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安倍晋三のせいで京都産業大学が岡山理科大学に「負けました」(2017年5/18 毎日放送)

2018-05-22 02:22:19 | 加計事件
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獣医学部“京産大は新設できず” 「加計学園」の波紋(毎日放送) - Yahoo!ニュース https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170518-00000064-mbsnews-soci @YahooNewsTopics

毎日放送 5/18(木) 19:14配信

安倍総理の友人が理事長を務める加計学園の獣医学部新設をめぐる問題。実は関西にも関係する話でした。京都産業大学。出身者には笑福亭鶴瓶さんら、そして教授にはノーベル賞を受賞した益川先生がいます。この京都産業大学が加計学園と同じタイミングで獣医学部の新設を求めていたんですが、国が示したたった1行の条件によって設立を断念していたことがわかりました。

 医学部。人の命を救う医師を生み出すその学部は、大学にとって「花形」であり受験生にとっても憧れの的です。しかし、医師の増えすぎを抑えるため大学が勝手に医学部をつくることはできず、新たな医学部は37年間にわたって設立されませんでした。

 これは動物の命を救う獣医学部についても同様で現在、全国にわずか16しかありません。新たな獣医学部は50年以上つくられてこなかったのですが、そんな中、安倍政権が進める国家戦略特区を使って新設にこぎつけたのが、安倍総理の友人が理事長を務める加計学園だったのです。この件をめぐり文部科学省が作成したとされる内部文書には…

 「『最短距離で規制改革』を前提としたプロセスを踏んでいる状況であり、これは総理のご意向だと聞いている。官邸の最高レベルが言っていること」

 加計学園が獣医学部の新設を認められたその影で、涙を飲んでいた関西の大学がありました。京都産業大学です。現在、9つの学部を抱える京産大。産近甲龍の一角として知られ約1万3000人が通う総合大学ですが、医学系の学部は持っていません。そこで京産大は国家戦略特区を利用した獣医学部の新設を構想。動物病院などで働くこれまでの獣医とは違い、iPS細胞を使った再生医療などライフサイエンス分野で活躍する獣医を育てたいとして、京都府を通じ国に規制緩和を求めていました。ところが、去年11月になって内閣府が提示したある条件が京産大の構想を打ち砕きます。

 「獣医学部の新設は近くに獣医学部がない地域に限る」(規制緩和の条件)

 この条件によって同じ関西に大阪府立大の獣医学部があることから、京産大は認可がおりないことが濃厚に。さらに「来年4月に開設」という実現不可能な条件まで追加されたことから新設を断念したと言います。

 「(安倍首相と加計氏は)極めて長年の友人です。だからお聞きしているんです。政策がゆがめられているんじゃないかという質問です」(社民党 福島みずほ副党首・参院予算委3月)
 「彼は私の友人ですよ、ですから会食もします、ゴルフもします。でも彼から私頼まれたことありませんよ。もし働きかけて決めているのなら、私責任をとりますよ。当たり前じゃないですか」(安倍首相)

 国が出す「たった1行の条件」によって現場は大きな影響を受けます。上の「意向」、下の「忖度」は本当になかったのでしょうか?



いわゆる、「関関同立」(関西大学・関西学院大学・同志社大学・立命館大学)も含めた、関西の主要総合私立8大学(左記の「関関同立」以外の、京都産業大学・近畿大学・甲南大学・龍谷大学(俗に、産近甲龍と称される4大学)を含めた総称)の中で、医学系の学部を有するのは近大だけ。

その近大とて、獣医学部はないので、京産大にとっては悲願だったはずなのに、安倍晋三コネクションに「負けました」。

しかも、「益川先生」は大の安倍晋三嫌いで有名。事あるごとに、安倍をこき下ろしていたからねぇ。

でも、京産大はもともと「ウヨ大学」で、それこそ、日本会議が好みそうな信条を持つ大学でもあるんだけどねぇ。

何せ、民青等、古い大学だったらごく当たり前に今でも存在する「サヨク系組織」がないという、「珍しい大学」なんだから。

つまりは、「日本会議好みの大学」である京産大を蹴ってまで、加計孝太郎のほうを選んだ安倍晋三の節操のなさ、というのか、はたまた、「友達想い」というのか、そういうものが働いた、としか思えないね。

もちろん、それなりの「キックバック」(見返り)があるがゆえのことでもあるんだが。


なお、京都産業大学は以下の理由によって開学された。


京都産業大学 学校法人設立の背景

官立神宮皇學館大学再興期成会の「日本精神の復興」の考えに基づき、船越正道(皇學館大学助教授)、岩畔豪雄(元大日本帝国陸軍少将、京都産業大学世界問題研究所初代所長)、小野良介(学校法人松柏学院常務理事、京都産業大学初代理事長。清水一行著『虚構大学』の主人公・千田孝志のモデルとされる)らを中心に開学準備がなされた。

当初は京都府福知山市でのキャンパス開設を想定していたが、適地の目処が立たず、1963年からは学祖・荒木俊馬が校地を探しているところ、洛北上賀茂国有林一帯(鞍馬街道に貫かれた本山、神山地域)の景勝地を気に入り、京都産業大学設立準備委員会(1964年結成)で校地を取得した。初代総長には大石義雄が予定されていたが、開学が大石の定年退官よりも1年早まったため、荒木俊馬に白羽の矢が立った。

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