陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。

小説『下町ロケット』

2013-01-24 | 教育・学術・読書・子ども
「鶏口となるも牛後となるなかれ」という言葉が好きだ。自分で自分を雇う事業主。あるいは、組織の末端ではなく歯車でもなく、稼動部の強力なエンジンとして組み込まれているメンバーたち。役職はあるが、年齢差はあるが、上も下もなく、言いたいことを言い合える会社。そんな中小企業が、日本にはゴマンとある。じつに日本企業の八割は中小企業が占めている。日本の経済を下支えしているのは、技術立国たる面目を保てていられるのは、中小企業が抱える熟練工たちのプライドである。しかしながら、誇りだけで食ってはいけないのが現状である。

下町ロケット
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小説『下町ロケット』は、直木賞受賞で話題になった池井戸潤の代表作。この著者の作を読むのは『鉄の骨』に続いて二作目なのだが、期待を裏切らないおもしろさだった。四百頁を越える大部な読み物であったが、先が気になっていたしかたなく数日で読めた。わずか五十頁の文庫本でも展開に飽きて、思わず後書きやラストをめくってしまい、読んでいいかどうかのアタリをつけてから読むという悪い癖が私にはある。しかし本書に限っては、そのような飽きがまったくこなかった。

かつて航空宇宙研究所の生え抜きエンジニアとしてロケットの開発にあたっていた佃航平は、いまや中堅企業・佃製作所の二代目社長。もちまえの技術力を生かし、他社には類をみないバルブシステムを開発していた。しかし、大手取引先からの受注中止、銀行からの貸し渋り、さらには狡猾な大企業との特許抗争に巻き込まれていく。運良く危機を脱したものの、自社が開発した技術を売り込みたいという野望を胸に、開発競争でライバル関係にあった巨大メーカーを向こうに回しての、下町工場ならではのプライドをかけた戦いがはじまる。

本書は下請けの中小メーカーと大企業という対決の構図をもって語られるが、それがあるのは前半部であって、後半部の主流を流れているのは、組織に囚われて、金銭勘定にしばられて夢を見失ってしまった人間と、どんな苦境にあっても立ち向かう男たちのロマンだ。主人公の佃は研究者としては優秀であろうが、言葉が荒く、どちらかというと組織をまとめあげる人心掌握力はないものの、腹心たちに助けられ、また新たな弁護士や別れた妻など意外なアドバイザーに救われて、窮地をのりきっていく。敵は内部に潜んでいて、造反者の手痛い仕打ちにあって、あわや努力水泡に帰すと思われる場面を終局に迎えるが、そこではじめて研究者としての探求能力を発揮する。

佃はつねに、自分の夢と社員の幸せとが一致しないこと、企業が経営者の意のままにならない魔物であること、仕事の本分はなんであるか、に体面することになる。佃の説得が奏功したというわけではないのだが、彼ら佃製作所の成長分野に挑戦したいという意欲は、やがて相手先巨大メーカーの幹部や経営者の抵抗を和らげ、さらに内部の離反者をも抱き込んでしまうことになろう。

王道展開のサクセスストーリーだと言えばたしかにそれまでのこと。
本書の表紙がそれを如実に物語っている。長い長い道のりをかけて、下り坂から登り詰めた先に、夢のロケットが宇宙に放たれていく。下町の工場をにおわせる、路地裏の翳った建物が、出だしの佃製作所だとするならば、日向の道を突き抜けた先に見えるものが、企業の明るい未来であることは言うまでもない。すべての企業人がこのような働き方を望んだのではないか。

人物造形がややステレオタイプな勧善懲悪で、時代劇かアニメを眺めているような軽薄さは否めないし、文学としては味わい深い表現手法があるわけではないのだが、とにかく読むと元気に明るくなれる小説である。造反した部下の処遇に対して甘いという意見もあろうが、私はかえってそこで救われた気持ちになった。企業労働の対価としてあるのは、目的を同じゅうする人との一帯感であり、あたかもスポーツ青春ドラマのような趣きさえ漂う。こうした爽快感が受け入れられる背景には、本書で描かれたような規模の大小問わずに、日本企業が直面している閉塞感があることを忘れてはなるまいが。

(2012年10月16日)
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