陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。

あさぎり夕先生の漫画

2018-11-03 | 芸術・文化・趣味・歴史

亡くなってから作品を懐かしんだり、話題にしたりするのはいささかずるいと思うのですが。でも、やはり。じつに惜しい人材をなくしました。

この10月27日に漫画家のあさぎり夕先生がご逝去されたとのこと。
享年62歳。平均寿命からすればかなりお若い。そういえば、つい先日、声優の辻谷耕史さんも脳梗塞で突然死されましたね。アニメや漫画の業界は、やはりスケジュールに無理があるのか、健康を害される方が多い印象があります。

私、正直、あまり漫画を多くは知らないのですが、この人の絵とペンネームだけはインパクトありますよね。
あさぎり夕先生の漫画で育った世代は、ちょうど、バブル世代、ないし就職氷河期世代にあたりますよね。1980年代半ばごろの講談社の少女漫画誌『なかよし』の看板作家。きょうだいがよくコミックスを買っていたので、私も読んだことがあります。講談社漫画賞受賞作の『なな色マジック』が代表作ですね。この話、内容をすっかり失念していたのですが、ウィキで確認すると、双子の姉妹とひとつ屋根の下で暮らす少年という設定。いまの萌え漫画でもありそうな設定ですね。この漫画家さんの絵、とくに男性に色気があって、とにかくカッコいい。ジャニーズアイドルブームもあってか、おしゃれ男子が少女漫画によく登場。ファッションも細かく描かれ、画力が高い作家さんです。

『なかよし』誌面はその後1990年代前半に、あの美少女戦士セーラームーンブームを起こします。ちょうどそのころには、講談社を離れて独自路線あゆみはじめたあさぎり先生。なんと、それがボーイズラブ。なんでも、デビュー直前の1970年代に出版社持ち込みをかけたところ、編集さんにすげなく断られたそうで。清純ロマンス少女漫画家としてデビューしつつも、同人誌などで虎視眈々とBLを描く機会をうかがっていたそう。いまは大学教授をしている竹宮恵子女史の『風と木の詩』も1980年ですよね。もし、あさぎり先生がいち早くBLの旗手として漫画界の一人者になっていたら。

私がボーイズラブのラノベ作家あさぎり夕を知ったのは、かなりあと。
2000年代後半だったか。図書館で『太陽の巫女』(刊行は2001年)というライトノベルを見かけたんですね。表紙に女の子はおらず、イケメンばかり。そして中身は詳しく覚えていないですが、めくるめくBLの世界でした。そして、その表紙絵および小説の作者だったのが、あさぎり夕先生。視力が落ちて漫画が描きづらいので、小説家に転向したそうです。このBLシリーズかなり刊行されていて、42年の作家業のうちではむしろこの後半の仕事のほうが比重が大きい。

そして、今回とても驚いたことは。
あさぎり先生の個人サイトで知った事実。それは、かなりお色気満載の少年漫画まで手掛けていたということ!『ミッドナイト・パンサー』というこの作品、あさぎり先生作品には珍しく、OVAでアニメ化もされているらしい。どちらかというと、この方向性で活躍してほしかったかなと思わないでもありません。もともと、石ノ森章太郎先生の『007』に憧れて漫画家をめざし、習作では動静激しい少年漫画をも描いていたというあさぎり先生。あの高い画力も納得ですね。

あさぎり先生といえば、子どもの頃、絵が好きで漫画家を目指していた子たちからすれば憧れの存在。いつか忘れましたが、里中満智子先生のNHK教育の漫画教室みたいな番組の特集本で、いちど漫画家をやめようと思って画材をぜんぶ捨てたと告白されていて、けっこうショックだった覚えがあります。おそらくデビューして間もない頃をふりかえってのことだったと思いますが。

まだまだ描きたい話もあったでしょうに、ひじょうに無念であったでしょう。
新しい話題作が次から次へと登場し、古き良き名作を忘れてしまいます。古書店にいかないと探せなかったりしますしね。往年の少女漫画はあんがい熟年のおじさまたちにも好評だったりします。青くさいけれど、JCやJKがあまり性格的に病んでいないあたりがいいんですよね。漫画ってやはり、アニメかドラマにならないと知名度あがりにくいのかもしれませんね。

ご冥福をお祈りいたします。


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