陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

「アンサング・ヒロイン」(二十五)

2010-12-25 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空・姫神の巫女

「探し物はこれ?」

小憎たらしい漫画家が、今まさにそのふた品を片手で差し出した。
あたしが焦り顔なのをいいことに、こいつはかすかに勝ち誇ったように微笑んでいた。

「ちょ! 持ってきたんなら、返してよ」
「おことわり」

飛びかからんばかりにして、あたしが伸ばした手はすんでのとこでかわされた。
揉み合った拍子に、セブンスターの紙箱と、あたしが愛用しているジッポ社のロゴが入ったおしゃれなライターが、洗面台にたまった水のなかへ落ちてしまった。慌てて拾おうとするあたしの手首を、レーコが掴んだ。

「それ、もうコロナには要らないから」
「勝手に言うな! あ~、あたしのライターが! タバコがあ!」

泣きたくなるのも無理はない。この四月にどかんと値上がりしたせいで、紙のタバコといえども、けっこう値が張ってしまうのだ。でも、食費を切り詰めたってこれだけは唯一の贅沢だからやめられない。だって、これ吸ってるときはいちばん、こころが落ちつくんだもの。

「私がベランダから拾ってこなけりゃ、どうせ同じだった。ほら、外は雨が降り出した」

レーコがあたしの背中の向こうを、ほらごらん、とばかりに指さした。
急に、さあああと、しのつくような雨音が部屋ひとつ向こうから響いてきた。湿っぽい風が、ガラスの隙き間から吹き込んでくる。いま、こいつが雨雲を呼んで降らせたのじゃないかと思うくらい、みごとにタイミングの良すぎる雨の再来だった。あたしは、舌打ちした。

「くっそ。アンタ、もしかしたら究極の雨女でしょ? 縁起が悪いったら!」
「そーいわれたら、そうかな。ベランダで水やりした後に、雨が降ってきたりするし。編集者が原稿を取りにくるときも、打ち合わせするときも、たいがい雨が多かった。髪を切ったあとも、美容院出たらすぐ雨にあたってセットが台なし」
「小学校の遠足や、運動会も?」
「もちろん。中学校の三泊四日の修学旅行まで、学校行事といえば雨ばっかしだった。中学の卒業式なんて、三月なのにドカ雪だった」

さっきのよれよれの傘が思い浮かんだ。鞄に折り畳み傘を忍ばせとかないと、うかうか街も歩けやしないわけだ。

「そりゃ、お気の毒さまで。そんなにずぶ濡れる人生なら、いっそ雑巾にでも生まれてくればよかったじゃん」

あたしはもうすっかりタバコやライターのことなど忘れてしまっていた。
そんな天然記念物レベルの雨女聞いたことがない。不幸もひとりやふたりでなく、ひとつの学級、学校レベルになるともうそこで立派な語り草になる。さぞや、こいつの人生に付き合ってきた奴は、雨に降られて楽しい想い出もなかったろう。そう思うと、腹の底からけたけたと乾いた笑いがこみ上げてきそうだった。他人の悲しさを嗤うのは自分も痛いと知っているのに。

「だから、私。中学のときは、あんま、出かけないようにしてた。家で漫画ばっか読んでて、一度見たものは、目をつぶっても想い描けるぐらい。気がついたら描いて応募してデヴューしてた」
「そりゃ、そのほーがいいわ。自分の好きな道に早くから進めてよかったじゃない」

いいのか、悪いのか。レーコはその言葉に答えなかった。
かわりにクローゼットを開けて、そこにあったのは二重ドアになった金庫。厳重に保管しているから、きっとこいつにとっては宝物なんだろう。五円玉に糸を巻き付けたように封をする昭和生まれらしき茶封筒から取り出したのが、三十枚ほどの原稿用紙。それは、鉛筆でラフなコマ割りをされた下書きだった。秘蔵の原稿を惜しげもなくひけらかすのは、なぜなのか。

「読んでもいいの、それ?」
「もちろん」

こいつのファンなら喜んで、拝み倒して舐めつくすように読むだろう。
だけど、あたしはぶすっとして、ひったくるようにして受け取った。一枚、二枚、三枚目。いかん、何だ、この話…。胸の奥に血の塊が溜まっていくように痛い。


その物語の終局――睡眠薬を大量に服用していた女の子は、ふらふらと夜の踏切へ向かう。
電車が近づいている。ふらありと引き寄せられる。ひとつ、ふたつ、みっつと、枕木を数えるみたいに近づく。つまづく、遅くなる。走れない。靴が脱げた。バーが下りてしまった。飛び込めばいい。さあもう一歩。もうすぐ異世界に向かう。次に生まれ変わるとしたら、瞼が腫れる日のこない楽勝な人生がいい。バーをくぐって…。

――その瞬間に、音楽が飛び込んできた。ふしぎな童謡めいた歌詞だった。

驢馬(ろば)は犬のために、犬は猫のために、猫は鶏のために、
そして鶏は、この星のすべての
輝かしい朝のために、夜を裂いて、声を高く、美しく啼くのだ
それが、あたしのブレーメンラブ


誰かの歌声。すさまじい音速。絶望の列車が視界をふさいで通りすぎる。軋み上がり、走り抜ける空気。ずごぉおおおお、びゅいぃいぃんと切り裂く鉄の動く壁。なのに、その嵐のような歌声もすさまじいステップの踊りも、確かにその向こうに見えたのだ、聞こえたのだ。時速百キロの列車の十倍どころか、百倍千倍もの速さで、その声はしっかりと聞こえたのだ。

鶏は猫のために、猫は犬のために、犬は驢馬のために
そして驢馬は、この国のどこかの
うなだれた勇者のために、背中をあたえ、上を向かせ、いずれ風に散るのだ
それが、あたしのブレーメンラブ


バーがあがる。向こうにいたのは、知らない街の女の子。
目があったとたんに、ぴたりと歌唱をやめた。恥ずかしそうに口をつぐんで、走り去っていった。聞こえないはずの、彼女の叫び。歌う喜びと悲しみがないまぜになったような。なぜ、あの瞬間だけ聞こえたのだろう?――それは、私たちが同じ日同じ時刻の絶望の快速列車に乗り合わせていたからだ。生きるのがしんどいのだと、世間が本音を歌わせてくれない少女たちは、この日、たまたま、そこで居合わせたのだ。そこで魂の悲しみは合体したのだ。

あのとき、たしかに音の粒が自分のからだのなかに入り込んできた。
それで死の淵から舞い戻った。その日のあの少女に、もういちど逢いたいと願った。大きな列車に立ち挑むように、けたたましく声を響かせているあの子の生き様を描きたいと思ったのだ。だから、私は今日まで生きながらえてこられたのだ。戦い抜いて倒れるのなら、彼女といっしょに…――。


そんなことを表現していた短い物語だった。タイトルは「音速のファイナルステージ」。
あれ、…なんかコレ、どこかで見た覚えがあるな。どこだっけ? この線路もどこかで見たことがあったような…――。わからない。だけど、あたしは何度もその物語を食い入るように見つめ、読み返していた。


【目次】神無月の巫女二次創作小説「ミス・レイン・レイン」




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