陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。

「夜の眇(すがめ)」(三十一)

2009-09-30 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空

千歌音の言明はとどまることを知らなかった。
まるで立て板に水のように口をつく言葉の数々は、月の大巫女の魂の憑依かもしれないと、自分でさえ思ったほどである。

「絶海の孤島、雲間にそびえたつ山頂、潤沢のない砂漠、そして、いまこのような闇に閉ざされた洞窟。ひとの生気がとだえた地にあってさえ、ひとは神を見ることができました。神とは何かの答えをいまさらになって申し上げますならば、ひとにとっての断ちがたき救いであり、絶えざる希望であり、そしてまた、届かぬながらも向かってやまない光りであるのです。もし、世界でただひとり残されるようなことになっても、神がお側にいらっしゃる。それだけで励まされる。そして、私たちは神を物語り、神を伝えうけついでいくことで、ひととの結びつきを感じ取ることができ、末代にまで広げることができるのです。それがおおっぴろげな嘘であったとしても、私たちはそれを浪漫だと名づけてしまえるから幸せなのです」

──おめでたい考えだ。だが、我を語る者などおらぬ。我はつねに餓(かつ)え、美しき夢しか食わぬ。夢が熟して現(うつつ)の実となる前に喰らう。夜の瞬く間においてのみ、眠るひとの瞼をすべっていく我を、そなたらは皆、忘れてしまうであろう。

「あなた様が人のこころに棲んでいないわけがありません。月の大御神(おんみかみ)さまをお慕いする歌は多く、夜に孤独を慰められた者は、天にまします月神さまをひそかに友としたことでしょう。月の満ち欠けを眺め、私たちは親しみをこめて数多くの呼び名を贈りました。我が大御神さまほど、ひとに愛された神はおりません」

やおら立ち上がった千歌音は、ありったけ記憶をさらって語りだす。
一月睦月は初月(はつつき)、二月如月は雪消月(ゆきげづき)、三月弥生は花見月、四月卯月は花残月(はなのこしづき)、五月皐月は田草月(たぐさづき)、六月水無月は蝉葉月(せみのはづき)、…というふうに、十二の月の異名を諳んじて聞かせ、月を暦として刻(とき)を計っていたこと、美を尊ぶこの国の職人たちが月の紋様をせっせと螺鈿細工や絵画に描いてきたことなどを、縷々切々と熱弁してみせるのだった。月の大巫女の館での退屈極まりない修養が、まるで生きるに不必要などうでもよいと疎んじていたあの知識が、まさかまさかの、こんな場面で活用できるとは、千歌音には思いだにしなかっただろう。他の器用な姉巫女たちと異なって、文明開化著しいこの新しい時代の、新しい生き方にまったく馴染めずはじき出されていた、この落ちこぼれ巫女の千歌音が、いつのまにやら、誰にも忘れ去られようとした、あの月の大巫女の薫陶の最後の継承者に、うっかりとなってしまっていたらしい。あの人の死を、遺したものを忘れたくはなかった、ただひたすらその一念によって。

千歌音には、いま、わかるのである。
なぜ、あの令名高き月の大巫女が、舞いも下手くそ、祝詞をさせればしくじる、この自分に神無月の名跡を継がせようとしたのかを。月の大巫女とめでたくも血が繋がっていないからこそ、あえて後継としたのかを。穢れた姫宮の血を避けたのではなく、大神の血を選んだのだ。

「『天の原 ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも』──大陸で難破して故郷に戻るすべを失ったいにしえの役人は、踏みしめた土は違えども、空に昇る月は生まれた国と同じと詠んで、おのれを慰めたのです」
「『いま来むと いひしばかりに長月の 有明の月を待ちいでつるかな』──すぐ訪れるという恋の約束を待ち望んで、九月の長い夜を明かした女は、待ちぼうけをくらっても明け方の月が出迎えてくれたことに感謝を唱えたことでしょう」
「『月見れば 千々に物こそかなしけれ わが身一つの秋にはあらねど』──月を見ればなんとなく物悲しくなってしまいます。まるでそんな感傷に浸らせる秋そのものが自分にだけ与えられた褒賞なのか天罰なのかわからないけれど、愛おしいと思ったのでしょう」
「『心にも あらで憂き世にながらへば 恋しかるべき夜半の月かな』──政略によって帝の地位を譲らねばならなかった男は病篤く、明日をも知れない命かもと嘆く。世渡りの辛さを噛みしめるたびに玉座から眺めた月でさえ、いつか懐かしむだろうと月を恋い慕っているのです」
「その帝を退位に追いやって政治をほしいままにした男は、『この世をば 我が世と思う望月の 欠けたることもなしと思へば』と、盃に月を浸して飲み干しています。けれど、その壮健な男でさえ、おのれの尽きる死命に逆らえず、欠けては満ちる月の再生には勝つことができませんでした」
「『嘆けとて 月やは物を思はする かこち顔なるわが涙かな』──嘆いて泣き叫べばいいと月が私にけしかるのでしょうか。辛い涙を流すのは、ひとの情があるがため。恋の嘆きを月のせいにするのは、ひとの性(さが)。もし、それで月神さまがお怒りなのでしたら、私たち神無月の巫女が、いのち張ってでも神を宥め、寿(ことほ)がねばならないでしょう」

一首を除けば、それぞれ小倉百人一首に編まれた名歌であるが、千歌音の解釈はもちろん正確ではない。かなり横着に歌意をゆがめてあるのである。
ひとびとが月の変化を読みとって、気持ちをそこに映じてすばらしい歌を詠んできたことを、稚拙ながらも語りつくした千歌音は、最後にこう締めくくったのだった。

「月は、夜の底に沈んだ私たちにとっての、清らかなこころの鏡です。月が蔭ろい曇りあれば私たちも愁い、月が明るく煌々と輝けば私たちもおのずと嬉しくなります。月に託した哀しさは一人だけのものではない。この世界の夜に月がなければ、朝の太陽はあまりに眩しすぎて、耐えられなかったことでしょう。月の大御神さまが夜の世界を司ってくださったおかげで、私たちは危なげな闇にもすくわれることなく生きていくことができるのです」



ジャンル:
小説
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