陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

ブログ12周年のこれまでとこれから

2018-10-06 | ブログのお知らせ
いつもご高覧くださりありがとうございます。
拙ブログも10月7日をもちまして、12周年となります。
今後もぼちぼちと更新しますので、よろしくお願いいたします。



***

さて、お礼はここまで。
以下、蛇足。

私がまだ学生だったとき、ある大学の先生が「人間、せめて最低10年は同じことを続けたらモノになる」と言われたことがあります。10年研究を続けて見ろと言いたかったのでしょう。私はその教えを翌年すぐに破りました。それで食べていけないことが自明だったからです。

いまの本業はまだ10年もいっていないし、あと10年続けられるかわかりません。
でも、なんらお金にもなにもならない、この趣味のブログだけはなぜか10年以上も続けました。ブログを5年以上続けたら優等生という声もあるけれど、今では気軽にツイッターも、フェイスブックも、インスタグラムもあります。情報の発信性ならば、俄然、そちらが上回りますよね。

そのブログも、2006年の開始からはじまり、とうとうこの10月で12周年です。
たぶん、このブログは、私がかつて出会った職場や、友人知人、下手したら家族よりも、自分のことをよく語り、よく装い、あるいは本心を裏切っている証言者なのかもしれません。12年前にいきおいこんでブログを開いていなかったら、今頃、もっと違う人生を歩んでいたのかもとも思い、ブログがあったからこそ色んな思想や知識に触れることも、知らなかった作品に出会うこともできたとも言えます。

10年続けたらモノになるだろうけれど、その年数で見えてくる物事の裏側もあるのではないか。ネタ稼ぎに映画やアニメを見続けていたらゆがんだ経験値だけ積んでしまい、つねに上から目線で批評しまくるようになった。時事ニュースを絡めてみるが知識が頼りない。過去記事を読み直して、攻撃的なまなざしがやたらと目に付く。当時の世相を追いかける目安にはなるだろうけれど…。ブログのネタになると思って観賞したり、日常を眺めたり、ニュースを見聞きしてしまうので、本質的に楽しめていないような気がするんですよね。自分を劇場のように演出してしまうこともあるでしょうし。

自分の頭の中身をすっきり明示できるから文章を書くのが好き、という人もいますけれど。
考え凡てを洗いざらいぶちまけることがほんとうによいことなのか、最近、わからなくなってきたんですよね。そんな煩悶を抱えつつ、このブログもひと回りしてしまいまして。

人間の細胞は7年ですべて入れ替わると言いますが、正直、12年も隔てたら違う自分じゃないかと思うわけです。6歳と18歳は違う。18歳と30歳も違う。じゃあそのあとの12年は? 12年前よりも、たしかに収入も仕事の幅も多少は増えたのかもしれないけれど、私はまだ人生上必要なことを何もわかってはいないのではないか、とも思うわけです。この12年のあいだに死にもの狂いで獲得したことや、願っても叶わずにもう諦めてしまったこともある。12年前には当たり前だと思っていた健康がとても大切なのに気付き、人間関係のささいなもつれをほぐすことの重さを噛みしめ、もうすこしがんばれば届いたのかもしれない幻の目標に恋い焦がれてしまうのでした。

そんなことを考えながら、ブログ12年目の誕生日をひそかに、嬉しいような、恨めしいような、複雑な気持で眺めてみるのでした。




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