陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。

幸せに働くこと──ある新人イラストレイターの遺した手紙(二)

2017-11-24 | 仕事・雇用・会社・労働衛生

【幸せに働くこと──ある新人イラストレイターの遺した手紙(一)】
「良いものを良いと感じる心や反省点が自分の心の宝。他人に責任を負わせるのではなく、自分自身を反省し、周囲に振り回されることなく、芯のしっかりした人間に」──希望に燃えていた正社員イラストレイターは、あの日、なぜ会社で倒れていたのか…。


*****

以上は、今からおよそ20年前に過労死した女性会社員の遺した手記である。
この女性は享年21歳。仏壇には、いまだに成人式の晴れ姿の写真が飾られている。地元の名門実業高校(美術の専科ではない)の美術部での絵画の受賞歴を認められ、奨学金付きの美術専門学校進学も打診されていたが、恩師の推薦で、地元では老舗の印刷会社に入社した。現在は資本金2000万、従業員30数名。中小企業であるが、主要取引先には、官公庁や学校教育機関が並ぶ。当時はバブル崩壊後の就職氷河期、山一證券や大手銀行の破綻など戦後最悪の金融危機を迎えた1998年前後のことである。父親が癌に罹患し、家計が傾いていたので、遊んではいられなかった。自分の得意分野を仕事に、しかも高卒にして正社員で就職できたのは、限られた優秀な人材であった。

手紙の主は、自分の仕事にそうとうの誇りを抱いていたことがうかがえる。しかし、これを読んだあなたは、なんとなく引っかかるものも感じたに違いない。青くさいと思った方もいるだろう。  

この手記が書かれたのは、入社2年目の6月頃と推察される。
この1年のち、彼女は勤務先の休憩室で意識不明の状態で倒れていたのを発見された。勤務先のかかりつけ医である個人病院に搬送されたが、5日後に亡くなった。大病院が市内にあるのに、平日の午後3時ごろという交通混雑のない時間帯であったにもかかわらず、わざわざ設備の貧しい医院が選ばれた。死因は、くも膜下出血による内臓不全。遺族は労働基準監督署に訴えたが、会社のタイムカードには長時間労働を示す証拠は残されておらず、手帳にも労働時間を記録してはいなかった。遺族の証言によれば、終電を逃したため、遺族が車で会社まで迎えにいったこともあったという。頭痛持ちであったことから、遺伝的に脳出血の疑いがあると医師にも判断された。新世紀を迎えることができなかった、墓の下にある遺骨は、もう何も語らない。

いまや、「過労死karōshi」はオックスフォード英語辞典にも掲載されている、日本の病である。

この会社は現在も営業中で、財団法人と共同研究契約を締結し、経営規模を拡大させている。おそらく、彼女が手掛けていた仕事は現在もっと高度なパソコン処理で行われているが、外注もしくは派遣デザイナーに請け負わせているだろう。あきらかに、拠点を増やしたにもかかわらず、従業員数が当時から減っているからである。デザインというのは商品企画のことであって、DTPソフトを使った作業やホームページ作成などはただのオペレーターなのである。彼女のデザインした商品もいまは存在しない。遺族のもとにあるのは、商品スケッチやポスター、高校時代に受賞した十数点の絵画のみである。その絵が増えることはない。

会社にとっては、一人の新人が社会で亡くなった事実など、芥子粒にひとしいできごとにしかすぎない。
しかし、家族にとっては、その人間は誰にも置き換えることができない。貴重な稼ぎ手を失った家族は貧困に陥るし、残された者の人生をも狂わせることがある。仕事に対する倫理観もゆがんでしまうのかもしれない。
この体験は、私の人生にとっては、いまだに永遠の空洞である。

お断りしておきたいが、感傷にひたるあまりに、会社で働くのは怖いぞとか、仕事は苦しいことばかりだ、楽な生き方をしようね、という甘ったるい提案をしたいのではない。世の中は多くの人の労働で支えられている。資本力のある会社組織というのは、労働力をまとめて発揮するにはきわめて効率がいい。働くことは生きることであり、社会に参加するための必須条件である。

告別式の日、恩師であるK先生の声掛けで、彼女の作品が式場に展示され、100人を超える参列者が弔問に訪れた。なかには若くして子を失った親の顔みたさに焼香だけに訪れた、いじわるな同級生の母親もいたという。K先生は、勤務先を紹介したことを心底悔やんだ。遺族は、彼女のきょうだいやいとこ達のように、福利厚生の整った大企業に就職して、趣味で絵を描いていればこんなことにはならなかったのに、と嘆いた。好きな仕事をして、その会社で倒れた彼女は幸福だったのだろうか…。

遺品整理をして、この手記を発見したのは数年前のことである。
この手紙の主の死は、突然襲った不幸であった。脳内出血で突然死したような親族は見当たらず、彼女の死に疑問を抱いていた。搬送先の医療機関で不慣れな手つきの看護師が注射したとたん、肌が青黒くなり、慌てて医師が飛んできたこともあった。勤務先の先輩社員は、「あんなに必死になって仕事しなくて良かったんですよ」と語った。業務多忙とはいえ、なぜ顔から血を流したままの彼女は、休憩室で3時間も放置されていたのだろう。もう少し発見が早ければ、適切な医療機関に運ばれていれば、助かったのかもしれないのに…。そんな疑惑が、この手紙を読みおえたとたん、わかったような気がしたのである。

絵を描くのは楽しい。それを仕事にするのはすばらしい。
でも、周囲はどう思っていたのか? 組織はチームワークであるから、一人の才能が突出するのを好まないし、利益につながらない業務はおのずと後回しになる。デザインが良くても、斬新なアイデアがあっても、契約交渉してくれる営業マンがいなければ、会社は成り立たないのだ。逆に言えば、「絵を描けなくなっても」、職種転換すれば会社に生き残ることもできる。直接雇用なら、それができる。

フリーのデザイナー職は、みんな営業力・企画力を磨いている。自由に仕事を請け負うということは、それだけリスクと広汎なスキルを背負うということである。会社に正社員として所属する限り、自分のしたい仕事だけするわけにはいかないのである。しかし、会社という後ろ盾があるからこそ、会ってもらえる人だっているのだ。

後年、企画編集として正社員職にありついた私は、それを嫌というほど思い知らされた。
締切が厳しく、無駄な会議が多い。あほかと思われそうだが、四半期ごとに土曜が潰される決算総会の出席も厭わしかった。朝7時から夜9時まで働くこともあり、隔日週休二日制。そのうえ、データ整理のため持ち帰りにして休日返上で仕事をした。私がもう二度とクリエイティヴと称される仕事をしたくないと思うのは、後ろめたさからなのだろうと、今となっては冷静に分析できる。他人の絵を褒めたくないのも、アートに身を捧げた人間が滅びるという強迫観念があるのも、おそらくそのせいなのだろう。私は生前、彼女の絵を褒めたことがなく、対抗心で絵を描いていたのであった。無能ながらその仕事を背負うことで、彼女の供養になるとさえ思っていた、いまとなっては、とんでもない欺瞞としか言いようがない。

いまでも思い出す、人生最大の怒りがある。
それは、彼女が亡くなって数年後。葬式に訪れていた、私のかつての同級生が嘲笑しながら、こう口にしたことだった──「あなたは美術の専門職に就けなかったんだね。私は大手マスコミでデザイナーの仕事しているんだけど忙しくてさぁ、もう大変」。 前半は私の至らない事実なので仕方がない。しかし、後半はあきらかに私の身内が、中小企業でデザイナー職のまま過労死したことを露骨に揶揄した発言だった。この発言者の母親から聞くと、実はこの人間は、親に高い学費を出させて私大文系に行き、留学もしておきながら、当時、30歳過ぎてもいまだに派遣ウェブデザイナーのままだった。そいつの絵はおそろしくセンスがないし、地元新聞に載ったとかいう漫画も面白くない。派遣先は、アナウンサー志望だった自分が就活で落とされまくったマスコミ業界大手のA新聞社やNテレビ局。この女は、その大企業の正社員であるかのように詐称して自己紹介しているのである。なぜ、こんな人間に、お前の死んだ身内は失敗作だと言われねばならなかったのか。

派遣だから、残業代もつくし、派遣会社営業が仲介して労使交渉もしやすい。就職氷河期のあの時代、自分の好きな仕事を求めて、目先の時給の高さにひかれて、いまだに派遣のまま働いている人は多いだろう。コピーライターの糸井重里氏などがけしかけたように、就社よりも就職だ、会社に属するのではなく自分の名で仕事がデキるようになれ、という「仕事こそ自己実現」「好きな仕事、クリエイティヴな仕事こそ尊い」という呪いがあった時代である。スキルアップをしていけば就業先から引く手あまたが売り文句の派遣だが、40歳を過ぎると急速に仕事の依頼がこなくなるという。OSのヴァージョンアップのように、古くなった人材はある日、ごっそり入れ替えられるのだ。これは、新しい時代をつくることを使命づけられた作家や漫画家、芸能人などでも同じである。クリエイティヴな業界は若いセンスしか求めていないからだ。バブル時代に時代を作ったといわれた、現在40代後半かそれ以降の人々でも、貧困にあえいでいる人も多い。世の中が求める仕事は変わっていくのである。

いまでも、この発言に怒りを覚えるのは、「嫌いと思っても、それ以上嫌いと思わないようにする」ことが、未熟な私にはできないからだろう。しかし、仕事とは、意に沿わぬものでも、嫌いなものでも、好きと思ってやり遂げることの連続であると思う。好きなことだが、他者本位の品質が保証できないのならばお金を戴かないで、趣味でやればよいのだから。

また「若くてきれいなうちに死ねたんだから、本望だよね」とほざいた、頭の悪い女もいた。この手紙の主は、けっして、会社で倒れて死にたかったわけではないだろう。これから手掛けたかったことが、山ほどあったはずである。なぜ、懸命にただ仕事に邁進していただけの彼女がいのちを奪われ、なおかつ、死後もその魂が踏みにじられねばならないのか。私はふと無性に怒りに駆られるのである。

その怒りは、自分が仕事をうまくできなかったという自損でもあるのだろう。
仕事の失敗は、今後の働きぶりでうまく返していくことでしか解消されえないのである。


【幸せに働くこと──ある新人イラストレイターの遺した手紙(三)】
政府も、企業経営者も、管理職も、その会社で働く人も、その家族も、みんな幸福に健康に働くことの意味を考えてほしい。元気で働ける人は、ますます少なくなっていく。この国で、誰一人として、欠けてはいけない。


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