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一番の要因は、一橋大学と東京工業大学が「統合できなかったこと」じゃないの

2018-12-07 14:07:37 | 大学受験


12/5(水) 6:00配信 ダイヤモンド・オンライン

2018年12月8日号の週刊ダイヤモンド第一特集は「日本人はもうノーベル賞を獲れない」です。20世紀に入ってから、日本は米国に次ぐ数のノーベル賞受賞者を排出しています。その受賞者の出身高校・大学を調べてみると、西日本の出身者が多く、東京は少ないことが分かったきました。その理由を探った本誌特集記事を、ダイヤモンド・オンラインで特別公開します。
 2018年のノーベル生理学・医学賞に選ばれた本庶佑・京都大学高等研究院特別教授は、山口県内のトップ校の一つである県立宇部高校を卒業し、京都大学医学部医学科に進学している。

 ノーベル賞受賞者の出身高校に注目すると、所在地は西日本に多く、東日本は少ない。また、ほとんどが地方の公立高校出身である(次ページの一覧表参照)。

 東日本でも特に東京都となると極端に少なく、利根川進氏(都立日比谷高校)のたった一人。都内には受験界ではトップ校といわれる筑波大学附属駒場、開成、麻布、武蔵といった名門中高一貫校が多数あるにもかかわらず、である。

 小学校時代から塾に通い、過酷な中学受験を勝ち抜いた首都圏の偏差値エリートたちは、意外にもノーベル賞とは無縁なのだ。

 世界的研究で注目を浴びる理系研究者の輩出では、非関東の公立高校が強いという傾向は、“数学のノーベル賞”といわれるフィールズ賞でも同様だった。

 日本人の受賞者である、小平邦彦氏(1954年)、広中平祐氏(70年)、森重文氏(90年)の3人を見ても、広中氏は山口県立柳井高校、森氏は中部地区トップの名門私立、東海高校(愛知県)出身で、いずれも西日本にある。唯一、小平氏は東京都立小石川中等教育学校の出身だが、長野県立松本深志高校からの転校組だ。

● 東日本の受賞者が少ない理由と SSHの存在

 東日本の高校出身者に理系の世界的研究者が少ない理由の一つに、西日本と比べ東日本には、旧七帝大、旧制六医科大といった研究レベルの高い大学が少ないことがありそうだ。

 結果、多くの人が、その下に続く早慶上理、MARCH(明治大学、青山学院大学、立教大学、中央大学、法政大学)といった私立大学に進むことになる。学力トップ層が研究者以外の官僚や民間企業就職へ流れやすい大学序列構造となっているのだ。

 一方で西日本の私立中高一貫校や公立高校の場合、旧帝大や旧六医大といった、理系の研究レベルの高い大学が身近に存在する。むしろ首都圏の私立大の方が縁遠い。こうして自然と、西日本に理系の研究者が多く生まれるわけだ。

 また、そもそも西日本の高校の方が理系教育に熱心であるという仮説も成り立つ。それを、文部科学省が国際的に活躍する理系人材を養成するための政策として02年から行っている「スーパーサイエンスハイスクール(SSH)」の認定校の分布から見てみよう。

 いわば、“将来のノーベル賞級の研究者”を生む可能性のある学校だが、18年度の認定校は全国で204校。このうち東日本は90校、西日本は114校だった。やはり、西日本の方が理系への意識が高いことが分かる。

 もっとも、「将来、ここから有力な理系の人材が輩出されるとは、正直期待できない」と、冷ややかに語る高校関係者も多い。

 というのも、東京大学や医学部への合格などそもそも理系教育に定評のある私立中高一貫校や、トップ公立高校といった伝統校ほどSSHの認定を受けることに消極的という傾向があるというのだ。むしろ認定校は、おおむね2、3番手の公立高校が中心だという。

 なぜなら伝統校の場合はすでに独自の理系教育が確立しており、今更、国が指定するSSHの制度やカリキュラムを導入することには抵抗を感じるという実態があるようだ。

 教育による社会全体の底上げは一朝一夕にはできないだけに、難しい問題だ。



ところで、かつては、東京商科大学(→ 一橋大学)、神戸商業大学(→ 神戸大学)、大阪商科大(→ 大阪市立大学)のことを、「三商大」と言い、帝国大学に匹敵する教育機関として君臨したが、このうち、神戸と大阪は戦後、理系も含めた「総合大学」へと変貌したのに対し、東京だけは、今でも、社会科学系学部しか存在しない「単科大学」のままである。

だからといって、今の一橋大学が、東大に次ぐという財界の評価にはほぼ変化はないと見られる。

一橋大学は文系しかない大学でありながら、二次試験における、数学の問題の難度は非常に高く、恐らく、理系志望の受験生でも手こずるようなものが何題か出題される。

そんな「ハイレベル」の大学であるならば、研究面においても、それなりの実績を挙げてもおかしくないはずだが、承知の通り、日本人のノーベル経済学賞受賞者は一人もいない。ま、この賞が1969年創設という、「新しい賞」であるという側面もあるが、戦前から、経済・商業分野における日本のリーディング大学であるならば、経済学という学問に秀でた人物が、一橋大学からも、少なからず出てきてもおかしくないはずである。

同様に、東京工業大学も、日本の工学分野におけるリーディング大学として君臨してきた。工学と理学というと、以前は「水と油」のような関係とさえ言われたらしいが、今では、理学的な学問も、工学的な手法によって研究が行われているケースが少なくないと聞く。

だとするならば、東京工業大学にも研究面における著名な人物がどんどん出てきてもおかしくないはずだが、あまりそのような話は聞かない。

思うに、東京の国立大学から、ノーベル賞のような世界的権威を誇る賞を受賞する学者が、今のところ、あまり存在しない理由の一つに、東大しか総合大学が存在しなかったことに原因があるのではないかと思われる。


実は、かつて、東京には「もう一つの総合(科)大学」が存在していた時代があった、東京文理大学(→ 東京教育大学 → 筑波大学)である。

但し、学部は文理学部のみ。そこから、学科が細分化されていた。

だが、この大学は、「研究派」と「教育派」が深く対立したことが尾を引き、東京教育大学に改組されてからは、「教育大学」とは名ばかりのカラーになってしまった。そのため、新たな組織としての大学が求められた結果、筑波大学に生まれ変わったが、この大学は東京を離れた。


対して、関西はというと、京大、阪大、神大は皆、総合大学だし、公立ではあるが、大阪市立大も上記の通り、総合大学となっている。加えていうならば、左記の4大学には全て医学部が存在する。

山中伸弥教授の経歴の中に、神戸大学医学部、大阪市立大学大学院医学研究科(博士課程)が存在したことがクローズアップされた。山中教授はもともと、医師を目指していたものの挫折した。しかし、医学研究の道を志すべく、大阪市立大学の大学院の門を叩いた。実は、これが、iPS細胞への第一歩となったのである。

こういう経歴は、関西に、医学系の大学、大学院が少なからず存在しているからこそ生まれたものだといえよう。


さて、ノーベル経済学賞の話を出したが、実はこの賞、意外と数学者の受賞者が少なくない、「ナッシュ均衡」で有名なジョン・ナッシュも数学者である。

だとするならば、仮に今、一橋大学と東京工業大学が統合されていたとするならば、「どうなっていた」ことだろう。恐らく、工学系の理論を駆使した、高度な経済学理論が構築されていたかもしれない。

東大は今でもそうだが、「政治家、官僚」といった、国を掌る人材を育成することを主眼に置く大学なので、必ずしも、学問研究が最上位とは限らない。

だとするならば、東大とは趣の違う、「もう一つの、ハイレベルな国立総合大学」が東京に存在していないことが、今となっては尾を引いているとしか思えない。

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