陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。

「夜の逸(はしり)」(二十九)

2009-09-28 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空

天才科学者との一件および姫宮家の代替わりから、歳月は風のように流れていった。
天火明村は慌ただしかった冬を乗り越え、無事に新しい年を迎えた。月曜日から一年がはじまったその年、大正十二年。それは、千歌音と姫子にとっては、さらに過酷な運命の一年となる。

正月が明け、松の日も過ぎた頃であったが、姫子への療養見舞いは続いていた。
外出の多くなった千歌音は、静養していた離れから姫宮本宅に移ることができ、他の義兄君、義姉君たちとおなじく、姫宮御殿のなかにある一室を正式に与えられることになった。客分ではありながら、新当主の後見役として着々と姫宮内部で地歩を固めんとしていた来栖川日出光子爵の差配があったものとみえる。来栖川子爵は亡き千実に近かったお気に入りの義兄君、義姉君たちを遠ざけようとしていた。来栖川一族の養子であった青年を呼び戻して、わざわざ次代に据えたのも傀儡として操りやすかったからであろう。姫子に利用価値を見出しつつあった子爵が、千歌音を重用したのは思惑あってのことであろう。不要になった姫庫(ひめぐら)は閉鎖されたわけではなく、出入り自由な物置き場として利用してもよいというお達しであった。

千歌音は姫子のために薬を買い求めるべく、隣町へと足を伸ばすこともあった。
お付きの侍女を伴って人力車を走らせていた、ある日のこと。人力車が辻道で人波に呑まれてしまった。常にはない人だかりのため立ち往生してしまったのである。複数の人力俥が混み合い、狭い路次を選んで進もうとした矢先に、うっかり溝に嵌まって車輪が動けなくなってしまった。侍り女を使いに走らせ、車夫が修復を余儀なくされているあいだ、千歌音は手持ち無沙汰に周囲を散策した。

気がかりだったのは、道を塞いだその騒ぎの元であった。
大工道具の長箱を肩に抱えたねじり鉢巻きの男、前掛けをした丁稚奉公の小僧さん、母娘の親子連れ、そして海老茶式部の女学生。ポマードで七三分けにした男の背広には染みがついていて、生活の疲れが表れていたし、陰険そうな老婆もいた。多彩な顔触れの観衆が集まっている。人だかりの隙き間をうまく縫って、視線の開けた位置に潜り込むことができた。

見れば、どこぞの芸能一座なのであろうか。
派手な太鼓や笛の音。当時、町を門附して歩く演歌師たちは珍しくはなかった。複数人で、手に手に月琴や胡弓、拍子木などをもって法界節を歌う一団である。だが、正月はすでに過ぎ、そして節分の厄払いにはちと早い。食いあぐねた書生崩れというのでもない。奇怪なのはその一座の妖艶な腰つきの舞踊劇。伊達男を演じているのは女で、そのお相手の娘に扮したのは化粧をほどこした男であった。勧進、勧進と叫んで、しきりと寄附を募っている。黒染めに白抜き文字の幟が立てかけられ、そこには「おろち衆」と染め抜かれてあった。まるで白蛇を絡ませたような毒々しい文字のかたちに、千歌音は怖気を感じた。

「いま、我が八ツ島国は国難に陥っておる。内憂外患、政府は腰抜けども。したたかな異国人がいずれはこの神州を乗っ取ろうと暗躍しておろうぞ」
「おろちの神を信ぜよ! 我等は神の御遣いなり!」
「我らととも戦うものは、死してなお、極楽へ迎えられ、未来永劫超生しようぞ!」
「勧進せよ! 勧進せよ! 汝らの魂、我らが大いなる神の御元へ捧ぐべし!!」

日本の行く末の危機を煽り、さだかならぬ神への勧誘を画策する新興宗教なのであろう。
明治初期、国家が神道統制をし、神仏分離のお触れを出し、混合宗派の廃絶を目論んだものの、それでも土俗の信仰が完全に途絶えることはなかった。むしろ、姫宮神社のような歴史あるお社が消滅してしまったことにより、不埒な輩を教祖にと仰ぐ宗教組織も闊歩しやすくなったのかもしれない。

千歌音がおぞましさを感じたのは、それらの信徒たちが演技といいながら、自傷する行為に及んだことだ。
舌に刃を滑らせ、その血で文をしたため、これこそ神語ぞ、とくとごろうじろ、とのたまう。狂気にとりつかれたとしか思えない。そして、このような熱狂を、もしや、かつての姫宮神社も持ち得ていたのではあるまいか。

「──怖いですか、あの集団が。神無月さま」

ふいに横合いから声を掛けられて、千歌音は驚いた。
すらりと抜き身の刃を頬に添えられたかのような、鋭く冷たいひと声だった。自分を今は無きその名跡で呼ぶ者は限られているはずだ。もしや、あの姫宮神社の…? どなた様ですか、という千歌音の誰何を待つまでもなく、その相手から、一転やんわりした声で自己紹介をされた。

「突然のお声掛け、お許し下さいませ。今は姫宮の、…千歌音お嬢さまですね。かつて、私は限月(かぎりのつき)と申すものでございました」
「限月さま? 千季(ちすえ)姉さま?」

千歌音がさらに驚いたのは言うまでもない。
月の大巫女に仕えるべき十二の巫女、その名跡のうちの一人であるはずの「限月」。千歌音が姫宮神社を追われたときには、七人の侍従の巫女のうち、いちばん年が若い巫女さまであったはず。だが、いまのその人は当時から想像もできない格好をして、そこに立っていたのだった。



ジャンル:
小説
この記事についてブログを書く
« 「夜の逸(はしり)」(三〇) | TOP | 「夜の逸(はしり)」(二十八) »
最近の画像もっと見る

Recent Entries | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空