陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。

「夜の眇(すがめ)」(十八)

2009-09-30 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空

姫子が目覚めたのは、大神老人が立ち去ってから三時間後のことであった。
お茶を点てて用意してあったのにすっかりと冷めてしまい、二人して、茶菓子を味わうこともなかった。皮が干涸びて固くなった饅頭は、千歌音が側に寄ってきた小鳥たちにばらまいてやった。

姫子は花ざかりの寝床のなかで、ひとつ大きなあくびをして起きあがった。
その側で手のひらを重ねてその上にお上品に頭を乗せて、千歌音が横になっている。姫子が千歌音の耳たぶに噛みついたので、千歌音は慌てて目を覚ました。ぐっすり眠りこんでいたので、千歌音はうっかり、なぜ自分がこのような花園のなかで倒れていたのか、しばし、思い出せなかったくらいである。なんとなく異世界の夢の続きにいるような気分で落ち着かない。とにかく、姫子のお目覚め第一声に、心地よく迎える、という千歌音のもくろみが、うかつなうたた寝により不発に終わってしまっただけのことである。

姫子は甘い笑いを保ったままである。
先に立ち上がって、袂を押さえつつ右手を差し出した。縋るように摑まりながら、千歌音も身を起こした。土まじりの花の匂いが散った。

寝ぼけてしまった千歌音は、ほんらい、姫子に掛けるべき言葉を失ってしまった。
それで、周囲を見渡して言うには。

「すてきね、姫宮がこんな花園をつくっていたなんて」

千歌音が驚いたことには、その花園というのが、あの姫宮家が創立した学園のなかにあったということだった。しかも、それはあの日、夢に見たあの花畑にあまりにも似ていたのだ。西洋薔薇が咲きほこり、柔らかな青草のうえで座り込んでいたふたり。大木には羽を休めた小鳥たちがさえずり聞かせ、梢のあいだをぬって、あたたかな陽の光りがこぼれ落ちてくる。あの真っ暗な監獄ともいうべき瞑想の場所とは大違いだった。

「知らなかった? あなたの侍女たちが管理しているの。千歌音が元気になったら、見られるようにって」

まさか、あの子たちが? 筆頭に思い浮かんだのは、あの新入りの侍女だという乙羽の顔だけだった。でも、そんなはずはなかった。村の惨事からこのかた、乙羽は始終、千歌音の身辺の世話をしていたはず。人手不足もあったのだろうが、たしかに、姫子が側にいたときは、もっと賑やかに側仕えの娘たちが集まっていたはずだった。

千歌音にとっては、姫宮の他の侍女たちは覚えめでたくない存在でしかない。
気難しいお嬢さまで、持病持ちで、気位が高いと思われて、近づきがたい。そう思われて自分を敬遠していたに違いない彼女たちが、こんな思いがけない贈り物をしてくれたなんて。大神老人が残した言葉が頭によみがえる──誰かがはじめた優しさが、この世をうまく変えていく。

「わたしたちが眠っているあいだにも、この世界を良くしようとがんばってくれる人たちがいるの」

そうだと頷くべきだったのに、千歌音の中には、いつもの厄介な負の感情癖がこだましはじめた。
なぜ、姫子と側にいると、あたたかくて気持ちがいいのに、こころがうず痒くなるような想いが湧きはじめるのだろう。それは口寄せの姫子の姿で、いろいろな人の懊悩を通り過ぎてしまったせいなのだ。そして、いつも姫子に遭遇したのが、千歌音が心の孔(あな)に陥った時が多いからでもあった。人間は役割で人付き合いを選ぶ。千歌音には、姫子は何かあったら助けてもらえる人として認識されすぎているのである。

「でも、そうじゃない人だっているわ。たくさんいるわ。姫子だって、知っているじゃない。どんなに私たちががんばっても、苦しくても、誰もその苦労なんてわかってくれやしない。姫宮の者たちだって、黙っているだけよ。村人だって、…」

村人たちに馬車を襲われたあの日のことを思うと、千歌音は悔しくてしかたがない。瞳から涙が溢れかえった。最初に言うべきことはそれじゃないのに。こんなに美しい場所で再会を喜んで、そして、もっと明るいことを言わねばならないのに。

気が昂った千歌音を落ち着かせようとしたのだろう、姫子は千歌音の肩を抱いた。だが、千歌音は興奮がおさまらずに、その手を払いのけてしまった。

「巨神(おほちがみ)が現れたといったって、手を叩いてそれを喜ぶ者すらいる。むしろ、あれをありがたがるような不埒な信教者だっているわ。わたしたち巫女のほうが神を殺す悪魔だって! そんなことを言われても平気なの? いったい、私たちが行っていることは正しいの? 私たちがしていることなんて、誰も望んでなどいないわ」

千歌音は姫子をまっすぐに見つめた。
真向かいで立つと、千歌音のほうがすこしだけ背丈がある。
見下ろされた姫子は、顔を背け、押し黙ったままだった。こんな後ろ暗い表情をしてしまう姫子を見るのは、はじめてだった。歯切れの悪そうに唇を結び、そしてもの言わない姫子。千歌音が村人から酷い目に遭わされていても、おぞましい悪夢にうなされても、側にいてくれなかった姫子。いったい、彼女はいつから遠く離れてしまったのだろう。

姫子は押し黙ったままだった。
千歌音はぐっと拳を固めて、こらえていた。やっぱり、そうなの。そうなのね。剣の巫女がどうとか、剣が生まれるとか、そんなことも嘘っぱちだったの。
姫子が嘘をつくとも思えない。きっと、誰かが姫子を、私たちをたぶらかそうとしているのだろう。いったい、誰が、こんなでまかせを?!


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