陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。

「夜の眇(すがめ)」(二十一)

2009-09-30 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空

「千歌音が怖いというのなら、わたし、もう無理強いしない。あの巨神(おほちがみ)がやってこない、誰もあなたを苦しめる人のいない無人島にでも、ふたりで逃げることだってできる。でもね、千歌音はほんとうにそうしたいの?」

当たりきに共にがんばって戦いましょうとも叱咤しない。媚びたように、あなたを護ってあげるから、とも告げない。それでいて、姫子は大樹に腕をあて頬をつけながら、こちらを眺めている。極めつけに、こうとまで言った。

「わたしね、千歌音にぞっこん惚れ込んでいるのよ。あなただったら、わたしの願いを叶えてくれそうだから」

姫子はめいっぱいの笑顔をひろげている。
千歌音は言い知れぬ胸のざわめきを覚えた。姫子が、いつしか、これと同じままの顔をして死ぬのではないかとすら思えた。

──私がどうしたいかって? 決まりきっている。約束したじゃないの。貴女といっしょに生きてきたい。ただ、それだけなのだと。

姫子が自分を置き去りにしたわけがなかった。
そもそも、臆病風に吹かれて大神神社から逃げて、巫女修行からも脱して、姫子の側を離れたのは自分のはずだった。姫子が修行の中断を申し出てくれたからであって、自分がなにも決断していたわけではなかった。姫子が倒れていたのなら、探しに行けばよかったのだ。でも、姫子に顔合わせするのが心底恥ずかしかった。村の壊滅をむざむざ許してしまったから、それだけではなかった。村が救えなかった悔しさがあるのなら、なおさら邪神打倒を念じて修行になおさら励めば済むだけの話だ。それをしなかったのは、こちらの怠慢というものだった。乙羽とのんびりと姫宮の館で過ごしていれば、大惨事をくぐり抜けた姫子がひょっこり迎えに来てくれるだろうと信じ、そのままにしておいたのだ。

姫子が自分を殺すという、あの悪夢があったからだった。
「いっしょに生きていこうよ」と言ってくれた姫子を、殺人者にするなんて、たとえ夢の中とは言え、愛する人へのひどい冒瀆のように感じられた。多くの命を渡り歩くことのできる、この稀有な能力の持主が、そんな無体なことをすることはありえない。そしてまた、こんな情けない生き様のおのれを終わらせてくれる者がいるとしたら、他でもない、それは姫子が適任であるような気さえした。

「私、嫌われているのかと思って…。あんな夢を見てしまったから」
「たぶん、わたしが出てきて千歌音におかしなことをしていたりするのね?」

姫子がしゃらっと、こちらの胸の内を見透かしたようなことを言う。
その彼女は、自分の鎖骨のあたりに指をさして意味ありげに笑い含んでいた。姫子の考えるおかしな夢は、艶めいた連想を招いているに違いない。千歌音の頬に、乙女らしい、血の色がにわかに差した。姫子は、いつか自分がふらりといなくなったときの、置手紙として、このしるしをつけたのだ。これが薄れるまでには、あなたのもとに戻ってくるよ。と、そう気づくと、千歌音はいま口にしたぼやきが、透いた空気をいたずらに煤けたと嘆いているようで、なんだか馬鹿らしくなってしまった。自分はこうやって空疎なものを、胸に溜め込んで膨らしてきたのだろう。



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