小田原競輪に想う。私的「再建案」 https://t.co/sMCOuRHp5h @nikkansportsさんから
— Naoya Sano (@109Yoroshiku) 2018年11月11日
[2018年11月11日19時56分]
先日、一部報道で小田原競輪「廃止」が伝えられたが、施行者はそのような事実はないと否定した。
小田原競輪の開設記念G3はお盆開催が恒例だったが、数年前から時期が変更になった。この影響で売り上げが減少することは予測されたはずなのに、今日まで目立った対策を取っていない。このまま何の手も打たなければ、廃止の議論が活性化してしまう。
20年前は「小田原は安泰、伊東は廃止寸前」と言われていたが、現在では完全に立場が逆転した。小田原は、伊東や平塚よりも交通アクセスが良く、今でも1日平均2000人もの来場者がある。運営方法次第では、収支が改善できるチャンスがある。そこで、数年前から考えていたアイデアを提案したい。
1 ガールズ開催の実現
新規客を呼ぶ優良コンテンツとなったガールズケイリンは必須。現在はガールズ選手の宿舎を確保していないため実現していないが、男子選手と分宿する方法もある。都心から新幹線で30分ちょっとのアクセスは、多くのガールズファンを呼べる。
2 他場併売時の、本場のレース発走時間見直し
F2開催時に、G1、G2、G3などの場外発売を優先するために、本場の最終レースを15時ごろ終わらせるのは、本場の車券売り上げアップに影響しているように感じる。その上、小田原に参加して一生懸命走っている選手のモチベーションも下がってしまうのではないだろうか。
3 食堂エリアを憩いのスペースに
老朽化してしまった藤棚裏の食堂。建て替えは経費がかかってしまうが、昭和レトロ感を生かした「屋台村」のように飾ることはできないだろうか? 小田原市内の若者向けの飲食店などにも出店を募れば、オールドファンのみならず、若者のデートスポットにもなりえる。
4 無料送迎バスの降り場の見直し
帰りのバスの降り場を東口の繁華街周辺に設けることはできないだろうか? 人の流れを市内の飲食店に向けられれば、商店街の活性化にもつながり、相乗効果が生まれる。
5 ナイター開催の実現
近隣の住宅街、学校などに配慮して議論されていないが、立地条件が同じような競輪場でもナイター開催を実施しているところはある。普段、競輪場周辺の道路は真っ暗な所もあることを考えれば、近隣住人に対して「開催中は周辺地区を明るく照らし、警備員や清掃員を配置させることで、逆に地域の安全などを確保できる」と説得できる要素があると思う。実際に伊東競輪はナイター開催に踏み切ったことが、売り上げ上昇の起爆剤になった。
私は小田原に生まれ育ち、ここで競輪と出会ったこともあり、とても愛着がある。だから、黙って見ていることはできない。
日本競輪選手会や現場の関係者は『廃止報道』に怒りを隠さなかったし、「このままでは駄目だ」と前向きに動いている。小田原競輪の施行者も危機感を募らせ、売り上げ低迷から脱却して廃止の議論が起こらないように頑張って欲しい。【松井律】
小田原は、ふるさとダービーの開催ぐらいはやってほしかったな。
何せ、現存する競輪場の中で、現在のGIとGIIに相当する大会を一度も開催していないのは小田原だけである。
確かに、「GIとGIIは経費がかかるだけ」の大会に今やなってしまったが、GIやGIIを開催すれば、全国から客が集まる。
上記には、伊東の話が書かれているが、実は、伊東が「復活した」のは、ふるさとダービーや東西王座戦といった大会に、積極的に手を挙げたからである。
しかも、21世紀初頭の頃は、「伊東と奈良はビッグ開催をすれば必ず成功する」とまで言われたほどだった。
それを契機に、伊東はナイター開催も行うようになった。
小田原と伊東は、実はそんなに離れていない。また、上記にある通り、20世紀の終盤には、むしろ、伊東のほうが廃止寸前とまで言われたほどだった。
結局、競輪に積極的に取り組む姿勢を見せた伊東と、そうではなかった小田原の差が出た。
しかしながら、入場者数を見ると、小田原のほうが伊東よりも多い。記念開催だと、3000人ぐらい入るときもある。小田原は333なので、スタンドはそう大きくないから、「満員状態」となる。
コンドルの社長も、その光景を知っているので、客が入る小田原を廃止するのは競輪界の損失とまで言っている。
予定通りだと、2020年3月で廃止となるが、まだそれまでには時間がある。せめて、ガールズケイリンぐらいはやってもらいたいね。
ガールズをやると、まず、私は「必ず見る」。
今、小田原と小松島は、ガールズをやってないので、この2場のレースは、記念ぐらいしか見ない。これは、はっきり言ってPRする機会を喪失している。
以前書いた通り、藤沢秀行が「湯河原合宿」という名目で、弟子を連れ立って毎年やってきたのが、小田原競輪場だった。歴史もある競輪場なので、谷津田陽一や高木隆弘といったタイトルホルダーを生んだ。新人王の小門洋一もいた。
「名門」小田原競輪、まだまだ再興は可能だぞ。