陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

「夜の狽(おおかみ)」(十三)

2009-10-10 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空・姫神の巫女

「おろちを殺せ! おろちを殺せ! つるし上げろ!」
「いや待て! こいつを生かしておけ」
「まだ、ほんの子供じゃないか。許してあげてもいいんじゃないかい」
「だが、うちの子はこいつらの餌食にされたんだ!」
「俺の子だって、さらわれて帰ってこないぜ。なんでこいつだけ、見逃すんだ! とっちめてやらねえと腹の虫がおさまらねえぞ」
「でも、大神さまんとこの坊主だっていうじゃないか…。あんまりだよ、そりゃ」

村人たちは口々に罵り合っている。襟をつかんで殴りかからんばかりの者まで出はじめる始末。
おろち討伐のために訓練をして結成され、地下壕での避難誘導までして一致団結したはずの人びと。ひとつの嚢(ふくろ)に入ったかのような彼らのまとまった心は、いま割かれて流れ出す砂のように、あっけなく脆くも崩れ去ろうとしている。

その喧騒を打ち破ったのは、ひとりの少女の声と、大きな神の拳。

「――あなたたち、うるさいっ! すこし大人しくなさいな!!」

――ずどおおおおん! 地鳴りがして、人々の足もとがぐらついた。巨神武夜御鳴神(タケノヤミカヅチ)の振り上げた腕は、地面にのめりこんでいる。怒鳴りあっていた老若男女は、たちまち怯えに顔を引きつらせる。千歌音はいまここで、ひとのどうしようもない性(さが)を見た。人間は恐怖と力づくでしか動かない。いのちを秤にかけての欲得でしか進まない。それを否定したくとも、ときにそれだけがひとを意のままにする時がある。それは――戦場だった。戦争は鬼の顔をしてやってくるのだ、いつだって。

その粉塵の嵐が途切れた時に、陽の巫女が仁王立ちしていた。
月の巫女は困ったふうに腕を組んでいる。諍いはじめていた村人たちは、すっかり委縮してしまい、一人二人とその場を離れていった。裁定を下すのは、巫女の役目なのだ。村人たちには、それぞれの日常を取り戻す仕事が待っている。

「さてと、うるさい雑音が消えたわね。じゃあ、最後の詰めに入りましょうか」

企んだような笑いを浮かべた姫子は、真剣の鞘を素早く抜きはなった。
やおら少年の後ろに回ると、その背中をストンと蹴った。三の首がうつぶせになり、首を前に突き出す格好になる。介錯人よろしく、姫子が上段の構え。銀の刃がきらめいて、厚みのあるものを切り落とす鈍い音が――。

ああ、危ない! 千歌音を含めた誰もが、次の瞬間の血の惨劇を想像して見ちゃいられんと顔を覆う。
だが、少年の首は落ちなかった。ぷつん、ぷつん、と二つになったのは、荒縄だった。自由になった手首をぷらぷらと動かして、少年がにやりと笑う。

「へえ、なんの真似だい。こんなことをして僕が改心するとでも?」

姫子が少年の額にぴたりと指先をあてた。
それから、その指は下へおりて、そうちょうど喉もとを刺すように、そこで止まったのだった。少年の喉ぼとけのあたりには、蝶のような模様が浮かび上がっていた。

「おろち三の首、いいえ、大神万丈(おおがみまとも)に告げる。あなたに必要なのは、巨大な掌じゃないわ。高い樹の上にのぼれる手、山岩をつかむような剛腕の手があったとしても、あなたは救われない。だけどね、あたたかい手のひらさえあれば、あなたはこれから、ほんとうの自分に生まれなおすことができる」

万丈少年は何も言えなかった。かつて、このあたりを刺された痺れが走って、口が震えていたのだ。
こいつの名も「ひめこ」。けれど、あの残酷な「ひめこさま」じゃない。自分を生かそうとしている…なんて。

だが、何も応えないその態度は傍からみれば、反抗的にみえたであろう。全身の皮が固くなって剥がれていきそうな痛みがじわじわと襲ってきた。まるで蛹から脱け出すかのように。寒さのために我が身を抱くようにしている。自分は今からどうなるのだろう? この巫女に身をゆだねていいのだろうか? この巫女こそが、あのとき出会うべきヒメコサマじゃなかったのだろうか? 

「いい、大神の坊や。あなたはこれから、償いをしなければいけないの。奪ったものはその人へ返し、帰ってこない命には代わりの働き手になる。それがあなたにできる恩返しなの」

姫子は三の首の目線に降りて、話しかける。なるべく優しい瞳で、なるたけ甘い声で。
少年おろちは、傲岸にも腕を組んだままそっぽを向いている。口を尖らせたままで、なかなか、ふてぶてしそうなやつだ。だが、千歌音にはわかる。姫子は一度や二度の説得で、この頭の切れる小僧を懐柔できるとは思っていないだろう。なんどもそのこころを温めて、なだめて、そしてお腹いっぱいにさせて、そしてやっと味方にする。きっと、あの荒くれ男だってそうやって懐かせたのだ。姫子ならば、それができる。千歌音はそう信じている。

『我が息子万丈(まとも)よ。もうそこまでだ。いつまでも我を張るな。お前はやっと、わが大神家の一員になれるのだ。誰もお前を責めたりなどしない。お前が好きだった翼のついた人形も、虫も、おもちゃも、骰子もたくさん残してある。父さんがひさびさに一緒に遊んでやろう。さあ、帰ろう。誇り高き我が大神家へ――』

慈父めいた大神百太郎の言葉は、そこでぷっつり途切れてしまった。
少年三の首は瞬足を駆って入れ歯にとびかかり、それを思いきり噛み砕いた。バキリという樹脂の音が響く。並みの歯ならば、人間の歯のほうが折れるはずだった。やはり、おろち衆のからだは化け物じみている。武器をとりあげても、あの小僧に近づくのは危険だった。少年は上下半分に割れたそれを、思いきりよく蹴飛ばしてしまった。

「あなた、なんてことするの! その方は、あなたのお父様なのに…!!」

千歌音が眉を吊り上げてしかりつける。
いたずら坊主め、やんちゃが過ぎる。こいつはこれからしっかりと躾けてやらなくちゃ。
だが、その少年の顔を真正面からみたときに、千歌音はもはや二の句が継げないままにされてしまった。

少年は、しきりと泣いていた。いつから泣いていたのか。おそらく、ずっと昔からだった。
墨を流したような両目の下の痣はなんだったのか。それは、黒い涙の流れた跡ではなかったのか。瞼の周りから皮膚がかさぶたのように剥がれ落ちていく。
さっきの童じみた泣きべそではなく、狂気に満ちた鬼の貌(かお)でもなく、それは――あえて言うならば、この世のすべてをあきらめたような忘我の顔だった。泣いている? 怒っている? 嘆いている?――いいや、頬を伝うそれは、もはや涙などではなかった。顔が溶けはじめているのだった。体液が漏れて、桃の腐ったような異臭が放たれている。狂気の歯は、噛み砕いた反動からからか、顎から外れかけている。



【神無月の巫女二次創作小説「夜顔」シリーズ (目次)】




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