陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

いつか逢える神無月の巫女、いつも読める姫神の巫女に(四)

2020-05-25 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空

お腹のなかにいたときは自分の一部なのに、外に出たら批判にさらされる、ということはよくあります。
旅に出る前の準備で揃えた日用品はまっさらで、下調べで見た風景写真のほうが美しい。妄想はあいまいなままに、色と輪郭を与えないほうが楽しめる。なぜか? 自分の好きなようにカスタマイズできるし、決められた枠に嵌まらなくてもいい。読者にはそんな我がままがあります。いつか逢える神無月の巫女を、いつまでも青写真のままにしておきたいという。しかし、いつも読める姫神の巫女になると、姫子と千歌音の続きをめぐって、わくわくハラハラする日常がはじまります。今回はそんな連載開始前期待レヴューのしめくくりです。

漫画「姫神の巫女」の掲載誌は角川出版社の少年漫画誌とのことですが。
その編集方針しだいでは、この物語が原案のまとう雰囲気を離れてしまう可能性もありますよね。原作者の介錯先生のこれまでの作風からいいましても。このウェブノベル連載時にとある章で、いわゆるパラさし止めのような、読者の渇望を煽るのかのようにいきなり最終回騒動があったり、なんらかの仕掛けがあったりしそうなので、いろいろ覚悟はしておいたほうがいいでしょう。自分に言い聞かせるために書いときます。

九のつく組織とか、ラスボスめいているのに存在感ナッシングだった霊句子(たまくし)さまやら、置き去りにされた舞台設計にも、絵になることでもうすこしわかりやすくなるのかもしれませんね。やさぐれエラソーマ化した大神くんもどきは、ミカ様みたいな黒歴史エピソードがあったりするとか。男子中学生の野望みたいなおいたを千歌音ちゃん紛いに働いていましたが、あのカット、あのまま使うのでしょうか…(悩)。ソウマくんは「百合作品に唯一存在を許された男」として昨今は評価が高まっていますが、今回の双磨さんは権威に胡坐をかいたゆがんだエリート面なので、漫画版でもうちょっと救いがあるといいですよね。

さらに。
小説には出てこないキャラや後付け設定が生まれることで、お話に奥行きがでてくるのかもしれませんね。神無月の巫女アニメと漫画が違うラストを迎えたように。

ウェブノベルじたいは全七章のみですが。
月刊誌の数十ページ連載だと、一章あたりに一話か二話を費やして、十数話ぐらいの展開なのかも。原文はかなり濃密な描写なのですが、漫画にしたら、一節が一頁ぐらいになる場面もありそうですし。そうするとコミックスになったら、「神無月の巫女」並みに全二巻相当でしょうか。「京四郎と永遠の空」は三巻、「アムネシアン」は四巻。もともとの前作の「十字架トライアングル」は一巻のみなので、ひめちかストーリーは順調に巻数を伸ばしていますが、五、六巻ぐらいまでは読んでみたいな、などと欠乏症人間は無謀にも願ってしまいます。

ウェブ連載時は2000年代末から2010年前半。
当時はまだ平成で、携帯電話。しかし、予告カットからすれば令和現代のお話にするのかという指摘もあり。とすれば、アニメの「やがて君になる」みたいに、スマホのLINEでスタンプでやりとりするんでしょうか。スマホだとおっぱいポストできないんですが、姫子ってば、フェイスブックで学校の百合友とリア充な画像載せたり、ブロックしたりミュートしたりして、千歌音ちゃんを翻弄させつつ、えぐい本音を書きつけた裏垢を発見させて、ツイッターで愛と死の招待状を何食わぬ顔で送信みたいなことするんでしょうか。こんな神無月の巫女はいやだ案件ですわ、これは。

漫画化なので、ウェブ連載上の挿絵を使いまわしできそうなのですが。
もし、令和時代の流行にあわせるのならば、やはり新作描き下ろしになりそうですね、これは。いまの絵柄は、介錯先生が幼児向けキティちゃん漫画を経ているので、かなり線が丸くなっていますが…。

多くの続編にはきれいに閉じたものを開く危険性が伴いますが、風呂敷包みを心得顔で結び目解けばそれは別ものであったというスピンオフには、スピンオフだからこそ許される大胆な趣替えがあります。世間様の百合嗜好に媚びることなく、ひとつの同じキャラクターを延々流用して、いろんな愛のかたちの是非を問いかける実験作なのかもしれませんが、まあ、制作者陣が楽しく創作して発表しているのを見るのはファンとしては嬉しいものですね。

このウェブノベルが訴えているのは、百合の禁断愛のみならず、家どうしのしがらみや旧弊の慣習からの解放とか、信仰への疑問とか、それを超人的な力ではなく、等身大の個人の意思と判断力でおこなうことの大切さ、なのかもしれませんね。姫子と千歌音は、神さびた田舎では理解が得られないので、月の社のような異世界に引きこもるか、もしくは恋愛関係のない間柄として生まれなおすしかなかったところ、この世界においては地上の現在において堂々と同性の恋人であると宣言できる。時代に先駆けた作品に、やっと時代が追いついたのだと感じた人は多かったでしょう。

個人的には女友だちにあのような裏切りをされたら、フレネミー認定されてもう絶交ものだと思いますが…。愛とは赦しと相互理解なのかもしれませんね。罪を憎んで人を憎まず、神を呪っても運命は開けず。



楽しみ方のひとつとして、過去作との比較認識法がありますが。
この機会に、神無月の巫女のみならず、他関連作としての「京四郎と永遠の空」「絶対少女聖域アムネシアン」へも関心が寄せられればいいですね。ひめちかの再生を夢見すぎると変な笑いがこみあげたり、百合愛が深すぎて稀にオロチ化したりする怖れもありますが、そんなときはアニメ神無月の巫女を繰り返し観ればだいじょうぶ。古のヲタクが言うのだから、間違いありません(無責任)。個人的には「アムネシアン」は、恋愛としての百合ではなくて、個々人の禁断の愛とかでもなくて、慈愛とか博愛とかに仁愛とか幅の広いものに辿り着くものなんでしょうか。神様の愛って残酷ですね。



それにしても16年という月日は長いようで短かったような。
長生きはしてみるものですね。アニメ神無月の巫女のDVD-BOXのブックレットに書かれてあった原作者先生がたの意思表明はやっと実を結んだわけですね。

*漫画「絶対少女聖域アムネシアン」&ウェブノベル「姫神の巫女」、そのほか関連作レヴュー一覧*
漫画「絶対少女聖域アムネシアン」および、ウェブノベル「姫神の巫女」、そのほかの漫画などに関する記事です。

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