満天の星空だった。
星屑をばら撒いたような空とは、こういう空を言うのだろう。
手のひらでさらりとかき混ぜると、星の集まりが闇の深さに融け、たわみながらまた規則正しい星の羅列をもった静かな夜空が生まれていく。世界は鍋にかけたスープのように、神様の息吹をかけられながら、ゆっくりゆっくりと攪拌されて形づくられのだと、幼な時分の枕元で聞かされた。
トーマ・アヴェニールは、生あたたかな銀河のなかに浸されていた。
手のひらですくうと、直径70センチほどの海に溜め込まれた星屑が、指の間から零れ落ち、瞬きはするりと抜けていってしまう。
まあ、いいや、とトーマは背中をスチール管に持たせかけて空を仰いだ。ほんのりと舞い上がる湯気が、夜の闇をゆらりゆらりと駆け上がっていく。
頭を星々の座する空へと向け、ひとつひとつの輝きをていねいに追っていると、当然ながら首がしこたま痛くなってくる。が、どうにも見飽きない。
「やっぱ、本物の星空はスケールが違うな。スティードのプラネタリウムもいいけどさ」
湯船の下から小さな気泡があわ立ってきた。
噂をすれば影とはこのことか。ぽこぽこと音をたてながら浮上してきたのは、紅いひとつ目のレンズをもったスティードだった。目玉の親父のように、ぷかぷかと湯水に浮かんでいる。防水仕様の彼は、表面のメタル金属を融かすほどの高温でなければ、熱湯のなかでもいたって平気なのだった。
「湯加減はどうかな?」
「ちょうどいいですよ」
『いいお湯です。エクセレント!』と、スティードが右手のアームをあげた。グッジョブのポーズらしいのだが、あいにくこのデバイスがやると、怒りで振り上げたこぶしも、ごきげんなあいさつでの挙手もおなじみに見えてしまうのが、いささか寂しい。
声をかけたのは、二つに折りたたんだ白絣の着物、格子縞の江戸半纏を腕にかけた恭也だった。
トーマの浸かるドラム缶風呂の斜め前には、木製の椅子が置かれてあった。清潔そうに糊付けされた白い浴衣と帯は折り目のついたままその背中にかけられ、下着を挟み込んだ半纏は椅子の座部に四つに畳まれて置かれた。
「着替えといっても、こんなのしかなくてね。寝巻きにと持ってきたものだが、使う機会がなかったんだ。役立ってよかった」
「お構いなく」
湯船から肩を覗かせたトーマは、ドラム缶の口に添えた両肘を外してお辞儀をした。
頭が下がったとたんに、手ぬぐいが水面に落ちた。濡れた髪を滑ると、頭がやけに重く感じられた。じっくりと修正されつつあった星空がまた、波紋になって乱されていった。落ちた手ぬぐいを頭からかぶってもがいていたスティードが、ぶくぶくと沈んでしまった。