陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

コロナで変わるこれからの世界、変わらないこれまでの生存

2020-05-23 | 政治・経済・産業・社会・法務
フランスの哲学者アンリ・ベルクソンは「持続とは変化を続けることである。変化とは、自己の中に『非自己』を取り込むことである」と語っています。
哲学の門徒ではないので耳学問ですが、素人ながらに自己解釈してみれば、生き残るためには多少の変化を受け入れねば、ということなのでしょうか。

新型コロナウイルスによる自粛要請が各地の経済に及ぼす影響は深刻です。
私も例外ではありません。収入が大きく目減りする最中、全国民対象の10万円の特別定額給付金はありがたい。でも、復興特別税みたく、所得税などにはねかえってきそうですね。赤字国債がまた増える。いただいても、納税資金としてすぐにお返しすることになります。うちにはこの申請書は届きましたが、マスクは未達ですね。マスク需要も落ち着いてきていますし。

けれど給付金があるからと、取引先から契約改悪を迫られたり、債権放棄をされたり。10万円給付を巡っては、かつて2009年麻生政権時の定額給付金を踏まえてか、DV家庭への配慮は事前に。しかし、世帯主への一括給付のために、家族間での使い道の紛争があったとか。個人事業主の夫が妻子の分まで事業につぎ込むとか、自分の趣味に使いこむとか。あるいは、子どもが10万円まるまるゲームに費やそうとするとか。ある自治体は職員から召し上げて、医療基金をつくろうとしたとか。乏しくなった懐を温かくするための支援金なのに、災いの種になろうとは。家族が世帯分離して扶養されず、各自で独立生計ならいいのだけど。

芸能人や文化関係者が声をあげたためか、この分野への支援金も。
一部の演劇界隈の人が、いつもの芸術家至上主義で、製造業界など暮らしに関わる分野を貶めて、自分たちの業界への行政支援を訴えたことには、とてもとても腹が立ちます。文化芸術は、庶民の暮らしがあってこそ余暇に成立するもの。指摘するべきは、海外のように日本の企業や文化人の大物が個々に寄付や新人育成をしないことではないでしょうか。トップとボトムで所得格差が激しい業界は、互助組合めいたものをつくって技を継承するか、余裕のあるパトロンを見つけるしかないのだろうけれども。ルネサンス期の芸術はペストのちに花開いたけれど、いまの公共の福祉が浸透した民主主義の時代と、あの時代の君主制下での文化とを一概に比較できないですよね。

学生さんへの支援金をめぐっても、賛否両論渦巻いていますね。
世帯収入が大幅に減っていたり、仕送りがなくバイトで働けなくなった苦学生向けに。留学生は日本国に貢献できる学業分野限定だとか。高卒で社会人になって納税してくれる人からすれば当たり前のことではないでしょうか。私も大学時代に親きょうだいを亡くして奨学金のお世話になりましたが、貧乏人は進学するなと言われたくないですし。学生の皆さんには、将来就職してきちんと世の中に恩返ししてほしいですよね。学生さんだけに限りませんが、仕事がないからといいまして詐欺まがいの仕事に関わったり、下衆な中身のユーチューバーやら転売やらで不当に儲けるのではなしに。

著名人が不穏当な発言をSNS上でばら撒いてのスキャンダルも目立ちます。
ツイッター上で反響呼んだ#検察庁法案に反対しますキャンペーンのせいで、廃案になった公務員の定年延長法改正。検察は警察ともども行政機関ではあるものの、準司法機関とみなす向きもあり、内閣からの独立性が問われた一件。このコロナ禍にいきおい決着させるべきではないと案を引込めたものの、定年延長していた検事総長が違法な賭けマージャンを繰り返したかどで辞職に。

政治に対する不信感はいや増しますが、そうかといって、2009年の政権交代後の悪夢を考えたり、中国含めた海外からの圧力をかんがみると、はたして…。終局、国民が望むことは暮らしと平和を守ってくれる政権があればいいということなのです。誰が首相だからいいとか、悪いとかではなしに。世情不安になったときに政治が不安定になって、海外に付け込まれるのは勘弁こうむりたいけれど。

全国の知事会で発案されたという9月入学案。
賛否ありそうですが。海外留学者にだけ有利な案で、現場教師の負担や就活や、行政上の会計年度とのタイムラグを考えると、早急にすすめるべき改革ではないですね。9月入学になったら、早生まれが9月1日(年齢に関する法律により、誕生日の前日に年を重ねるという前提のため)までになるの?! インフルエンザ流行の時期に受験シーズンにならなくていいけれど、台風真っ盛りな時期に入学や新学期はじまりのリスクだってあるのでは? 

全国高校総体も中止、大相撲も取りやめ、そして夏の風物詩たる甲子園すらも中止。
来年予定の東京五輪すらも、秋まで様子見で延期どころか中止に追い込まれる可能性も。世界中で、人びとの生きる希望や目的が奪われています。廃業になる事業主さん、離職せざるを得ない被用者。疲弊する医療や介護業界。どこの業界にいたら安全とか安泰ということがありません。

田舎者の保守派なので、おおきく暮らしや仕組みを変えてしまうことには懸念があります。
そういう私は、田舎のお年寄りが頑なに言い張る個人の思い込みを、現代の事情に照らして、あるいは法にのっとって盾突き、噛みつき、引っ繰り返し、痛い思いもたくさんしてきましたが。上京した地方人がいまさらのいまさらで、都市集中はリスクだから地方で暮らしたいという声をささやくことに、嬉しい反面、複雑な気持ちも抱いています。リスクマネジメントはリスクが起こる前に行うべきで、目の前の損得勘定で行動を変える人、育ててもらった土地を捨てる人、海外や都会ばかりを礼賛する人が、泥船から逃げ出さない覚悟で田舎で暮らしている側の気持ちに添えることができるのか。旧弊にしがみつく田舎者は、垢ぬけた都会人がもたらす変化に耐えられるのか。

そもそも、地方には、特に文系の好む事務系職種が少なすぎて魅力的な仕事がないのがネックですね。中国含め海外に製造の拠点を移したり、地方の雇用創出の場であった大手メーカーや自治体の人員を非正規雇用に置きかえたのがよくない。テレワーク推奨というけれども、公私混同つかずに労働時間の管理がしづらい業務形態の斡旋には、過重労働や情報流出のリスクがありますよね。

もともと冬場はマスク着用するし、三密な場所にも出向かないので、生活上あまり支障はありません。
買い物もさほど混雑はしていないし、物資不足にも悩まされてはいない。けれど、経済はひとつながりで、誰かの暮らしの圧迫はいずれ自分にも及んでくる。そのことを痛いほど実感します。

今後の暮らしの先行きに不安が募ります。
生き抜くために何が必要か、どこを変えて、変えないままでいるのか考えてみないといけませんね。

ベルクソン曰く──「生存するということは変化することであり、変化するということは経験を積むことであり、経験を積むということは限りなく己れ自身を創造していくことである」。慌ただしい世の中で、変わらないのは平穏無事に、無病息災で生きたいという願いなのです。


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