陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。

「夜の点(くろぼし)」(三十七)

2009-09-29 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空

「やかましいやい!」

群衆のなかから、怒鳴り散らしながら進み出たのは、ひときわ図体の大きな男だった。
浅黒い顔に血がのぼり、さながら不動明王のようである。四角ばった顎に髭を生やした熊のような巨漢。裾や袖先がほつれて、あちこち継ぎ布をあてたぼろ着のうえに、黒くて堅そうな獣の毛皮を羽織っているから、なおさらそう見える。首から下げているのは鎖分銅だった。いかにも人相の悪そうな男だった。身なりだけでなく、態度も声もいやに馬鹿でかい。そして不気味だったのは、この男の左腕だけがやたらと筋肉が発達したように膨れ上がっていた。まるで、別の腕をとってつけたように。

この男を筆頭として、ここに集っている人だかりの誰もが明るい顔などしていなかった。千歌音が見知っている村人ですらも、すでに誰知らぬ地獄の鬼のような形相をしていた。しわくちゃで、汗と埃の染み着いた服をまとい、顔は土まみれで日に焼けていて、毎日湯を浴びない髪はほつれて古い油をかぶったようにてかり、荒縄を編んだようだった。けっしてきらびやかさと優雅さにまみれた栄光の姫宮家に生まれついた者にはいない、労働者たちの身なりだった。

「この馬車に乗ってんのが、姫宮の娘のものだあ? そんなことあ、言われなくとも百も承知よ。てめぇらのせいで、俺の姉貴が犠牲になった。あのでかぶつに踏みつぶされたんだ。姉貴はなあ、俺を育てるために、姫宮んとこに奉公して、仕送りしてくれたんだぜぇ。姉貴がさらぴんの着物なんて着たことがねぇよ。なのに、お前らは何だ? ああッ?! 金持ちでございとばかりにきれえに着飾ってよお、いいもん喰ってよぉ、おめえらだけ楽しようってのかよ。ふざけんなああああッ!」

獣の咆哮かと思うような大音声。目と眉のあいだ、鞍を思わせる鼻の先、畦道の浮かび上がる額や頬。顔のあらゆる部分が感情のままに隆起していて、全身が筋肉でできたかのような男だった。怒りに任せて振り回していた鎖分銅が叩きつけられた地面は、凶暴な破壊力を示すべく無残に抉られていた。
それはまちがいなく、あの巨神に絡みつき、そして喰いちぎられた鎖に違いなかった。巨神に立ち向かった、山猟師のような大男はこいつだったのだ。

人相の悪い男に対して、乙羽がまたしてもなにか抗議をしようとした。
だが、その直後。乙羽はぐらりと前のめりに倒れてしまった。男が肚(はら)に拳骨をくらわせたのだ。果物の剥かれた皮のように、倒れた乙羽はうち捨てられていた。いまや、暴徒たちに批難を向けられるのは、千歌音ひとりだった。

「そうじゃ、そうじゃ。儂の娘もお邸に仕えておったに、下敷きになったのじゃ」
「あたしの父さんを返して! あたしの兄さんを戻して!」
「てめえだけ地下へと逃げくさって、のうのうと暮らしておるとは、この恥知らず!」
「貴様、姫宮のお社から追い出した見習いの娘をわざと突き飛ばして、魔物の餌食にさせたそうじゃないか。この悪魔め! 地獄へ堕ちろ!」
「出てこい、このくそオンナ!」

じりじりと馬車を取り囲む悪意の輪が狭まっていく。
千歌音は乙羽に促されて、反対側の扉に身を潜めていた。だが、そちら側にも暴徒たちが詰めより、いっせいに馬車をひっくり返したのだ。馬はすでに外されていたので、馬車はただの箱も同然。開いた扉から、荒々しく千歌音を引きずり出した。

「月の大巫女とよばれた、あの千歌音さまとは大違いじゃあの。こんな意気地なしの孫娘が村の巫女とは」
「巨神(おほちがみ)さまはお怒りなされたのだ。神に逆らう不埒な、不遜な巫女どもを始末せよとな」
「殺せ、殺してしまえ。巫女などいなくなってしまえばいい。おろちの神に踏みつぶされてしまえええ──!!」
「この世界はあまりにも惨い。貧しさも豊かさもない、みな平等のありうべき世界に再生されねばならぬのじゃ!」

ひとびとは口々に思うさま、悪態を吐いて憚らない。
暴徒たちの後ろから、あの狂信的な集団の幟がいくつも立てられていった。数はみるみるふくれあがっていく。千歌音は目眩がした。この者たちの意図が分からないのだ。あの邪神を崇めているのか、呪っているのか。荒ぶる神を鎮めてほしいのか、それとも暴れてほしいのか。千歌音にどうして欲しいのか。そもそも、千歌音はどうすることもできないのに。


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