陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。

「Flower and Fidget」 Act. 17

2006-09-06 | 感想・二次創作──魔法少女リリカルなのは

アインハルト・ストラトスはうろたえている。
すでに、その花束はすっかりおのが腕のなか。赤子を拾ったかのように困惑している。その高貴な花が、おそらくはこの聖王教会の清らかな花園に育てられたものであることを、うすうす察しているのだ。だからこそ、アインハルトは修道女に詫びるような視線を向けたのだが。

「戴いておきなさい。それは当教会からのお餞別です。神は餓える者にパンを与え、寒がる者には衣を与え、怯える者にはあたたかな寝床を与えたのです。多くの告解者は、何かを望んで、この門を叩くのです。あなたは何も欲しがらない。ただ、罪を自白なさりにきただけ。だからこそ、花を差し上げるのです。あなたには、それが必要でしょうから」

こんな聖職ぶった杓子定規なことを言いながら、シャッハはもどかしかった。
おそらく、この子はおのれの自覚なき罪を償う鞭のひとつでもあれば納得したのかもしれない。しかし、もう十分なのだ。傷ついた者がそれ以上に深めたがる瑕(きず)を欲しがるのは。その腕に、どんな大きなものも掴んでほしい、と大人たちは若者に思っている。人類の歩みの、美しく賢明なものだけを受け継ぎ、そうでないものは次の世代には廃れてほしいと、身勝手に古く生きすぎた者は思っている。しかし、薔薇が花と棘とでひとつであるように、歴史があまりに語るに落ちる、愚かで醜いものだけをきれいさっぱりと切り捨てることはできない。

「その花の名前を知っていますか? その名は、プリンセス・オリヴィエ。この希少種の薔薇は、ある男の足の裏に刺さった棘から培養し、品種改良を重ねたものです。その棘が戦地へ向かう足を止めてくれたおかげで、男は命拾いしました。それを称えて、男はこの聖王教会にこれを寄付したのです。いつか咲くことがあれば、是非にもこの名前を、という願いを残して」

アインハルトは目を見張った。左右の光の異なる瞳から、淡い何かが溢れそうになっている。修道女シャッハ・ヌエラは、穏やかに語りかける。

「古代ベルカの植物の種は貴重ですから、この教会に保管されていても、たびたび盗まれてきました。けれども、この薔薇のご先祖様は棘のままであったから生き延びたのです。聖王教会の研究者たちが極秘裏に何代も遺伝子を改良し、既存の薔薇とも少しずつ掛け合わせながら、やっと現代に蘇った奇蹟の花。おのが身に棘を埋めて戦乱を守り抜き、いつか花となって咲くその日のために、その名付けまでして去ったその男は、何を伝えかったのでしょうね」

────この花は、我がご先祖様の負けを知っている!
アインハルトはすでに、その薔薇の花束を、宝物のように大事に抱えている。
天鵞絨(びろうど)のようなしっとりした花びらに、露が弾けている。花の棘は、顔を押し付けて泣くなと言っている。どれだけ多くを殴っても、蹴っても、打ち飛ばしても、引きずり倒しても、自分はつねに敗者である、という拭い難い後悔を、胸の奥に飼い続けてきた。その心のひずみは、彼女を勝利ばかりを求める獰猛な獣にしていた。その花は、胸の疼きを和らげてくれるような気がしたのだった。

「お怪我をなさった方が甘党だといいですね。ヴェロッサのケーキは甘過ぎますから」
「適度な糖分はひとを殺さないよ。僕のケーキは、八神はやての折紙付きなんだから。あ、そうそう。君、聖王教会の修道女たちが焼くクッキーも絶品だよ。また、いつか食べにおいで」
「はい、ありがたく」

奇妙な修道士と修道女との、すっかりくだけた軽妙なやりとりに、アインハルトはやっと年ごろらしいあどけない笑顔を綻ばせた。泣きそうになると無理に笑いをつくるのは、寂しい子どもに多い。

「古代ベルカ流の武闘者ならば知っているだろう。敗者に花を贈るのはなぜか、を」
「いいえ。恥ずかしながら」

目の端を指で拭いながら、アインハルトは首を振った。

「香しい花はひとを魅し、ひとを結びつける。敗者にも敬意を示せる高潔な武闘者には、相手に恵まれるという言い伝えがあるのさ。歴史は、勝者だけが築くものじゃない。君のご先祖様が打ち倒した者たちは、その負けを惜しむことなく記して、彼の令名を高めてくれたのだろう。覇王と呼ばれた男は、打ちつけた拳を最後に握手に変えたからだ。地に倒れた者は、自分を引き上げてくれた者の手を忘れはしない。惻隠の情をもたない拳の勝利は、ただの暴力だからね」

ヴェロッサは少女の肩を促して、懺悔室のドアを開けた。
外には、初夏の陽光があふれ、多くの修道女たちの影のあいだを花の香りがすり抜けていった。花は人々のあいだを埋めていた。修道士見習いの少年トーマと、セインたち修道女が競うようにとっかえ、ひっかえして、鐘を衝き鳴らしていたのだった。その鐘の音も、どこか懐かしい。

「さあ、第二ラウンドのゴングが鳴っている。勝負はまだ終わっていないだろう。君の健闘を祈るよ」

アインハルト・ストラトスは目を閉じて、その鐘をじっくりと味わっていた。
歴史が語らないあの日、愛する者のために一敗地にまみれた男────後世に武闘の神様と崇められる覇王イングヴァルトの裔(すえ)はやがて、闘技場に投げ入れられた花束を拾い上げた競技者のごとく、凛とした顔つきで薔薇を抱えなおして、敗者への手向けの品を守りながら、その部屋を後にした。まずは敗者を助け起こすことだ。ひとを救う手は美しい。その拳の正しい向け方を導いてくれる者に、アインハルトはいずれ巡り会うだろう。彼女はまだ、負けを知らない。


【第六部につづく】


ジャンル:
小説
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