陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。

教養だけでは生きていけない(一)

2015-08-13 | 教育・学術・読書・子ども
司馬遼太郎原作の『坂の上の雲』の主人公のひとり、秋山真之はいわばキャリアチェンジをして成功した人物である。実兄を頼って上京し東京帝国大学進学をめざして、盟友の正岡子規とともに大学予備門に学ぶ。真之にも相当の歌人の才があったらしいが、文学部に進学した子規とは異なって、海軍兵学校へと道を転じ、海軍戦術の研究をして頭角を現したのち、士官として日露海戦を勝利へみちびく。真之は子規のような裕福な藩学者の生まれではなかったし、自分が帝大に入学したとて官僚にも大臣にもなれないことを見抜いていたのであろう。兄に学費を頼る身の上を恥ずかしいと感じ、実学的な軍人へと進路を切り替えたのである。真之の生き方は、明治維新に乗り遅れ、いまだに幕末の志士まがいの下克上を夢見て、自由民権運動の壮士となったインテリのテロリストたちと比べると、現実的かつ聡明なものであると言わざるを得ない。夏目漱石の小説にも描かれたように、この同時期、大学を出ながら無為徒食となった高等遊民たちは少なからず存在していたし、その傾向は戦後の大学進学率の上昇で、輪をかけて酷くなったと言ってよい。

文部科学省が全国の国立大学に対し、人文社会系、教員養成系の学部や大学院を主として、社会に必要とされる人材育成できなければ廃止もしくは転換を検討するように通達をしたと報じられた。税金から高額な補助金を投入されている国立大学が、社会人としての能力の無い学生ばかりを世の中に送り出して何事か、というお叱りである。よくぞ言ってくれた、という思いである。私立大学などは就職率に敏感であるから、わりあい、学生の就職活動やキャリア教育にも熱心だが、国立大学の教職員たちは公務員体質からなのか、学生たちの進路に気配りをしてこなかった。なぜなら、彼ら教官自身が実社会で揉まれて働いたことがないから、就職活動の何たるかすら熟知していないことが多い(理系の教官は民間企業からの生え抜きが多いが、文系はほとんどが博士卒の学生の延長である)。これでは、せっかく英数国理社の五科目まんべんなく勉強できる学力がある国立大学生でも、卒業時には無能になっていて当然であろう。

お恥ずかしながら、私は国立大学の、この役に立たない人文系学部に学んだ者である。
あいにく専門職に就職できなかったので、社会人としては遅い船出だったが、民間企業で働かせていただいた。現在、士業の国家資格を二つほど取得している(実務にどうしても必要だったので取得した)が、独学でのテキスト代数万円、一年以内で取得できたその資格のほうが、よほど実人生に役立っているのは皮肉である。私の場合、大学の学費を親には頼らなかったし、運のいいことに無利子貸与や給付の奨学金、学費免除、安い下宿代のおかげでなんとか学業を終えることができたのだが、高額な教育投資をしながら,それに見合ったリターンが得られないのは悲劇としか言いようがない。

大学の同級生で、いまだに他の国立大学の博士課程に在籍しつづけ、博士号も得られないまま、学生という聖域にとどまって「苦役を免除」されている人もいる。30歳を過ぎて学歴ロンダリングで高学歴を得ても、18歳時点での学校歴がすぐれなければ、大学での研究職にはありつけないという、厳しい事実から目を背けている。院生ではなく、研究生や科目履修生の身分で大学の非常勤講師をしながら、日本育英会の奨学金返済猶予を受けている方もいるらしい。奈良時代に貧農たちが、課税逃れで出家したのと似ている。30歳を過ぎても正社員の経験もないまま、親の臑をかじりつづける生き方、あまりに狭隘の、学府では高度だと思われているが、一般社会人からすれば無益に過ぎないような知識だけを頼りとしていく。それが染み着いたまま生きるということの怖さを知らずに年を重ねていく。その大半は就職もせずに、「私は高邁な理想に燃えている」「文化資本に理解がある」「自分の言論で社会を改革したい」「アーティストとして有名になりたい」というよくわからない使命感に突き動かされながら、「社畜になるのはイヤ」と言ってまともな税金や年金を払おうともせず、次世代の再生産にも貢献できない。事業主や資産家に婿入りしようとか、エリートと玉の輿結婚しようとか、作家やアーティストになろうとか、漫才師になろうとか、ギャンブルでひと山当てようとか、選挙で立候補して政治家になって周囲を見返してやろうとか、自助努力をせずに途方もない夢を追いかけながら年老いていくモラトリアムの延長学生さんたち。奨学金も返済されないので、いまの若い世代が進学したくても無利子枠が狭くて、借りられない。失礼な言い方だが、いまの中年以降の、いまだに学生気分の方々が、負の遺産を継承させているのである。そして、下手をすれば、私にもその可能性はあった。

人生の損益分岐点を間違うと、後半生で大変なことになる。
選択したのはもちろん学生本人だが、就職なんて邪道だよ、学問こそ正道だよ、と悪魔の声を浴びせて洗脳させた教員たちにもそれなりの非はあろう。キャリア教育をおろそかにして、20代の若者を小学生なみの依存心の強い大人子どもにして飼い殺してきた大学の罪は重い。昔の全共闘世代の教訓があるのか、社会は学生たちが政治に興味を持つことから遠ざけてきた。だが、しかし。こんな道にいつづけたら人生駄目になってしまうぞ、と気づけなかった学生も学生である。学部専攻選びで失敗した私も、そもそも似たようなものだ。人生をやりなおせるとしたら、ぜったいに、あの学部を選んだりなどしない。

国立、私立を問わずに大学の学生の能力について是非を訴える声は、年々厳しくなっていく。日本国憲法は学問の自由を保障し、真理の発見と探究とを本質となす学問に国家権力が介入することを禁じた。研究成果発表の自由は表現の自由にも通じ、なかんずく、高等教育たる大学においては教授会の権威拡大や、大学の自治意識を強固にした。そのため、学生を社会に必要たる人格へと育成せしめずに管理能力を怠り、しかも高校卒業程度の学力もない若者を入試のハードルを下げて囲い込み(小保方氏の一件で話題になったAO入試の悪癖)、およそ大学とは思えない低レベルな教育を施しているのが現状である。教育レジャーランドと化した大学の教員たちは、友だち付き合いのような感覚でアホ学生たちのご機嫌取りをして高給をもらっているのだから、なんとも楽な商売である。

しかし、こうしたたまたま幸運だった前世代の生き方が、これからを生きる若者には通用しない、ということにお若い学生さんたちは一刻も早く気づいてほしい。気づいた者たちは自分を変えようと努力して、泥沼から抜けだそうとする。秋山真之のように、その時代に必要とされる技術や知識をみずから修得して、したたかに社会に役立つ人材に育っていくだろう。あの時代、武士の俸禄をうしなって自分で稼げなかった者は、維新を怨みながら落ちぶれていったはずだ。

私が母校に在籍中から、大学生や院生の能力の低さは問題視されていた。そして、それをむざむざ看過してきた教育者たちの怠慢も。
二カ国語どころか英語ですらまともに読み書きできないし、討論すらもできない。国語力もなく、論文を執筆するための資料探しですら自分でできない。自分で研究テーマを見つけられないので、教員の言いなりに書いたり、同級生のを剽窃したりする。教員間、研究室間での対立も陰湿で、資料を隠されたり、学界発表で意味のないいちゃもんをつけられたり、学術誌に載せるはずの論文をリジェクトされたり、自分の弟子に盗作させたり、中身を一部わざと誤植にされたりする。就職先を斡旋してやろうかという誘い文句で、ただ働きさせたり。教授自身が学生のアイデアを横取りしようとしたり、アカハラまがいの脅迫的な言動もある。教員が平気で遅刻し、授業の準備をしていないからと雑談をして終わるような講義演習。ほとんど授業で使わないのに、高額な教科書を買わないと単位をやらないと脅す。

以上は、私が見てきた実例である。
私自身はおおらかな指導教官を選んでゆったりと研究をさせていただいので心残りはないのだが、同期生の他の研究室、もしくは他の国立大学でのありさまを実体験したうえでの感想である。大学というのはかなり閉鎖的な空間で、世間離れしていることに知らず毒されていく。まともな人ならば、早くここから抜けださないと、人間として駄目になると気づくはずである。さもなくば、その人は危機管理能力がないから、学歴関係なく生き残れないし、リスクマネジメントなき者は社会では要らない。いま、いるラクチンなこの環境はいずれ危ないぞ、という嗅覚の鋭い者だけが、生物史上、生存できたのであるからして。

大学は宗教団体と同じで、独自の自立した法規範がはたらく世界であるから、司法に裁かれることもなく、教育の美名のもとに、非人道な対応がまかりとおってきた。なかには精神病になって退学した学生もいたし、自殺した者もいた。

大学の自治の名のもとに、堕落した学生と大学教員たちが教育を腐敗させてきた。
しかし、これは組織が肥大化した大企業でもあることで珍しくはない。大学の有り難さと抱き合わせで、その馬鹿馬鹿しさを早くに知ったおかげで、学究生活からさっさと足を洗えたので、いまでは感謝の念を申し上げたいくらいだ。


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