陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。

田舎の空も補助線だらけ

2018-04-07 | 自然・暮らし・天候・行事
桜をテーマにした物語は多いものですが、よく覚えているのは、小学校の国語の教科書に載っていたあの話。バスの運転手さんが、日本列島を横断するように桜の植樹をしたという、あの実話。緒方直人主演でのちに映画化されましたよね。

うちの住まいの近所は、桜通りになっていまして、例年、この時期は華やかになります。
母校の大学の近くにも、桜の並木道があって、ちょうど引越し時期に満開だったのを覚えています。桜の名所と呼ばれる地域はご当地にはあるのですが、新車にあまり運転慣れしないものですから、遠出は控えています。

住まいの駐車場は、風の吹き溜まりになっているのか、よく落ち葉などが集まりやすい。
今年の桜の花びらが、たんまりと累積したのは昨日。開花してから二週間ぐらいでしょうか。本年の桜は大袈裟な雨風にあおられなかったので、ずいぶんと長持ちだったようです。ぼちぼち葉桜になりかけていますが、まだまだてっぺんには花が残っています。

この桜の通り道を眺めていて、最近、気になったことがあります。
電線にやたらと引っかかっていることが多いこと。これまでも夏に奔放に伸びすぎた街路樹が信号を覆い隠してしまうので、無残にばっさりと、それこそトルソみたいに枝を伐られてしまっているのを見たことがあります。こうすると、その切り口が瘤のようにもりあがって、そこからシャワー状に小枝がわんさか伸びる。するともともとの木の枝ぶりよりもけったいな樹影になります。そして、夏にはまた伐採…のくりかえし。これは繁殖力の強いプラタナスや銀杏の木だけだったのですが、正直、刈られたあとの姿が不気味でしかたがない。夜中に街灯のすくない地域で車のライトがあたると、怪物みたいに見えます。

さすがに桜でこれをやるといけないのか、極端に伐採されたことはありません。
でも数年前にいちどだけ、大掛かりに一部の枝だけ整えられたことはあります。見通しが悪く、根が張り出してアスファルトを砕いている木は切り株にされてしまいました。

それでも、木はほうっておいても、いくらでも育つ。
電線を追い越しても不思議ではない。ところが、よくよく見れば、電線の方が低すぎるのです。ここ数年、電柱の建て替え工事が進んでいて、電柱も細くて高いタイプに代わっています。従来の電話線や配電線はもちろん一番高めのところになります。でも、あきらかに低めの、それこそ地上から5メートルもないだろうなという高さに、やたらと目立つ太い電線がありますよね。しかも、住宅地や商業地に。ケーブルテレビか光ファイバーの配線なのだろうと思いますが、かなり低い。あれでは木にひっかかるのは当然としても、はしご車のような車高の高すぎる車も通れないんじゃないかと思います。

一時期、太陽光発電ブームだったため、電柱に配電のための分岐点をべたべた接続しているので、ひじょうに景観の悪くなった地域もあったようです。山際の閑静な眺めのいいところでも、いつのまにか、空にごちゃごちゃした補助線ばかりが増えていますよね。その電線に、これまたヒッチコックの映画よろしく鴉の大軍が止まったりするので、怖いったらありゃしない。

昔、上京したときに、東京の空はずいぶんと狭いもんだと、田舎者ならば誰もが思いそうなことを口にしたものですが、田舎も田舎で、空が窮屈になったものです。たまに自衛隊のヘリなのか、気持ち悪いぐらい接近して飛んでくる飛行体もありますしね。ドローンで宅配とかがあたりまえになったら、空も騒々しくなりそうです。そうかといって、東京都がもくろむような電柱を地中化してほしいかといえば、それも違うと言いたくなります。




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