陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。

「夜の点(くろぼし)」(十八)

2009-09-29 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空

千歌音の知っている巫女の修練とは、いわば嫁入り前の乙女の躾のようなものであった。
読み書きを習い、神を称える詠歌や歌舞音曲を教わり、花活けや茶道に親しむ。掃除の仕方や言葉遣い、箸の上げ下げ、湯浴み、着付けの作法まで挙措振舞いをとやかく叱られ、罰として反省部屋に閉じ込められ、食事を抜かれることがありはしたが、身の安全を脅かされるほどのことはなかった。

体力をつかう鍛錬といえば、巫女舞いの採り物として用いるための神剣捌きがあるが、それはかなりの上級者に限られる。神殿などやんごとなき場所を除いては掛けっこや木登りは禁じられてはいなかったが、これは美しい舞踏の型をつくるための足腰の訓練を兼ねていた。年長者のうちの一部は護衛のために棒術を習得していたが、年少者は遊びもかねて弓矢で競いあうのが、強いていえばかつての姫宮のお社での運動らしいものであった。千歌音は見習い巫女たちのなかではさほどの落ちこぼれというのでもなかったが、しかし、飛びぬけてすぐれた身体能力を持ち合わせていたというのでもない。

しかし、ここでの巫女の修行はすべてがすべて命懸けであった。
身体を張った修行は、日々、命のやり取りをしているようなものだ。心臓が喉元へ突き上げてくるような肉体の酷使、生傷が絶えない。そのくせ、巫女らしい儀式やお作法習いは見当たらない。剣の巫女と言いつつ、手にするといえば炎の祭壇を経巡るときの幣ぐらいなものか。とりたてて変哲のない巫女装束を着ているのに、かつての巫女見習い時代と今とでは大違い。

もちろん、ここでは客分というわけではなかったので、邸内の雑巾掛けや境内の掃き掃除などの斎戒の勤めもないではなかった。
何せ、大神神社の主みずからが風呂焚きしたり、畑で野菜を育て、割烹室に入って山菜尽くしの料理を振る舞ったりするものだから、手伝わないわけにはいかない。雇いの雑仕はいるのだがまったく毎日任せきりにせず、白髯の老神官はそれを生活の義務ではなく、趣味の一環として行っていた。神前に供えるための御日供(おにっく)となる食材を調理するのも神職の務めであるから、おかしくはない。

獣肉はほとんど口にしないが、放し飼いにした鶏から産み落とされた卵を見つけると、それだけで慎ましい食膳ですら楽しくなった。天日でよく干した茸類が姫子の好物であったこともはじめて知ったが、普段はほとんど口にしない。というのも、山でよく採れる傘ぶりのいい種別が毒性あるものと判別しがたいので、あえて避けているということだった。

かつては退屈極まりない婢(はしため)仕事と思える作業のほうが、今の千歌音にはよほど気楽であった。毎日くたくたになりながら、それでも千歌音は、姫子と過ごすこの厳しい日々を諦めなかった。笹の皮に包まれた握り飯をわけあい、頬についた米粒まで笑って取り合い、竹の水筒を回し飲みしあい、ささやかな秘密を共謀しあっているようなその今に、千歌音は酔いしれていた。

姫子にいちど、生魚を前にして、包丁を渡されたことがあった。
魚を下した経験もない千歌音には、その意味が分からなかった。料理の腕を試されているわけではないだろうし、剣を握る前に包丁で刃の扱いを慣らすという腹づもりなのだろうか。息の根がある魚は跳ね上がり、口もとがたどたどしく震え、なまなましく血走った眼を向けていた。千歌音にはその魚の喘ぐ様がどうにも気味が悪く、とうとう耐えかねて包丁を放り出してしまった。

「貴女が餓えてしかたがなくて、食べるものがそれしかなくても、それを諦める?」
「わからない…。でも、なぜだか、とても怖くって」

刃物を指先でたどたどしく握ることが怖いのか、それとも、なまなましく命を裁断することが怖いのか、どちらなのか千歌音にはわからなかった。尾頭付きの鯛などいくらでも箸でつついたことがあったし、刺身だって焼魚だって嫌いではなかったのに、昨日までと今日からとでは、それはまるきり別の生きものに見えた。それは食べられるものではなく、食べられたくない意思をもったものだった。生き残るものと、死に絶えていくものとの違いは果たしてなんだろう。命の選別に気まぐれな神の手が働いているのだとしたら、ただ生きていくことは、何かの生を常に奪い続けることの連続になる…。自分が死ぬか、他が死ぬか…永遠の偶然のなかで繰り返されていく。そんなふうに逡巡していると、姫子が千歌音の腕をそっととって甘えた声で言うには、

「その子、お腹に卵がいるの。神様にお供えするのは酷だから、川に返してあげましょ」

姫子は自分の友の命乞いが叶ったかのような顔で、魚の鱗をいとおしむように撫でた。
姫子は決して殺生はしない。けれど、私が願ったら、その手でちいさな命でも握りつぶすだろうか? 生に餓えた私と生にもがく魚のどちらを選べと言われたら、そんなこと望んだら…姫子はきっと、自分の喉に刃を突きたてるに違いない。そして、私は姫子を救うためなら、人だって殺せるだろうか?────千歌音は、床に落ちている刃物を遠くへ蹴り飛ばした。そして、剣の柄を握るよりも幣を手にする方が、臆病者にはやはり相応しいのだと自覚したのだった。

魚は切り分けられずに一匹まるごと捧げられる丸物神饌であったが、その日からしばらく、大神神社の三宝には、見事な筆遣いで魚を描いた紙が乗せられていた。


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