陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。

神無月の勇者・大神ソウマの秘め力(六)

2017-12-31 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空


そろそろ結論に入りましょう。
大神ソウマは、姫宮千歌音と対立する立場なのか? ソウマは「負け犬」「咬ませ犬」なのか?
先ほどの仮説(第四回参照)に戻れば、その答えは明らかです。
ソウマと千歌音はもともと一なる存在として、姫子を好いていたがゆえに、お互いに本質的に憎み合うことはないのです。そして、ソウマは恋の鞘当てとして利用された、都合のいい存在ではありません。彼には彼なりの行動結果があり、あくまでも「三人目の主人公格」として、物語上成し遂げた進化があったのです。そのために、オロチロボや大神神社という装置が存在していたのです。

ソウマは千歌音が怪我を圧してもテニスの試合に勝とうとした強さを認めていました。千歌音も姫子との別れ際に、後を託せるのはソウマだと告げていました。ですので、本作は恋の三角関係であるけれども、実はソウマと千歌音は絶対的なライバル関係ではなかったのです。存在としてはふたりにわかれていましたが、巨悪のパワーに向かい、姫子を守り抜く勇気としてのソウマ、傷ついた姫子を慈しむ優しさとしての千歌音、というふうに、陽の巫女に向かう月の巫女たる者の願いが、分断されてしまったのではないか、と見ることができるのです。男が女を護る、という職分はソウマに課されていた一方で、ではその対価としての男が女の愛情を得る、という面においては千歌音に受け継がれてしまった。だからこそ、作中における現世においての神無月の巫女たちは、ソウマ少年を交えてのイレギュラーな運び方となってしまったのではないでしょうか。

大神ソウマがかわいそう論は裏を返せば、千歌音だけが闘わずして本命を得て、トクをしているという見方です。しかしながら、この物語の核心である千歌音の献身的な愛には、ソウマにも等しいものがあるという視点に立てば、けっしてソウマ少年は不幸ではありません。さらに言えば、彼は姫子と最終的な恋人にはなれないにしても、帰るべき家族があり、迎えてくれる家もあります。「恋人・配偶者がいない人間は負け犬である」という社会の圧力からすれば、ソウマ少年の結末は悲惨かもしれませんが、世界の保護という偉大な仕事を成し遂げたことからすれば、そのような価値がどれほどのものか、とも思うわけです。

アニメ最終話、転生した世界。
ソウマは姫子に待っていたい人が他にいると告げられ、彼女の気持ちを尊重することを選びました。自分の気持ちを無理に押しつけて、振り向かせようとするのではなく。今でいうなら草食系と言われるようなふるまいだったかもしれません。しかし、他人のものさしからみての幸福よりも、自分なりに片想いの相手の幸せを願ったうえでの幸福だとしたら、このようなきわめて善意のうえに成り立つ幸福こそ最上のものであり、ゆえにやはり大神ソウマは幸せになれる人物だったと言えるのです。

あけすけに言えば、この物語は、ふたりの思われ人に恋心を寄せられた主人公が片方を選ぶお話です。
来栖川姫子の視点から見れば、そうなります。姫子は、自分の「一番」が誰なのか無自覚でした。ソウマといくらデートを重ねても、その証拠に、姫子はソウマとは写真を撮ろうとはしませんでした。イベントを消化するけれども、想い出としてソウマと過ごす時間を残さなかった。そもそも、ソウマと過ごすたびにオロチロボが現れてしまうので、のんびり過ごすことができなかったともいえますね。もし、ソウマが打算的に自分に姫子の気持ちが向けられているかを図りたかったら、ソウマはいくらでも姫子を試すことはできたでしょうね。恋愛の駆け引きとして。でも、ソウマはそんな卑怯な男ではありません。くりかえしますが、ソウマは千歌音と、姫子の気持ちを競り落とすのを争っていたわけではありません。もし、姫子が明確にノーと言っていれば、彼はもうすこし早い段階で引き下がったでしょうが、それでもオロチ討伐に巫女側として参戦してはいたでしょう。そして、彼には「保護者としての実兄」と「恋人としての幼馴染」を失った代わりに、再生された優しい世界で理解ある義兄たちと平穏に暮らす日々が約束され、またオロチ衆としての憎悪からも、幼児虐待された過去からも解放されるのです。姫子がいつ来るのかわからない「待っていたい人」に恋心を温めつづけるのとは逆に。姫子のそれは美しいといえば美しいですが、悪くいえば、女性にありがちな「いつか白馬の王子様がやってくるシンドローム」といえますよね…。

姫宮千歌音の悲恋に比べたら、大神ソウマの失恋など軽いように思えるかもしれません。
しかし、やり方は違いますが、二人の愛情に勝ち負けもなく、重みの違いもなかったように感じられます。「神無月の巫女」たる物語は、千歌音のくるおしいほどの自己犠牲ゆえに美しい涙なくして観られない名作ですが、そのいっぽう、おのが身を捨ててまで、自分を滅してまで、自分の感情に嘘をついてまで、ひたすら愛に殉ずるような生き方がはたしてほんとうに尊いのだろうか、というのがこの作品に出逢って十年経ったいま、私個人の想いです。そこまで自分を苦しめて、痛がらせて、ほんとうに人を好きになることができるのだろうか。可哀想に思った自分の与えた分だけ、相手から過重の愛情を返してもらいたいと思ったりしないのだろうか。

原作漫画版では、「大神ソウマのいるこの世界」のために千歌音と姫子の関係に変化があったと、千歌音自身がほのめかす場面があります。もし彼がいなかったら、千歌音は嫌悪感を抱かずにムラクモに、世界を守護しはするが巫女にとっては残酷な支配神でもある、あの神機に乗ることができたのでしょうか? それは難しかったのかも知れない。となれば、やはりソウマの存在は千歌音にとっても救いだったはずなのです。

「神無月の巫女」では姫子を守る力を得られなかった千歌音は、「京四郎と永遠の空」では絶大な力をもった強靭な天使として生まれ変わります。が、その力の源ゆえに、課せられた使命と姫子へのひたむきな愛ゆえに、さらに苦しむことにもなります。力を持つが故に、逆に愛する者ですら滅しかねない。これは「絶対少女聖域アムネシアン」や「姫神の巫女」でも同様ですね。巫女たちはなお、触れあえば傷つく剣の運命を背負わされているのです。

いっぽうのソウマの転生体はといえば、もはや姫子との関係に拘泥していません。
WEBノベルの「姫神の巫女」では姫子にすら興味はないうえ、「絶対少女聖域アムネシアン」では“とある重要人物”に懸想してしまうありさまです。「神無月の巫女」の前身作であった「十字架トライングル」から比べますと、ずいぶんな変わりよう。ソウマは愛情の鎖からすでに解き放たれているといえるでしょう。勇者として世界を救うことができ、愛した人を手にかけずにも済むわけですから、ソウマは何倍も幸福なのです。たったひとりの人物を永遠に愛さねばならず、その人のために過酷な運命を背負わされる。そのような業(カルマ)から解放されること。それは、大神ソウマにとっては、なによりの至上の幸福です。

生まれ変わっても、同じ人を愛したいですか?
その人のためなら、どんな犠牲を強いてもいいですか?
姿かたちもわからない運命の相手がいつか来ると信じて、ずっと自分を磨くことはできますか?
生まれ変わった相手とやっと巡り会えたのに、他の人を愛していると知ったら、あなたは相手を許せますか?
誰にも振り向いてもらえなくとも、自分で自分を幸せにできますか?


このお話は、転生を単に賞賛しているだけではないと感じています。
その象徴が、姫子と千歌音の関係の添え星として登場する大神ソウマという存在なのです。
愛している人をぜったいに傷つけたりはしない、というのは幸せの最上級なのですから。

大神ソウマの「秘め力」とは、愛する人を傷つけることなく、愛する人を命がけで守りぬいた、ひいては地球全体をもさらりと救ってしまえた行動力です。声優・間島淳司さんの美声によって発せられた、アニメ史上類を見ないあの名言──「俺にできることはせいぜい地球を救うことぐらいだけど、お前たちのためにけじめをつけたいんだ」という台詞に、彼の信念は集約されているのです。


【了】

(2014年3月6日 記す)

神無月の勇者・大神ソウマの秘め力(目次)
神無月の巫女考察シリーズ第三弾。絶対にやってはいけない(?)大神ソウマの視点から、アニメを解釈してみよう!

★★神無月の巫女&京四郎と永遠の空レビュー記事一覧★★
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