ひろゆき発言で物議「辺野古座り込み」本当の実態 3年前と変わらない景色、住民の本音とは? 青沼 陽一郎 東洋経済オンライン2022/10/14 12:40 https://t.co/jPIt4gLlnx
— bod (@bod91313247) October 14, 2022
インターネット掲示板「2ちゃんねる(現5ちゃんねる)」の創設者として知られるひろゆき(西村博之)氏が、沖縄県名護市辺野古で埋め立ての進むアメリカ軍基地キャンプ・シュワブの新滑走路建設をめぐって発言したことが物議を醸している。
きっかけは、今月の初めにキャンプ・シュワブのゲート前を訪れたところ、基地建設反対の座り込み抗議の参加者が誰もいなかったことから、抗議日数3011日と書かれた掲示板と笑顔の写真付きで「座り込み抗議が誰も居なかったので、0日にした方がよくない?」とツイートをしたことだった。
私も辺野古には繰り返し訪れてはいるが、同じ場所を直近で訪れたのは、3年前の2019年の6月。まだコロナ禍が日本に襲来する以前のことだった。ひろゆき氏の現場評価はともかく、彼が訪れる3年も前、掲示版の抗議日数でいえば1811日の時点でも、実は誰もいない閑静な状態が続いていた。
まずは、そこで私が体験したことから振り返っておきたい。
フェンスの向こう側からにらみつける警備員
その日も、辺野古の漁港からフェンスで仕切られた海岸の向こう側の基地施設現場をのぞくことからはじめた。
平たい海岸のずっと向こうに、海に迫り出すように白い防波堤のようなブロックが積まれて埋め立て地が広がる。そこに巨大なクレーンが見えたことから、工事の進んでいることがかろうじてわかった。それよりも、フェンスに近づくと向こう側の海岸に制服を着た警備員が1人、これ見よがしに後ろ手に仁王立ちしてこちら側をにらみつけている。のぞくことすら威圧する姿勢に、どこか敵意を覚える。
そこからキャンプ・シュワブに通じる幹線道路にでて、歩いてゲート前に向かった。右手に基地のフェンスが見えてくると、左手の歩道沿いにテントのようなシートの屋根が張り巡らされた一帯が現れる。間違いない。フェンスと対峙する、これが座り込みの現場だ。東京でも座り込みの様子は折に触れて、“徹底抗戦”などの言葉で報じられていた。
沖縄の人たちにとっては、生活に密接する問題だけに放っておくわけにはいかない。それくらいのことは、私にだってわかる。だから、まずはその熱気を知りたかった。その熱い思いから、基地に反対する真意を探りたかった。そのためにここへやって来た。その現場に近づきつつある瞬間。歩みを進める1歩1歩に、期待が高まる。
と、そこへ急激に訪れる違和感。数百メートルは道沿いにシートの屋根が続いて、人の居られる空間はできているはずなのに、そこに誰もいないのだ。手製の簡易ベンチも並んでいる。グループごとに仕切られているのか、それぞれのシート屋根の下には、それぞれの抗議表明のプラカードや旗が置かれているが、ところが人影がまったく見当たらないのだ。
まるで、さっきまでの大人数が突然蒸発してしまったのか、あるいは夏の去った海の家のような光景だった。拍子抜け、というより、期待を裏切られた思いだった。
勝手にこちらが抱いた期待だったといえばそれまでだが、もぬけの殻の抗議現場の前に「新基地断念まで座り込み抗議 不屈1811日」という日数を記録した掲示版とのコントラストは、やはり違和感は拭えなかった。
しかもシートテントが続く端のキャンプ・シュワブのゲート前に置かれた、もうひとつの抗議日数を示す掲示版には、黄色字で「24時間監視中」とまで書かれていて、それは明らかに事実と異なっていた。
抗議活動には休みの日もある
抗議活動を行う彼らのいう「座り込み」とは、午前9時と正午、それに午後の3時に、キャンプ・シュワブのゲートとは別に道路沿いに設置された搬入口から、埋め立ての土砂が運び込まれる。その時間になると、その搬入口の前に「座り込む」ことをいった。しかも当時は、バスで乗り込む団体もいた。
そのことを基地側もわかっているから、定刻前になるとパトカーが先導して土砂を運ぶダンプカーが一列に隊列を組んでやってきて、車道脇に待機する。そして1日3回の定刻になると、機動隊や民間の警備会社の人たちが、座り込んだ人たちを排除する。と、いうよりも、どいてもらう。それから搬入口のフェンスが開くと、1列に並んでいたダンプカーがいっせいに基地内に流れ込む。それが繰り返される。
しかも、私が訪れたこの日は6月21日。沖縄慰霊の日を2日後に控えた金曜日だった。その記念式典に出席するため、安倍晋三首相(当時)が那覇にやってくる。その警備に、普段はここで抗議活動に対処する機動隊員も、那覇に動員されていなかった。だから、土砂の搬入活動も中止。それを知っているから、この日の抗議活動も取り止め。午後の3時になっても、誰も集まらなかった。
つまり、土砂の搬入のない日、工事のない土曜日、日曜日は抗議活動もお休みになる。
「あれはパフォーマンスだよ」
地元の住民がそうこぼしていた。沖縄県民の誰もが基地の建設に反対というわけでもない。むしろ基地が大きくなって、にぎやかになってほしい、と本音では望む人もいる。それでも、どこか寂しそうに続けた。
「だから、県外から純粋な気持ちで抗議活動に参加しにやって来たのに、半ば失望して帰っていく人もいた」
午後3時になっても、誰も集まらない「座り込み」の現場。ブルーシートの屋根の下に1人の人影を見つけた。待ち合わせの約束をしていて、たまたまやって来たという中年の男性。その人物から誰もいない事情を聞き、そして最後にこう質問してみた。
こうした抗議活動を続けても、工事は着実に進んでいく。そこに意味はあるのですか、と。すると、彼はこう答えた。
「ここの埋め立て工事とほぼ同時期に、那覇空港の第2滑走路の埋め立て工事もはじまった。那覇空港のほうはすでに埋め立ても終わり、いまでは地上の工事に取りかかっている。だけど、こっちはいまでも埋め立てが続いて、3%くらいしか進んでいない。座り込みで搬入口は常時開いているわけではない。その分だけ工期が遅れる。工事を少しでも遅らせる目的でいえば、効果はある」
まるで、クリント・イーストウッドの映画の中で、硫黄島を死守しようとした栗林忠道中将が語った言葉を思い起こさせる。因みに、那覇空港の第2滑走路は2020年3月から運用がはじまっている。
反対運動は停滞している
あれから3年。いまでも同じ「座り込み」活動は続いている。だが、人数は減っているという。
「長期戦だから、人が減るのは仕方ないよ」
そう語るのは、金武町の元町長で、沖縄県の基地問題担当の政策参与も務めた吉田勝廣氏だった。そこにコロナ禍の影響も加わる。
「反対運動は停滞している。だから再構築の必要がある」
反対派の吉田氏の目指すところは、工期を先伸ばすことによって、民意を醸成させるところにあるという。
基地建設にあたっては、沖縄県民の負担が増えるなど、反対する理由や事情はいろいろあるが、将来を見据えてもっと合理的に考えなければならないところもある。
例えば、アメリカ軍の海兵隊編制の問題だ。世界情勢によって、あるいは大統領選挙で政権が交代すると、アメリカ軍の編制が見直され、変更される。それによって沖縄も振り回される。いま建設中の辺野古の滑走路も必要がなくなる可能性もある。
最新鋭の主力戦闘機はF35だ。このうち主に海兵隊仕様のF35Bは短距離離陸と垂直着陸ができる。これを搭載することによって、海上自衛隊は護衛艦の「いずも」と「かが」を小型空母に改修して、2024年度以降に配備する計画が進む。巨大な滑走路もカタパルトも必要ないからだ。
今から返還されたとして、どう使うのか
辺野古に建設中の滑走路は、岬を挟んで左右を埋め立てて延びる計画だ。だが、埋め立て部分はどうしても地盤沈下が起きる。他方で岬の部分はそのままだ。そうすると、時間が経つにつれて滑走路に段差ができることになる。戦闘機を飛ばすのに支障がでてくれば、無用の長物に終わることも考えられる。そうしたことは、沖縄だけの問題にとどまらない。
しかし、工期が先延ばしになるとしても、すでに埋め立てははじまっている。あらためて基地の見直しに民意が揺れたところで、すでにできあがったものをどうするのか。
「埋め立て途中のものも含めて、全部返還してほしい。そこにリゾート施設を建設する。そうすれば、沖縄も潤う」
3年前に会ったときから吉田氏はそう語っていた。2030年以降といわれる滑走路の完成のころには、世界情勢もどう変化しているかわからない。いずれにせよ、基地建設をめぐって反対する意見は根強く、議論の余地が残ることも、現地で知った事実だ。