごとは乙羽を頼りたかったのだが、珍しく外出しているとのことだった。乙羽なら事を大きくせずに、秘密裏に世話してくれるだろうと高をくくっていたのだが、当てが外れてしまった。赤児は食欲旺盛で、さいわいに傷ひとつなかった。魔の気配に脅かされる心配がなくなったのか、すやすやと眠りこんだ。

藤で編まれた揺りかごの中で、繭に包まれた神聖なもののように、その小さなものは眠る。見下ろしながら、姫子がささやき声で話すには、

「この子もわたしと同じ。産み落されて、結界につかわれていたんだわ。でも、生命力が高かったから、生き残ったの。この子の純粋な渇望は、多くの失望を呼び寄せて、あの魔の巨神(おほちがみ)を生み出してしまったの」

その言葉に、千歌音はやすやすとは相づちを打てなかった。
それは、一歩間違うと、姫子だってあの巨神(おほちがみ)の種にされていてもおかしくはなかったということだった。巨神に呑み込まれないために、彼女はこころを石にするしかなかったのだ。だが、それ以上に、千歌音には今回の試練で悟ったことがあった。

負傷した左手は、姫子が細く裂いた晒(さらし)を巻いてくれた。
その傷口だけは、心配する侍り女たちをよそに、姫子が手当てをするといって聞かなかった。酒で傷口を洗ったのち、熱湯で煮沸したアロエの葉肉を薄く伸ばして貼ってくれた。晒をひと巻するたびに、きつくない?と尋ねてくれる姫子に、千歌音はなんだか嬉しくなった。倒れたり、臥せったりを繰り返してばかりいるこのふたりは、ずいぶんと、互いをいたわる処置を学んできた気がするのだった。自分のからだに病巣や傷口を蓄えた者は、それだけの治しかたについて身をもって知っているはずだった。その傷に甘えないだけの魂の強さも。

気力で治癒するものでもないだろうが、早く治れと祈らずにはいられなかった。
もう片方の手があるとはいえ、姫子と手を繋げられないのはなんだか寂しい。姫子の手には、介抱の必要な傷は見当たらなかった。千歌音が自分の手の甲につけられたものの意味を知るのは、まだ先のことである。そして、その夏が姫子と過ごした最後の夏になることも、まだ知らなかった。



ジャンル:
小説
この記事についてブログを書く
« 「夜の眇(すがめ)」(三十五) | TOP | 「夜の眇(すがめ)」(三十三) »
最近の画像もっと見る

Recent Entries | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空