陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。

「夜の眇(すがめ)」(二十四)

2009-09-30 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空

それからの千歌音は、もう巫女としての使命感に目覚めないわけにはいかなかった。
姫子に村の惨状を伝え、自分に何が欠けていたかを教え請うことに迷いがなかった。自分の幸せを願ってくれる、その人の声に耳を貸さず、その瞳に顔を向けず、その胸にこころを寄せぬはずがないだろう。

「わたしたちが戦っているのは、私たち自身が望んだ楽しさや明るさの代償にあるもの。あれはもとはひとりひとりの人間にある弱さなの。わたしとあなたならできる。あの呪われた巨神(おほちがみ)を討ち滅ぼすことが。そして、この美しい世界を救うことが」
「でも、どうやって、あんな大きな邪神を倒せるというの? 剣の巫女というけれど、剣なんてどこにもないのに?」
「剣はわたしたちのなかにある。そして、わたしたちは剣のなかにある。大いなる鏡の光の下で、剣のなかで、わたしたちがひとつになれば、世界を救うことができる──千歌音はまだ思い出さない?」

姫子がゆったりとした笑みを口もとに浮かべて語ったその言葉は、千歌音にはわからなかった。ただ、一瞬だけ、何かの残像が頭の中を走り抜けていったのだった────巫女装束をまとったふたりが、前後に並んで、宙に浮かんだ銅鏡のようなものを動かしながら、祈りを捧げている、そんな姿が。

「わたしを信じられないのなら、それでもいい。でも、わたしはあなたを信じている。だから、これをあなたに預ける」

千歌音の前に差し出されたのは、姫子が肌身離さずに首から下げていた、あの勾玉だった。
9というアラビア数字をかたどったような不思議な翡翠の玉。中央が穿たれた半球と、半分に割った三日月を張り合わせたようなかっこうをしている、あの勾玉。

「これをなぜ、私に? 大事な物ではないの?」
「千歌音だって、昔、大事なものをくれたじゃないの。千歌音が受け取ってくれないのなら、どこかへ捨ててもいいけれど?」

姫子が心なしか嬉しそうだ。
千歌音の顔が曇っている。どうにも気軽に受け取ってよいものではない。だからといって、聞き捨てならない、見捨てることもできない。なのに、姫子ときたら、そこらで拾ったばかりの芋かなにかのように、放り投げんばかりである。

そもそも、子どもが執着をみせた愛玩物を無邪気に投げ捨てるのとは違う。
それはこの世界のどこにも売ってもいなければ、何かの代用で間に合わせることもできないからだ。神仏への喜捨とは、自分の望みに何倍もの利殖をつけて返してもらうために行うものである。手垢にまみれた浄財によって、ひとはおのれの欲望を清く正しいものだと信じこむ。神に仕えしお歴々は、どの時代でも、自分のなかに聖人とともに、みずからの悪人をもっている。お布施しないと幸せになれないという、職務上の詭弁はきわめて神聖な強請(ゆすり)であろう。

「宝物の大切さは、当人にしかわからない。でも、他人から見てもあきらかに大切なものを粗末にするなんて、私は許せない」

そう嘆いてしまってから、千歌音は顔を火照らせた。
今の言葉が、まさしく、数年前の井戸の前でおのれを空しくしようとして自分への痛烈な意趣返しであると気づいてしまったからだった。

他人に認められたいばかりに集めたものは、すぐに色褪せてしまうことがある。
千歌音は姫子に好かれたいがために、自分を大切にしたいのではなかった。姫子もまた自分を人質にして、千歌音を振り向かせたいのでなかった。

あのおもちゃをがらくたと称した姫子は、あのとき、何と言っただろうか。人のこころは、人でしか豊かになれないのに────そう、語ったはずだった。そして、いま、千歌音はあのがらくたどころか姫宮家から得ている身代すべてを擲(ながう)ってでも帳尻があわない、尊いものに出くわして、かつ、失いたくないと切望している。姫子が得体のしれない巫術使いだろうが、魂のふらついた風来坊だろうが、はたまた、ときに陽気にじゃれついてくる仔犬だろうが構わない。どんな姿だろうが、形だろうが、その人を失いたくないのだった。


姫子が真実誓って、千歌音にくれてやりたければ、黙って袖の底に落とし入れればよかった。
洞穴の暗がりに物言わぬささやかな守り神となって存在し、知らぬ夜の間に花びらを描いてのこすような姫子であれば、それは造作もないことである。それを、敢えてしない。手ずから与えて、有無を言わさず握らせる。姫子のその頼みが、あたかも形見分けのような気がして、千歌音にはなおさら怖かったのである。



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