陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。

「夜の点(くろぼし)」(三十一)

2009-09-29 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空

翌日の朝早く。
千歌音は乙羽と同じく女中の着物を召して、村の惨状を視察した。姫庫(ひめぐら)にあった着物はすでに失っていたし、華美な装いをするのが憚られたからだった。髪も地味に結い上げて頭巾で覆い隠し、矢羽絣を太い幅の帯で締めている。乙羽が先を歩き、なるたけ押し黙っていたので、姫宮のご令嬢とは気づかれないのであった。

巨神(おほちがみ)の来襲を受けたのは、天火明村の一部に過ぎなかったが、しかし、村の中心部であった。亡き姫宮卿が丹精込めて造園した庭は見る影もない荒れ地に戻っていたし、池も干上がっていた。田畑に巨大な足のめり込んだ跡は不透明な地下水を溜めて、水羊羹のような不気味な空模様を映しとっていた。家を失った者たちは、所在なく座り込んでいるか、気だるそうに生活の足しになるものを瓦礫の山から掘り当てようとしている。親を失った子供が呆けた顔で、木の根を噛んでいた。灯火をひと吹きしたかのごとく一日であまた命の消えた現場で、つむじ風だけが軽妙に紙屑を転がしている。

千歌音が気がかりだったのは、村の状態のみならず、愛すべき友の行方だった。
避難所として天幕が張られ、清潔な身なりをした看護婦然とした女たちが、運び込まれた負傷者たちを手当てしていた。そこに顔を出すと、鉢合わせたのは、かつて千歌音を脳の病呼ばわりしたあの偏屈で潔癖症な中年医師だった。かつて求婚者だったこの男は、姫宮家に出入り禁止にされたものの、医術の腕は買われたものと見える。千歌音を見ても驚いた風もなく、聴診器をぶら下げながらあちこちの病床を駆けずり回り、看護人たちを顎で使って指揮し、一向に減ることのない患者の対応に追われていた。医師は健康な者には興味がない。彼の聴診器やメスが選びたがるのは、一番に重い傷口だった。

救護の手伝いをしていたのは、乙橘女学校の宗教科教員になった、あの修道女ワルテイシアこと千季(ちすえ)と、彼女の教え子たちだった。
顔を合わすやいなや、千季はたちまち歩み寄って両の手を握りしめた。「千歌音さま、よくぞ御無事で」と再会を喜んでくれたものの、久闊を叙する暇はなかったのであった。赤十字のような腕章を嵌めて、洋装の彼女たちは甲斐甲斐しく立ち働いており、千季はその統括をしているのである。衛生的な白を身に着けた働き者の娘たちは、無駄な動きひとつなく、地獄に降りた天使のように眩しく見えた。看護の手伝いがてら姫子のことを訊ねてみたのだが、誰も知らないのだという。看護者が気遣うべきは、虫の息で横たわる者たちのかすかな声だった。消毒液の匂いと血だらけの包帯の入った皿が行き交っている。手際のいい乙羽はともかく、作業に不慣れなうえ話しかける千歌音はあきらかに招かれざる助手であった。千季が気を利かして、ここは不衛生でお体に差し障るといけませんので、と告げたので、千歌音は見舞いの対象もないただの余計な観察者となった。壁に背を預けてなるべく部屋の空きをつくりながら、我が身の無能っぷりに惨めさを噛みしめていた。

あのもと先輩巫女と出会ったときの覚悟を、今更ながら千歌音は思い返す。
今頃、千歌音は姫子ともども女学校に通い、姫子の立場を保全するために勉学に励んでいるはずであった。運命に流されるままに時間を費やし、そして、何も果たしてはいない。役立たずの握りこぶしを、薄汚れた幕へ打ち付けていた。

猫の子一匹、ひよこの一羽とて、人の命を救うのに役立っているというのに、私ときたら何という為体(ていたらく)…。千歌音は呆然自失としてしまう。千歌音の気鬱に追い打ちをかけたのは、かつては絵占いで多くの気の迷いを正し、この村の奇跡の巫女さまだのと熱狂的に愛されたはずの、あの姫子のことを誰も気に掛けなかったということだった。ある者は、お隠れ島の牢屋でそのまま刑死したのではないか、とさえ言い放った。悪気はなかったのだといえ、自分と姫子の過ごした愛おしい時間まで無碍に否定されたような気がして、千歌音は遣る瀬ない思いにとらわれるのであった。

姫子はここには来ていない。難を逃れたのだ。そう思う一方で、あの邪神が姫子を追って…とも思わないでもなかった。悪い予想へ傾きかけると、転がるようにその想像は膨らんでしまうのが千歌音の良くないところであった。千歌音の諦めのつかない表情に居たたまれなくなったのか、湯煎で消毒した手を拭いながら、乙羽がこんな提案をする。

「千歌音お嬢さま。縁起が悪うございますが、あちらで探ってまいりましょうか?」

乙羽に導かれるまま、避難所の裏手にある安置所へと足を向けていたのだった。
五体満足できれいに寝かされていた屍の群列は、砂塵塗れの古陶のように皮膚が固まっていて、あたかも古墳から出土した生気の抜けた兵馬俑だった。それはまだ比較的見られたもので、葭簀(よしず)でわざと覆われたものは、目を背けたくなるほど、人としての形を保っていないものが多かった。首がついていない、顔が潰れている、そんな若い娘らしき仏のひとつひとつに手を合わせ、袂を開いて胸もとに目を凝らす。どの亡骸にも、あの太陽の痣は見つからなかった。乙羽にもその特徴を話して、手分けして探し出したがとうとう見つけずじまい。内心安堵していたが、傍から見れば、この侍り女二名の行いは気がふれたとしか思われなかったに違いない。

姫子は生き延びてくれているのだ。どこかできっと、待っていてくれているに違いない。
ふとどきながらも多くの死を前にして、なけなしの不信は確信に変わった。
だが犠牲者の骸を並べた一団の最後に視線を何気なく移して、千歌音は心の臓が止まりそうな衝撃に打たれたのだった。


ジャンル:
小説
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