陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

続・研究者になれなかったひとの活路

2020-09-23 | 仕事・雇用・会社・労働衛生

2020年9月18日付け読売新聞朝刊記事によれば、ポスドクの企業への就職がゼロに終わったそうです。2019年文科省の推進事業であったが効果がなかったと。ポスドクとは、大学院博士課程修了者で数年間の期限付き任期職員として大学や研究機関で採用された者のことです。旧帝大と呼ばれる国立大学には、たいがい数人います。税金を投入しての若年研究者の雇用改善。いったい、何が問題だったのでしょうか。

少子化や大学への交付金削減の傾向で、大学の経営難が指摘されています。
そのしわ寄せは若い研究者の待遇に影響します。アカポスと言われる常勤職員の席が空かない。教授とあっても任期付きのの「特任」だったりする。最近は科研費の審査も厳しくなり、論文の捏造も相次いだことから、研究の社会貢献性などが求められるようになっています。

私は二流国立大学の文系修士卒です。いわゆるM卒。
卒論での美術研究が認められ、院時代には財閥系、大手流通業界の企業財団からのいくつかの奨学金給付が得られたのは幸運でした。博物館から所属大学へ立体作品を移転するプロジェクトにも関わり、図書館や美術館なでは非正規で勤務経験があります。
ポスドク制度はない大学ですが、研究誌への掲載論文は4本、うち一本は英文。それより実績のない同級生は学歴ロンダリングして、博士進学し、10年近くかかって博士号取得(英文で執筆経験なし)し、そして──非正規職のままです。10年かかって得たのに、最低賃金以下の働きしかできない資格。もちろん、本人がそれで幸せならばいいのでしょうが、私には無理でした。学費を親には頼れなかったからです。

修士卒後、育英会貸与の奨学金返済のために働きはじめた私は、いつか博士進学したいという夢をあきらめました。自分の専門分野は社会的需要がないと確信したからです。

少し前の新聞に、飛び級をした数学の天才青年が、ポスドクを経てトラックの運転手をしているという記事がありました。
私とほぼ同年代。奥様と結婚するため、不安定な道を閉ざしたそうです。私が院生だった2000年代前半でも、東大の博士卒がタクシー運転手という話はいくらでも転がっていました。私はその新聞記事を食い入るように読みふけりました。この青年は不幸なのでしょうか。

「頭がいい人がなぜ、そんな仕事を選ぶの? あなたに相応しい仕事じゃない。なんでうちの会社に来たの? 学歴や資格を活かす職場に行けばいいのに」
そんな心ない言葉を、研究者を諦めた者はいくらも浴びせられてきました。採用者である経営者や役員には気に入られても、現場の人間には煙たがられます。「研究者になれなかった者の活路」でも書きましたが、女性研究者が結婚に失敗し自死を選んだというニュースもありました。

研究者を目指した者は、歌手やタレント、作家、スポーツ選手を目指した者と同じリスクがつきまといます。
専門を極めるあまりに、一定年齢がくると軌道修正ができない。自分が好む学術や文化的薫りのする職務は、景気のいい時期の新卒でないと就けず、辿り着いても不安定、いくらでも代わりがいる。世間のひとが20歳そこそこで就職したのに、お前は30歳近くまで好きなことをして暮らした、その罰だと言わんばかりに。私には、高卒後に大企業勤務して勤続20年以上の親族がいます。たしかに、好きなことを極めたことのリスクは甘受すべきでしょう。多くの博士卒が就職難を訴える声を、私は同族嫌悪として、忌避してきました。

大学院修了後、その後いくつか正社員もふくめた転職を重ねた私は。
独立できそうな士業資格もとり、経理やPCに関する知見を高め、個人事業主兼へっぽこ会社員として、なんとか生き延びています。しかし、生活がかならずしも楽とはいえません。好きな分野ならばいくらでもサビ残できるけれど、会社には苦手で不快な業務もあります。

適性診断、適職診断をうけるたびに、一番の適職は「研究者」とばかり。
ため息が出ます。田舎でそんな都合のいい職種はありません。

研究者を目指すようなひとは、そもそも会社員には向いていないのかもしれません。
最近はHSPだの発達障害だの認知されましたが、学術肌のひとは、どこかズレています。特定のことに集中したり、他人が見いだせない真理を発見したり、感性を磨いて創造的なものを生む人には、組織としての利益と永劫の発展を望む会社員としての生活はとても窮屈です。自分で経営者になれれば理想ですが、プライドが高いために、安定にこだわろうとします。

研究者を目指す人は、まず万が一のことを考え、人生の保険を用意しておいたほうがいいかもしれません。
ひと昔前ならば、資産家の親や高給取りの配偶者にも恵まれたでしょうが、今は自身がそれぞれのキャリアを考えねばならない時代です。大学も、社会人経験のある若手の教官を増やし、終身雇用などなくし、アカデミックな世界の外でも活躍できるように人材育成をしないといけないでしょう。時代遅れの学問にこだわる方には退場してもらうべきです。

専門職は会社の中枢ではなく、コスト削減のために、一時的に雇われるという流れが高まっています。
プロフェッショナルになるほど、組織に属するのではなく、どこにいっても通用するようなスキルを磨き続けねばならない。保障はありません。高学歴だから、優秀だから、大企業や役所で定年まで勤められる時代は、私たち就職氷河期以後には終わりました。

いかにいい論文を仕上げるかではなく、学会発表するかだけではなく、本を出版すればいいというのでもなく、自分の研究をいかにビジネスにするか、公共の利益としてアピールできるかが、研究者の活路になるのかもしれません。好きだから懸命に努力していれば、誰かが認めてくれるなんて夢は抱かぬことです。市場価値のない高度な専門性は、ただの自己満足のヲタク知識にしか過ぎない。

もちろん、運よく、大学や企業の研究者になれれば、これに越したことはありません。しかし、これまでの研究機関は既得権益と言いますか、若者の雇用に関心もなければ、いかに自分が好きなことをして補助金をもらうかを考えたご老体ばかりが仕切っていました。私はそういうアカデミックな世界に嫌気がさして離れたのですが、正直、大学を出ていないと一流と見なされない風潮をまずどうにかすべきです。

大卒院卒の有能な人材が欲しいのならば、教育への投資、子育て支援に、企業もそれなりの負担とゆとりある働き方を用意するべきなのです。
会社員として働いてもいいが、週末や休日は好きな研究をしたいという在野の研究者が生まれ、イノベーションが高まるような社会を望みます。

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