陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。

「蒼のゆりかご」(五十八)

2012-06-19 | 感想・二次創作──魔法少女リリカルなのは


「ちょっと失礼するよ」と言い置いて、恭也はトーマの胸の前に手を突っ込んだ。
トーマは触れられないように、後ろに身を引いた。そのトーマの腕に、藁をも掴めとばかりに、小型カメラデバイスのアームが必死にすがりついてきた。
袖を腕まくりしたところすれすれまで沈めた青年の腕が水をかき混ぜている。すぅ、と抜いた濡れ手をズボンの太腿で拭いながら、恭也は怪訝な表情をした。

「下のほうはまだ冷たいけれど、寒くないか?」
「平気です」

と言ったそばから、トーマは小さなくしゃみを洩らした。
湯船にまあるく切り取られた宇宙が、またさざめいて揺れた。胸元から下の肉いろの色彩が細かく砕けた。

『おや、どなたか噂しましたね。おそらくお喋り好きな女性陣でしょう。筆頭格はイーグレット嬢あたり』
「うう、たぶんあいつらか…」

鼻水をずず、とひきずって肩に湯を浴びせているトーマを、恭也が見ていた。

「この地方は海が氷漬けになったせいで、夜はいちだんと寒くなったんだ。からだの芯まで温めておかないと風邪を引く。大事なお客さんを病気にしたら、喫茶あをのやの名折れだ」

恭也はトーマの背後にかがみこむと、ドラム缶の下に炊かれた炎に薪をくべはじめた。
温められた水が下から広がってきた。映し出された夜空に見とれ、澄んだ夜の山の空気を吸う。その楽しさのあまり、湯が冷め切ってしまったことなど忘れてしまっていたのだ。トーマの風呂は長く、すでに一時間は浸っていた。

トーマの頭上に乗っかりながら、スティードがシャッターを切っていた。
長時間露出でフィルムを回しっぱなしにすると、撮影された夜空の天体は、レコード盤の溝のように美しい弧を描いてくれる。トーマが長風呂をしすぎるのも、愛機の撮影時間を延ばすためだった。

「夜空を眺めながらの風呂なんて、乙なもんだろ」
「そうですね。こんなにきれいな星空は久しぶりです」

ここ三日ほどの逃亡劇では得られなかった充足感だった。
川に口をすすぎ、野草を枕にして寝る夜。リリィの身柄が心配で心配でたまらず、夜中でも見張りに立っていたから、ぐっすりと睡眠もとれなかったのだ。
湯水には温泉の素を入れているらしく、ほのかに香り高い湯気が舞い立っている。肌すべりのいい湯を肩にかければ、いつまでも浸かっていられそうだ。出るのが惜しいくらい。

「このお湯も気持ちがいいです」
「そう言ってもらえると嬉しいな。うちの妹も手荒なもてなしをした甲斐がある」

ぱちぱちと爆ぜる焚火の音にまじり、恭也の声がぼやけて聞こえてきた。

ジャンル:
小説
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