陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。

「夜の桎(あしかせ)」(七)

2009-10-01 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空

ソウマが大神家の次男坊として姫子に再会したのは、私立乙橘学園高等部に入学してからのことである。

中等部で華々しい成績を残したソウマは、本来ならば、学園理事長の姫宮家の縁戚の学生が務めるであろう、新入生総代として答辞を述べる栄誉にも預かった。
同学年に、姫宮家の係累がいなかったからである。ふたたび廻り会ったとき、来栖川姫子はせいぜい親友の一人のその側について廊下のはじっこを済まなそうに歩く控えめな女子高生であり、大神ソウマは教室の中央にいても多くの者に取り囲まれてしまうほどの人気者だった。

廃車のなかで苗字を抜きにして親しげに呼び合ったはずの少年少女には、いまや、月にも近いほどの距離があった。
クラスが違うから、いつも顔を合わせるのは廊下か階段だった。ソウマに声を掛けられでもすれば、イズミを筆頭にいじわる三人娘たちが姫子に嫌がらせのオンパレード。それでもソウマ少年は、五月の中間考査テストが終わった頃に、バイクで姫子を誘い出し、人気のない裏山にある大木の下で想いの丈をぶつけてみた。「一樹の蔭」という言葉にあやかって、木の下で告白するのが末永い良縁につながることだ、とソウマ愛読のティーン向け雑誌には書かれていたからだった。抜かりのない男・大神ソウマはすでに姫子がイエスと答えてからの向こう一年間の休日はすべて楽しめるようなデートプランまで、こと細かく分刻みで計画していたのであった。

姫子の答えはなんとも許容しがたいものだった──「わたし、待っていたい人がいるの」。
綾に組んだてのひらを下して、瞳を逸らさずに前を向いて。ソウマの失望は計り知れない。カルピスの甘い痰を喉に残したような気分なのである。同級生たちによる執拗な嫌がらせから逃れたさの、好意あるでまかせではないかとも疑ったのだが、姫子の告白は真剣そのものだった。恋に酔いしれた乙女が見せるときめきの表情。ソウマには姫子が、もはや見ず知らずの女にさえ思えた。

それから、姫子が五月末に川原で仔犬を追いかけて溺れたため病院に運ばれるという事件が生じ、それは乙橘学園の理事会において、在学生の風紀を乱す憂慮すべき事例として、すぐさま報告された。かねてから姫宮家と懇意のある大神神社にもそのお達しが届き、兄のカズキからは来栖川嬢との行き過ぎた交際は慎むようにとの注意を下されてしまったのである。そもそも交際も何もはじまってなどいないのだが、とにかく気安く声も掛けられない。

大神家での養育、村の名家姫宮家からの期待、学園での優等生としての立場──己をこの現在生かしめている恩恵や人の繋がりこそが、幼き日の姫子との縁を遠ざけている結果になっていることに、ソウマはうっすらと気づいている。姫子とソウマが離れていたわずか数年は、二人を別々の世界の人間にしてしまったのだ。係累が犯罪者であるという過去を防ぐには、大神の御曹司であるソウマは陽のあたる道をひたすら昇っていくしかなく、実の親を喪い頼れる親族もいない、平均以下の女子学生・来栖川姫子との付き合いは、誰にとっても不釣り合いなものでしかない。

ソウマのバイクは、あの告白の日以来、その背中に誰も乗せてはいない。
ほぼ数年ぶりに姫子と心身ともに近づいた瞬間だった、あの一世一代の告白の日の帰り道。姫子はソウマの腰に手を回して、その背中に顔を埋めながら「ありがとう」とつぶやいた。ヘルメットがあったので聴こえ辛かったけれど、たしかに姫子はそうつぶやき、そう表現したはずだった。

あのとき、ただ一度だけ──。
幼い日、自転車の荷台に乗せたときはあたりまえだったことが。どうしてこんなにも近づいたのに、俺たちは遠くなってしまったのだろう。溜息ひとつでもやって消えそうなくらい薄らいだ陰画(ネガ)のように、あの日の記憶が遠い。潰れたキャラメルを喜んで味わった、虹の映った水たまりに浮かぶ紙飛行機を笑っていた、星座を指先で辿りたどりしながら夜道を歩いた、あのいとおしいふたりはもう戻ってこない。



ジャンル:
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