陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

「夜の狽(おおかみ)」(十四)

2009-10-10 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空・姫神の巫女

「君たちね、いったい何を言っているの。僕にはもう帰っていいおうちなんてないんだよ。父さんも母さんもいなくなってしまった。おじいちゃんはもうたぶん駄目だ。脳がすっかりいかれてるよ。生きながら、とっくに死んでるのと同じなんだ。そんな薄汚い入れ歯を、僕は父さんて呼んでありがたがって暮らすの? いっしょに遊ぶったって、なにをするんだ? 昔の僕が知っていた、あの退屈じみた世界はもうここにはないよ。月にさらわれて帰ってきた異星人みたいなもんだ。僕はもう、まともになれっこないんだ。僕は頭がいいんだ、それくらいの未来ぐらいわかる。ふざけてるよ、冗談じゃないよ、それに…」

泣きじゃくりながら少年は、姫子の首に抱きついた赤子をきっとばかりに睨みつけた。
そうまが怯えて、わあわあと火のついたように泣き叫ぶ。泣いているのは、そうまなのか。いや違う。これは、この少年をふくめた無数のひと柱にされて、もはやもとの人間に戻れなかった魂たちの嘆きの声だった。声を出す口すらももはや残されていない魂たちの鎮魂歌。残酷な運命が共鳴しあっている。

「それに…なんだよ。もう大神の家に後継者がいるってさ! 僕の居場所なんかもうどこにもないじゃないか! おろち衆に魂を売って、神機のひと柱にされたことがある者はね、もうすでに人間として死んでいるんだ。見ろよ、僕には命がない! 肝はもうすべて食われちまったんだからね。あの嚢(ふくろ)のなかで塩漬けにされた日から、僕の人生はすでに終わった! 僕はもう、まともな人間じゃない! ずっと、さらわれたときの十歳のままなんだ。そんな僕が、大神神社に帰って何ができるっていうんだい。みんなが大人になっていくのに、僕だけがずうっと青虫のままなんだ! 自由な手足も、飛び立つ羽すらもない! そんなみじめな永遠は、望んじゃいなかった!」

大神家の養子となるはずのそうま坊。
大神万丈がいれば、この子には居場所がなかったのだ。いや、そうま坊こそが三の首にされていてもおかしくはなかった。七の首だったあの荒くれ者と兄弟おろちとして、敵になっていただろう。

「そいつのお守をして、そいつが成長して立派になっていく横で、みんなが老け込んでいく世の中で、僕だけはずっとずっと失われた時間のまま、セルロイドの人形みたく年をとらない。永遠に子どものまま──そんな理不尽なことあってあるかい!」

少年は千歌音に縋りつくように抱きついてきた。
全身から、みるみる不気味な痣が浮かび上がっている。蛇の鱗のような痣だった。左右の眼球がちぐはぐになっている。その面相のあまりのおぞましさに、千歌音は思わず悲鳴を上げたくなった。村人隊はおそれおののいて逃げる者、武器を構えて巫女を守らんとする者。千歌音は恐怖に覚えながらも、その少年を突き放すこともできなかった。突き飛ばしたが最後、この少年は醜いおろちのまま、尊厳のない死を与えられるだろう。人間であることにあぐらをかく者どもの極上の悪意によって。だから、手放しはしない。この少年に最後に必要なものは、あたたかい手のひらーーただ、それだけなのだから。

姫子、お願い! お願い! この子に最後の夢を!
せめて、やすらかな母親の声で成仏させてあげてほしい!!

千歌音が必死に目で促すも、姫子は呆然とこころここにあらずといった感じだった。
口寄せの術で今はなき大神百太郎夫人の声を呼び出せば、この子はきっと救われるに違いない。せめて、最後の最後にやさしい母の声に導かれて、安らかな顔で逝けるだろう。ひとは死んでから価値が芽生えるのではない。どんなにもがいて、あがいて、みっともない、そんな生き様だとしても、そのひとなりの価値がある。だからこそ、どんな命の終わりにも、巫女は、巫女たる者はその尊厳をまもるべき弔いをせねばならないのだ。

姫子はそんな千歌音の様子を静かに見守っていただけだった。
取り澄ました顔をしていたが、その握りしめた拳がかすかにふるえていたのを、誰も気づかない。

ああ、もう間に合わない! この子はもうじき死ぬ。からだが崩壊していく。
千歌音はうかつにも気づかない。口寄せができるのは死者の魂だけ。離縁をしただけで、大神の若夫人が世をはかなんで命絶えたとは限らないのだ。

「なあ、あんた。月の巫女さんよ、僕の従妹(いとこ)なんだろ。どうして、僕よりもこんなにからだが大きいんだい。どうして、そこの赤子みたいにもっと早く僕を探してくれなかったんだい。君たち巫女がせめてあと一か月でも早かったら、僕はおろち衆三の首になんかなっていなかったよ! 僕だって、大人になって、いっぱし女の子と恋ぐらいしたかったよ。父さん、母さんみたいに、りっぱに働いて、大人たちと肩を並べたかったよ。なあ、なんでなんだよう! もう、僕はなにも取り戻せないよ!! もう少し、僕は生きたかったのに!! 僕は永遠を…いき…て」

少年の泣き叫び声はそこで止まってしまった。
すでに事切れていたのだった。どこかから投げられた針が首の後ろに深く刺さっていた。空気が抜けていくように皮がしぼみ、からだが溶解していき、灰のように崩れ、わずかに残った肉片は蝶のようなかたちをしていたが、それも風のひと吹きで払われた。最後には、その針以外は何も残らなかった。



【神無月の巫女二次創作小説「夜顔」シリーズ (目次)】




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