陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。

美術館でも写ルンです

2018-05-26 | 芸術・文化・趣味・歴史

大阪府堺市には駅から直通、徒歩3分以内という驚くべき場所にミュージアムがある。
徒歩3分は公式発表だが、私の実感では、徒歩1分といってもいい近さ。最寄り駅はJR阪和線堺市駅。都会人には駅近があたりまえなのかもしれないが、とにかく、地元の美術館というものが、車で一時間以上もかかるような、海際か山上にある田舎で育った身にとっては、かるくカルチャーショックだったのである。私の出身県では、百貨店のなかにもミュージアムはなく、しみったれた地元画家の絵売りギャラリーがあるだけだ。

「堺市文化館 堺アルフォンス・ミュシャ館」と称するその施設は、私が覚えているかぎりは、その名でなかったように記憶する。与謝野晶子の展示室があり、むしろ、それが主流ではなかったか。現在、与謝野晶子の展示室は、どうやら、「さかい利昌の杜」(2015年開館)へ移されたのだろう。こちらは、おなじく堺出身の茶人・千利休の記念館をも兼ねている。どちらも商家の出で、名だたる文化人。天下の台所といわれ、算盤勘定に巧みな大阪らしい。

学生時代、その堺市文化館でアルバイトをしたことがあった。
といっても単発の、わずか数週間の、受付と監視員。当時、1階は市民ギャラリーになっていて、地元のすこし有名な画家の水彩画を展示していたはずである。客はほとんどおらず、おそろしく退屈だった。同級生のなかには、奈良の国立博物館などの派手な展観のアルバイトをしている人がいて、そちらは賑わっていて忙しかったという。日本美術史の教官に頼み込まれてやったのだったが、開始1時間で後悔した。ゆいいつの役得は、館職員のお姉さんからお菓子の差し入れがあり、2階以上にある与謝野晶子やミュシャの展示物が無料で拝見できたことである。

そのミュシャの展示物を眺めていると、どこからかシャッター音がした。
白人女性がガラスケースに向かって、一眼レフのレンズを向けていた。すでに勤務時間外だったが、余計な義憤に駆られた。私のカタコトの英語が通じなかったのか、私服で監視員っぽくなかったせいか、それとも、不服だったのか。白人女性は驚いた様子で側を離れた。欧米人の観光客が、アーネスト・フェノロサやラフカディオ・ハーンよろしく、知的で冷静とは限らない。大阪南港の天保山ミュージアムでは、最前列で鑑賞中に、大きなリュックサックを背負ったままの白人男性に背中を押されてどかされたこともある。あとでミュージアムの職員に確認したのだが、やはり、館内では撮影禁止なのだという。

あるブログさんを見ていたら、横浜美術館で開催中の、英国テート・コレクションよりの「ヌード展」で、写真撮影可能の美術品があるという。
許可されたのは、オーギュスト・ロダンの大理石像《接吻》。この作品はロダン関連書籍ではかならず掲載されているのでご存じない方はいないと思うが、日本初公開にして、撮影許可とは恐れ入る。大理石像だから保管上、フラッシュを浴びても、さしたる問題はないのだろう。彫刻作品を手で触れられるギャラリーもあるし、野外展示のモニュメントなどは撮り放題なので、この措置は必然おかしくなかったともいえる。

地元の県立美術館でも、最近、展示作品の写真撮影できる専用コーナーを設置したと聞く。
期間限定での有名画家の油彩画一作のみで、著作権保護期間が切れた作品に限り、三脚やフラッシュの使用は認めない。こうした撮影解禁の流れは、ここ近年、全国各地の美術館・博物館で生じているらしい。来館者から撮影希望の声が多く寄せられ、ミュージアム側も来館者増を期して踏み切ったということらしい。海外の観光客の来日ラッシュも影響しているだろう。ルーブル美術館や大英博物館など、世界に名だたるミュージアムでは撮影は許されているところが多い。東京国立博物館や国立近代美術館でも、すでにかなり前から、常設展示について基本許可を出している。

しかし、作品に多くの人が群がって、スマホや携帯電話を掲げている姿は、なんとも奇異に映る。
来館者が撮影してSNSなどにアップすれば、それはすばらしい集客効果にはなるだろう。だが、それは、ほんらいの美術鑑賞とはやや別の趣きをもった見方にならないのだろうか。美術品は実見してなんぼ、実物のマチエールやボリュームなどを体感できるのは、作品を前にしたその瞬間のみ。自身のインスタ映えやツイッターの評価数をもくろんで撮影する気持ちの前に、その作品を丁寧につくりあげた美術家の想いはくみ取られるのであろうか。

来館者が手軽に撮影できる機会は、ミュージアムの懐具合を変えてしまうかもしれない。
たとえば、ミュージアムの図録や絵はがき、複製版画などの売上はあるていど落ち込むことは否めない。自宅のプリンターでいくらでも複製可能であれば、そんなもの、もはやいらない。世界で無二の逸品でさえ、自分のツイッターのアイコンにして毎日眺められる。美術品の希少価値は変わってしまうだろう。親しみやすいと言えば聞こえがいいが、どこでもお手軽に身近にあるものに、ひとはあまり敬意を払わない。正直、私などもインターネットで気軽に画像検索できることを知ってからは、遠くの美術館に足を運んで見に行きたいという欲がなくなってしまった。実見第一主義はどこ吹く風である。

第三の懸念は、美術品の警備体制の揺らぎであろう。
北条司の漫画『キャッツ・アイ』は、名画ばかりを狙う怪盗の美人三姉妹の話だが、彼女たちの情報源は、次女の恋人である刑事からだったりする。当時(昭和後期)のハイテク機器を駆使して、展示室の防犯体制を破ってしまうお手並みには、ありえないほど笑ってしまう。こんな漫画が日本で成立したのは、日本のミュージアムでは盗難事件が少なかったからといえるのだが、もし、ミュージアム館内を撮影OKにしてしまえば、セキュリティ上の問題は生じないのだろうか。日本は世界でも群を抜くミュージアムの乱立する国であるが、そこに眠る秘宝に海外の窃盗団が目をつけないとも限らない。

以上は素人考えの杞憂に過ぎないが、「秘すれば花なり」の言葉にもあるとおり、隠されて、奥深くしまいこまれて、めったと陽の目にあたらぬ非日常にあるからこそ、尊いという感情もまた芽生えるのではないだろうか。先だって、日本を代表する某有名画家の壁画が無断で廃棄された一件があったが、現物一点ものの存在感よりも、誰にでも共有されるイメージとして消費に傾いた結果、美術品はおおきくその価値の値崩れをおこす危険性をはらんでいる。もはや、この動きを誰にも止めることができないのである。作品に向き合う人間の姿勢は、つねに変わり続けている。

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