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陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

今野緒雪の小説『マリア様がみてる─チェリーブロッサム─』

2025-04-06 | 感想・二次創作──マリア様がみてる

春のはじまりになったら読みたくなるのが、この一冊。
表紙からして桜に見せられた生真面目な少女。ひびき玲音さんの美しいイラストが目を引きます。この子が表紙になったのって、これきりだったのでは…? 

「チェリーブロッサム」という軽めのカタカナタイトルが、良く似合っています。桜を描いているのに、サブタイに桜とあったら、なんだか重いもの。チェリーに、可愛らしいとか、初々しいとか、そんな意味あいをかけているんでしょう。「チェリーブロッサム」は、桜の花とか桜色といった意味。けれども、サクランボの種は英語では「とるに足らぬもの」の意味。桜が散ったあとに残る実りは、終わって考えてみれば小さな悩みだっだ、そんな含みがあるような題なのかもしれませんね。

平成時代の百合スタンダードを築いた、今野緒雪先生の百合ライトノベル「マリア様がみてる」。
そのシリーズ原点となるエピソードが、今回の「チェリーブロッサム」所収の前半ストーリー「銀杏の中の桜」です。そして、後半が「BGN(バック・グラウンド・ノイズ)」。同じ時間軸のお話を、いっぽうは新キャラ目線で、片方はいつもお馴染みの主人公目線で書き分けたものです。

今回のチェリブロ、私はいつも「いばらの森」の後に読むのですが。
「銀杏の中の桜」を読んだことがある人と、そうでない人では、志摩子に対する印象って異なるものなんでしょうかね? 志摩子さんはミステリアスで、とんでもない背景がありそうな匂いがあったものだから。

今回は佐藤聖卒業後の、藤堂志摩子といずれその妹になる二条乃梨子との出逢いと親睦を描いたものではありますが。じつはこの巻では、まだ新白薔薇姉妹成立までには至らないわけですね。記憶違いをしていたので、びっくりでした。この姉妹のロザリオ授受の場面、アニメでチラ見したことがあって、すごく鮮烈な印象があったんです。黄や紅薔薇に比べると、絶対動じない強さがあるから。

では、各話ネタバレ気味の感想を。

「銀杏の中の桜」
リリアン女学園に外様入学した新一年生の二条乃梨子。生粋のお嬢様たちの言動や、古めかしい制服、女子校の雰囲気に戸惑うばかり。しかも、JKにたがわず仏像オタクなものだから、周囲になじめない。そんなある日の放課後、銀杏並木のなかにぽつんとある桜の下で、「マリア様」かと見まごう美しい少女と出会い…。

この二人の出会い、聖と志摩子、あるいは紅薔薇姉妹と比較すると、面白いかも。
聖も志摩子と出会ったのは春爛漫の桜吹雪。このとき、ふたりは写し鏡のように、同じ心を互いの中に認め、半年間のお試し期間を経てスールに。乃梨子は志摩子のことを「マリア様」と評し、ときめいてしまいます。それから、たまたま秘仏探しに訪れた寺で再会、バスでの告白と別れ、学内での逢瀬を重ねて…と、もう、このふたり恋人なのでは…と思っちゃうほど。ほんと、うるわしい出逢いって感じですよね。ドアをあけたら共倒れになって、どさくさ紛れにロザリオ押し付けちゃうようなどこぞの紅薔薇姉妹の「出遭い」と比べたら(笑)。

ところが、姉妹の予感を意識しはじめた乃梨子に、春一番のごとき大風が。
志摩子が渡した数珠をめぐって、乃梨子は新入生歓迎会のマリア祭で、とんでもない事件に遭遇してしまいます。マリア様の宗教裁判、異端審問にかけられてしまう乃梨子は、志摩子の秘密を守るべく、盾になろうとする。その志摩子は自分以外の人が迷惑を受けるのは、自分が責められるよりも苦しい。その結末はなんと、祝福をうけるべきものでした。このあたりの丁々発止の展開、武器が飛び交うわけでもないのに、なかなかワクワクものですね。罰ゲームと称して、わざとふたりきりにしてあげる薔薇さまがたも、こころ憎い。負ける人や悪い人がけっきょくいないラストへもちこんでいく、マリみてならではのストーリーの型は、ここに定まっていたとみるべきでしょう。

記念すべき「マリア様がみてる」の雑誌初掲載回。
単行本化にあたり加筆修正があったとはいえ、ほぼ掲載時どおりでしょう。このお話、最初に読んだ方、あまりの小気味の良さにほれぼれしたことでしょうね。先の読めない展開にどきどきしっぱなし。瞳子がすごく意地悪な子と思わせて、すごくいい味出していたりもします。まだこの頃だと、生意気な使い走り役といった感じなのですが。祥子も令もまだ本名すらなく、無印以後でみられる、へそ曲がりわがままお嬢様らしさや、ヘタレ黄薔薇ぶりもなりを潜め、もちろん、祐巳や由乃の存在すらも語られません。なぜならば、主人公の乃梨子が、山百合会それ自体にみじんの関心もなく、志摩子さんラブオンリーだったから! 祥子さまの美貌にもくらくらしないって、この子、どうよ。聖さまと違った意味で不敵な子だわ。

乃梨子が第一志望の受験失敗した話はのちほどの短編集であきらかにされるのですが。
滑り止めで受けた学校に拾われて、仮面浪人のようにスクールライフを送ろう、周囲と交わらず異質でいようというこの感覚、私も学生時代に覚えがあって、身につまされます。この「みにくいアヒルの子」モードを、宗教的というか家庭事情で抱えていた志摩子と、お嬢さま学校に居心地の悪さを抱えていた乃梨子とは、初対面からソウルメイトになってしまったわけですね。ロザリオ代わりではないけれども、数珠が二人をつなぐアイテムになって。

でも、志摩子、あなたね。
実家がお寺なのにシスター志望で、学園生活は腰かけ気分っていう事情を「知っているのは卒業した先輩だけ」と語っていましたが。聖さまに明かしたときってありましたっけ? 「いとしき歳月(後編)」所収の「片手だけつないで」でのスール授受の際は、志摩子は自分の抱えたものを聖さまは興味がないから語らないまま妹になったはずなのですが…。ランダムに読み漁っているので、このあたり、不明ですね。

とにかく、乃梨子のリリアンライフは、志摩子さんと関わることで楽しくなっていったことは事実のようです。
佐藤聖ほど、ひねくれてはいなかったので、表面上はそつなく付き合いできる優等生ですものね。それにしても、乃梨子、まだ90年代後半に、パソコンもっていて、趣味の仲間の年上おじさんとメールでやりとりって、どんなJKなんだ! 今だったら、ツイッターでのフォロワー関係なんだろうけど、小寓寺の住職が知らなかったあたりからすると、あんがい、タクヤくんに年齢偽っていたんじゃなかろうか、董子さんを装っていたりして?

あと、けっきょく、この歓迎会の薔薇さまの出し物ってなくて。
けっきょく、志摩子の秘密、全生徒暴露大会にしちゃうために、山百合会の他のメンバーが仕組んでいたということですね? いや、下手したらもうほとんどの生徒が、だったりじゃないでしょうか? 志摩子さん、はたして、何のために悩んでいたのやら。でも、はたからみたら小粒の懊悩、本人にとっちゃ、胃に穴があくほど精神上のブラックホールってことありますよね、若いうちは。

・「BGN(バック・グラウンド・ノイズ)」
BGMのもじりですね。いや、わかりきっていることを言いたかっただけです、ハイ。先代薔薇さまが卒業し、二年に進級、あわせて黄薔薇、紅薔薇のつぼみに昇格した由乃と祐巳。めでたく、新聞部時期部長やらカメラ小僧の蔦子さんともクラスメイトに。

ふたりの話題は、ニュー白薔薇さまこと志摩子さん。
聖さまとの記念の先らの木に通う彼女の物憂げな様子が気がかりで。頼りの元白薔薇さまはキャンパスライフ謳歌中でなしのつぶて。志摩子を救いたいなら、他の人に譲りなさいという、助言までもらいます。これって、たぶん、志摩子との姉妹締結を巡って、蓉子さまの横やりが入ったことからの皮肉でもあるんでしょうね。

その祐巳にも春の嵐の予感。
薔薇の館に入り込んだニューフェイス松平瞳子。祥子とは遠縁で親し気な様子。祐巳はとたんに閉鎖的になって、もう他の新入りなんて山百合会に不要では、等と考えてしまいます。のちの懐の深い祐巳らしからぬ考えなのですが。
祐巳にとっては姉に付きまとう瞳子は、すこぶる雑音。妹の座を奪われかねない。そんな懸念を由乃に指摘されて動揺していしまいます。のちの「レイニーブルー」騒動の発芽、ここにありですね。そのいっぽうで、祐巳は山百合会と新聞部の和解をも考えています。

令と祥子は志摩子の事情をすでに知っている模様。
そのうえで、由乃と祐巳には伏せていた。同情ではなく、無条件で側にいてくれる仲間でいてほしかったから、と。当時の志摩子に必要な友だちは、そういう形だったわけですね。佐藤聖は放置していたわけではなく、志摩子の悩みを解決することはできなかったでしょう。だって久保栞と同じ、シスター志望者だもの。

志摩子が自分の抱えた秘密と引き換えに守るもの、言い方を変えれば生贄となる存在──それが、乃梨子でした。そこで、祥子がシナリオを練り、令が乗っかって、さらにはあのトンデモ演技派少女瞳子までもが飛び入り参加の、マリア様宗教裁判プロジェクトがはじまります。

祐巳としたら渦中のひと、二条乃梨子を観察するも平凡な(というか目立たないようにしていたわけだが)下級生に問題も、志摩子との接点も見いだせない。それにしても、祐巳を手玉にとる瞳子、憎さ余って、かえって面白いですね、この子。この行動力、のちに祐巳が瞳子を凌駕するとはこのときの読者の誰が思ったでしょうか。

それにしても、祐巳瞳子がこっそりのぞく、志摩子×乃梨子の桜の下での逢瀬シーン。
もうお腹いっぱいと思ったのか、頼りになる妹分をみつけた志摩子に距離を感じたのか。祐巳は目を背けてしまいます。その寂しさを祥子さまに埋めてもらおうとするも、姉のいない志摩子の心細さを今噛みしめる。いいですね、感情の揺れが大きいけれども、やさしい主人公。あと、イケイケな瞳子をうまくあしらう令も、意外に姉の貫禄があります。

祐巳が覗き見した乃梨子の横顔は、かなり穏やかで。その志摩子を見つめるまなざしは幸せそのもの。
その頃、乃梨子はクラス内でのいたずら(犯人は瞳子)に遭っていたはずが、志摩子さんのことばかり考えて全く動じていないという。祐巳が志摩子さんの救世主になるかもと、負けを認めたほどの貫禄。

そして、祐巳も仕掛け人の祥子たちも武者震いを気隠せない程の、ドッキリ企画宗教裁判がスタート。
前半の話の裏舞台なのですが、祐巳視点で眺めると、志摩子さんの「自分を捨てて何かを得た顔」とい迷いの晴れた堂々とした姿が胸に迫ります。自分の身代わりに踏み絵にかけられたものを救うために、罪を告白した隠れキリシタンのようなもの。その美しい姉妹愛に、場内は沸かんばかりの拍手。こういう境地に、なってみたい。

で、最後は春休みに寂しかった祐巳へのご褒美としての、祥子さまからの遊園地デートの約束の取り付けが。
このネタがのちのち瞳子絡みで、引っ張るわけですが。それはまた別の物語に。

この同じ舞台をウラオモテからオムニバス式に観るという手法、マリみてというか、今野先生の他作品でもあるのでしょうが、なかなか新鮮で面白いですね。
ひとつのオリジナル話をもとに、作者自身がセルフ二次創作しているみたいで。

最後にまたまた顔出しした聖さま。
一大舞台の当事者になれなかったのに、どういう心境だったのでしょうか。祐巳と祥子のトラブルの時はちょうどいいタイミングで居合わせるので、なんだか奇妙なんですよね。でも、それが志摩子と聖とが望んだ関係だったのならばそれでいいのかもしれませんね。


それにしても、今回初登場の瞳子の存在感ときたら、すさまじいな。
新人類とか、Z世代とか、揶揄するのだか、褒めたのだかわからない言葉があるけれども。いつの時代も、若い人に驚かされることはあるもので。次は瞳子の転向ぶりが気になるので、彼女をメインにすえた巻をチョイスするかもしれません。

それにしても、マリみてシリーズは繰り返し読んでも飽きないですね。
棄てずにとっておいてよかったと、心から思いました。また、数年ぶり、数十年ぶり後の春の季節、この物語に出会うことを楽しみにしています。花のふくらむ季節だからこそ、この感動を思い出したいのです。


(2023/03/21)




【レヴュー】小説『マリア様がみてる』の感想一覧
コバルト文庫小説『マリア様がみてる』に関するレヴューです。原作の刊行順に並べています。
(2009/09/27)

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