陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。

「夜の点(くろぼし)」(十九)

2009-09-29 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空

大神神社の邸の一室が、さしあたって、姫子と千歌音の寝室としてあてがわれていた。
大神邸は純和風の木造平屋建てであり、旧家に多い破風づくりの玄関を構え、法事や村の寄合に必要な大広間もある。女の気配のまったくしない邸内であったが、回廊の奥まったところに位置するつごう十畳ほどの小部屋には、姫鏡台や目隠しのできる几帳、最低限の私物を保管するだけの柳行李などがあった。身に着けるものも限られた巫女としての暮らしであるから、華美な装飾のある調度品などはまったくないし、慰みになる読み物や暇つぶしの遊興もない。寝具といったら掻巻(かいまき)を羽織って横になり、さらに寒さしのぎに座布団のように厚く綿の詰められた煎餅布団に挟まれる。姫宮のお屋敷には、西洋趣味の大きな寝台にふわふわした白い羽根布団があったが、千歌音がその寝床を用いたのは、姫庫(ひめぐら)を退いてからの昨年末から年越しまでの、わずかな期間でしかなかった。

亡き細君の遺したお古ですまない、と白髪の頭を掻きつつ大神老人は謝ったのだが、千歌音にはなぜか、この質素な部屋のほうが落ち着いたのだった。

口に出しては言いこそはしないが、千歌音がここに借り住まいしてからの、大神壱之新の喜びようは傍目にも明らかであった。
それはただ、みずみずしい若さを羨望し、乙女の愛くるしさをほほ笑ましく歓待する、物寂しい年寄りならではの喜悦や重荷になるような期待などではなかった。齢十代半ばのわが身に、この老人がなにを見ているのかを、千歌音はとっくに理解している。おのが娘が健在であれば、おそらくはこの部屋にはそれらしい華やかさに満ちていたのかもしれない。姫庫(ひめぐら)に贈られてきた美品の数々を、花嫁道具のようだと溜息をつきながら見渡した老人の胸のうちにあった喪失の哀しみを知るにつれ、千歌音は気さくに老神主に話しかけることもなく、必要最小限の無礼のない対話にとどめていたのだった。

大神老人もまたふたりの少女たちの憩いの間を禁足地と心得ているらしい。
修行の進捗についてそれとなく姫子に問うことはあるが、他愛のない世間話のついでといった具合である。巫女の後見役としてお節介を焼き過ぎることもなく、あくまでも律儀に、姫子どの、千歌音どのという呼称を崩さない大神の主もまた、うら若い娘の秘密と自由とに干渉しすぎることはなかった。娘の外出にとかくやかましいのがこの時代の男親であるはずだが、この好々爺は何事も口出し無用とわきまえている。大神氏が寛容すぎるというか放任主義であるのも、かねてからの居候であった姫子がこの神官と培っている信頼ゆえだと思われた。ともあれ姫宮のご当主さまを思わせるような、ただの芝居じみた親子ごっこを繰り返さないですむことに、千歌音は安堵していたのだった。

並べて敷かれた布団に潜り込むときだけが、巫女修行の緊張から解きはなたれる瞬間だった。
疲弊が色濃く表情に現われたとき、箸の動きが遅くなり箱膳をさっさと片付けて、部屋へ引き上げる。着替えるのも億劫で寝床に倒れこんでしまう夜もあったが、姫子はきまって千歌音を懐へおいでと誘いこむ。疲れ切って指一本動けないと思っていたのに、姫子の側へにじり寄る余力が湧きあがってくることに千歌音は驚く。そして、姫子は寝床の中で包みこむように抱きしめてくれるのだ。まだ寒さの残る早春のことだから、温弱石を与えられたようにあたたかい。

「いっそのこと逃げたいと思わない?」

千歌音が静かに首を振る。腰に回された手が温かい。姫子がさらに近くになるのがわかる。分かっているくせに。こんなにも、しっかりと抱き留められていたら、逃げ出そうなんてできやしない。けれど、貴女が側にいるから頑張れるの、と勇気ふるって気丈に言い張ることもできない。怖いにきまっている。辛くないはずがない。私たちはまだ楽しいことを、うんとたくさん未来に残している女の子なのに…。それでも千歌音はいくらも弱音が吐けない。私が辞めてしまったら、姫子はどうなるの? たったひとりで、あの巨神(おほちがみ)と立ち向かわねばならないなんて。大神老人を含めたこの神社での、さりげない居心地の良さも捨てがたい。私が逃げたら、ふたたび、おのが血の縁(よすが)を失うことになるのだ。



ジャンル:
小説
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