自民・武藤議員に直撃!「利己的発言の真意」 炎上ツイートは不用意だがリンチも問題だ(東洋経済オンライン) - goo ニュース
08月07日 06:04東洋経済オンライン
自民党の武藤貴也議員(36)が、安全保障関連法案の反対デモをしている学生団体「SEALDs(シールズ)」について、「戦争に行きたくないは、利己的個人主義だ」とツイートして炎上中の事件。なぜツイッターでこのような発言をしたのか、真意を問いただしたく、本人に取材を申し入れた。
国会会期中ということもあり、党本部からメディアへの接触を避けるようにという話があるらしく一旦保留。今回の取材を受ける条件として、「発言を切り取らない」ことを伝え、発言の真意とツイッター炎上に対する今の率直な気持ちを聞くことを話し、武藤議員は電話取材に応じた。その主なやり取りをすべてお伝えしよう。
その前に読者に、今回炎上したツイッターの投稿はどのようなものだったのか、全文紹介しておこう。
問題のツイート全文はこれだ
「SEALDsという学生集団が自由と民主主義のために行動すると言って、国会前でマイクを持ち演説をしてるが、彼ら彼女らの主張は「だって戦争に行きたくないじゃん」という自分中心、極端な利己的考えに基づく。利己的個人主義がここまで蔓延したのは戦後教育のせいだろうと思うが、非常に残念だ。」(武藤貴也 ?@takaya_mutou Jul 30)
電話取材での一問一答(敬称略)
――東洋経済オンラインに記事を書いている、ソーシャルメディアリスク研究所の田淵といいます。お話を聞かせてください。
武藤 いろいろお騒がせしてすみません。
――今回議員のツイッターでの発言が炎上していますが、これについてどう思いますか。
武藤 140字の(投稿)制限の中で十分伝わらず、一部分だけが切り取られました。フェイスブックやブログに今回の真意を書きましたので、そちらを読んでもらいたい。
――なぜ戦争に行きたくない、という若者の考えが利己的なのでしょうか。
武藤 世界中の人は助け合って平和を維持しています。私たちが使う石油や天然ガスなどのエネルギーも中東から輸入していますが、安全に運ばれてきている訳ではありません。日本へ来る船は米軍をはじめ多くの国が守ってくれている。そうした状況にもかかわらず「戦争に行きたくないもん」という個人的な感情で、安保法案に反対し「一国平和主義」を唱えることは「利己的」だと申し上げました。
――戦争に行きたくない、という感情は当然だし、それを主張した若者を何で利己的だと決めつけるのでしょうか。
武藤 感情としては分かりますが、それでは国際社会における義務と責任を果たせないと言っているのです。そもそも彼らは間違った情報に扇動されています。安保法案が通っても彼らが戦争に行くことはありません。
――間違った情報とは何ですか。
武藤 「徴兵制になる」「侵略戦争をする」という極端な情報のことです。
「徴兵制」は意味がない
――そういう恐れを感じているから、反対しているのでは。
武藤 軍事も専門的になってきて「徴兵制」は意味がありません。それに今回の法案では他国の領域で武力行使を行うことは禁じられており、日本が侵略を行うこともありえません。にもかかわらずそれを恐れることは扇動されているとしか考えられません。
――「戦争になったら、武藤さん自身が最前線で戦う覚悟はあるのか」とネットでいわれています。
武藤 そもそも権利行使を限定容認するというと、なぜお前が戦場に行けというように論理が飛躍するのかわかりません。
――自民党の政治家である武藤さんが率先垂範して「利己的ではない日本人の姿」を示してほしい、ということでは?
武藤 私個人のことを申し上げれば、他国が侵略してきたら、愛する家族や故郷を守るために戦います。しかし政治家が戦争に行くことは、国家としての意思決定が出来なくなりますし、政治家は軍事技術を持っていないので、実際戦地に行くべきではないと考えますが。
――「政治家は口だけ、高みの見物で、実際に戦争に行くのは庶民」という感情があります。
武藤 実際、自衛の際でも戦地に行くのは「庶民」ではなく「服務の宣誓」をした「自衛隊」です。だからこそ自衛隊には最高の名誉が与えられるべきだと思います。
――米国は大量破壊兵器を口実にして戦争を仕掛けました。多くの無実のイラク人が死んだわけです。これについてはどう思いますか。
武藤 「大量破壊兵器がある」と言って実際はなかったわけですからイラク戦争は誤りです。そもそもアラブ社会にはアラブのルール、伝統、文化があり、政治も異なります。米国の民主主義、個人主義の押しつけ、イラク領土への侵犯は受け入れられるものではないと思っています。
――ところで、武藤さんはなぜ政治家になったのでしょうか、政治信条は?
武藤 日本を守るためです。日本の伝統的な価値観を取り戻したいと考えたからです。
――今回ツイッターの炎上を通して感じたことは?
武藤 ツイッターの発言は難しいですね・・・。
――ブログやフェイスブックとの違いを感じましたか。
武藤 はい。ツイッターはアカウントを10も20もつくって、しかも匿名でやっている人がいる。なりすましもあります。自分に反対の人は、組織立ってあるいは同一人物が大量に反論のコメントを書き込んでいる可能性がある。
――ツイッターのダイレクトメッセージは?
武藤 ダイレクトメッセージの多くは、賛成の人から来ています。攻撃をおそれて目立って書き込みができないから直接メッセージしましたという方が非常に多かったです。
――ツイッターで炎上しましたが、真意をフェイスブックに書きましたね。
武藤 フェイスブックは、匿名でなく実名なので、賛成反対問わず論理的なコメントも多い。
――批判で使われる言葉は?
武藤 バカ、アホ、死ね。スズメバチ戦法のように大量に攻撃を仕掛けてきます。平和を愛すると主張し、命を大切にしろという人が、攻撃的で暴力的な言葉遣いで批判してきます。
――事務所はネット炎上中のこの数日間、どうでしたか。
武藤 電話、FAXは一時的にパンク状態に。わーと押し寄せてくる、ほとんどが批判のもの。しかしその後日常的に来るのは応援が多い。批判している人は組織だってやっている印象で、賛同者は組織でない個人が多いと感じています。
ツイッター、空虚な「言葉」の応酬
1時間余り電話でのインタビューだったので実際はわからないが、予想に反し、武藤議員は裏表のない実直な性格の政治家だという印象を受けた。武藤議員には悪いが、幼稚な頭の構造で安倍首相の国家観の代弁屋かと思っていたが、そうではないようだ。
彼のブログを読むと解るが、バリバリの保守政治家である。
ツイッター炎上を釈明する形で、彼がブログに書いた「国民に課せられる正義の要請」を読めば、よく理解できる。砂川訴訟の田中耕太郎元最高裁長官の補足意見『自国のことのみに専念』を国家的利己主義として解釈したり、岡本行夫・元外交官の「世界にいる日本人は、各国の軍隊や警察組織によって守られている」話を引用して、一国平和主義が如何に利己的な考えかを訴えている。
ツイッターの発言との落差を感じてしまう。それは36歳という若さから言葉足らずになって出た発言なのか、本音を思わず漏らしたものなのか、そこまではわからない。
ただ、一つ明らかなのは「利己的」という意味が、取り違えられている点だ。これは彼の不幸だ。橋下徹・大阪市長が「威勢の良いことを言うなら、お前がまず行け。国会議員を人身御供で前線に送り出すことを、本気で考える必要あり」とツイッターで噛みつかれていたが、空虚な言葉の応酬になっていると感じる。
武藤氏が使った「利己的」というのは、日本に合わない欧米の個人主義を利己的と表現している。利己的個人主義を生んだのは、戦後の教育であり、それに洗脳された若者の考えが「利己的だ」と言っている。
ところが、ネットでの反対意見では、そのように受け取られていない。「戦争に行きたくない」ことを利己的だと言った、と受け取られている。朝日新聞が「安保反対デモの学生は自分中心」と批判記事を書いた同じニュアンスである。文脈を読めば、戦争に行きたくないのは利己的であり無責任な考えだ、と読めるが、これは武藤氏の発言の不用意さによって起きているように思う。真意は別の所にある。
残念なのは武藤氏がツイッター投稿の140文字制限を理由にしている点だ。これは間違いだ。140字ならそれなりの表現の仕方での発言が求められる。政治家は「言葉」が左右する仕事だから、ツイート前に投稿を推敲し、真意が伝わるように配慮できたはずだ。
政治家とソーシャルネットワークの未来
あきれるのは、マスコミの報道姿勢だ。「ツイッターの発言、撤回しないんですか?」と武藤議員を追いかけ回し、コメントを取ろうとする。コメントを取るのは仕事だからいいが、本当にピントがずれている。
なぜ撤回を迫るのか。「撤回します」「お詫びします」という答えが欲しいのだろうか。彼は「撤回しません」と言っていたが、この態度は政治家としては当然だ。
3年前初めてネット選挙が解禁になった、参議院選挙を覚えているだろうか。ソーシャルメディアを選挙運動のための拡声器代わりに使う政治家が、実に多かった。多くが街頭での演説の様子や演説場所の連絡で、リアルな選挙の延長戦でしか使われなかった。
選挙が終わった途端、ソーシャルメディアでの発信をやめた政治家がいかに多かったか。武藤議員は、ブログ、ツイッター、フェイスブックを通して、今も自分の考え方や政治信条、報告を行っている。炎上してアカウントを削除したり、不都合なコメントを表示しないよう操作する政治家がいる中で、「撤回しない」「削除しない」姿勢は、政治信条がどうであれ、ポリシーを貫いている。
政策や人となりを知ることができる点が、ソーシャルメディアの利点である。ヤメロと言うことは、それを出来なくするということである。今回の不用意な発言から炎上したが、武藤議員の注目度は一気に高まった。彼の政治信条、政治家としての未来は、滋賀4区の有権者が、次の選挙で判断する。一部に「辞職しろ」という意見も出ているが、それを決めるのはあくまで有権者だ。
「炎上」のメカニズム
ソーシャルメディア上では、自分の立ち位置を考えずに、批判をされかねない発言をすると、炎上する傾向がある。政治家に限らず、有名人も同じだ。
政治家の例を挙げよう。
・池内さおり議員(共産党)
「ゴンゴドウダン」と政権批判して、湯川遥菜さん殺害報道に便乗したとツイッター炎上。テロリストの批判に手を貸す発言、空気を読めない発言が炎上の原因
・小西洋之(民主党)
米国議会での安倍晋三首相の演説を「ひどい棒読みだな。単語を読み上げているだけ。日本の高校生よりひどい」とツイートして炎上。悪口、揚げ足取りが炎上の原因
ツイッターが炎上する理由は、次の5点だ。
不特定多数の人が読み、リツイートで拡散するスピードが速い
発言に責任を持たなくてもいい、匿名の利用者が多い
フェイスブックやブログと異なり、論理的に書く(文語体書く)のではなく、つぶやく(口語体で書く)ため、その時の気分や感情で投稿しがち
2ちゃんねる的なノリ、付和雷同、デマの拡散が起きやすいメディア特性
拡散の途中で、言葉に尾ひれがつき、違った意味に変容していく
そして、炎上のメカニズムは次のような流れだ。
何でこの人が今こんなことを言ってるの!?
え?まさか。ウソでしょ
この人、立場わきまえろよ
今、空気読めよ
この発言(差別、自慢話、漏えい話、悪ふざけ)はないな
ただ、一番怖いのは、ネット炎上を恐れるばかりに、沈黙する社会だ。話題にわぁーと群がって、食い散らかして、さぁーと去って行く。言葉尻だけを捉え、ヒステリーに騒ぎ立てネットに拡散する。それを切り取ってマスコミが話題にする。同じ人間が何回もアカウントを変えて書き込み、炎上しているように見せかけることもできる世界だ。
ネットで話題になっている、炎上しているということだけで、マスコミも加担して騒ぎ立てる構造が、最近のネット炎上のパターンだ。そろそろこうした「言葉のリンチ」はやめたらどうか。
「言葉狩りがネットで進む」の未来形は、「沈黙する」社会だ。発言して批判を浴びるぐらいなら、黙っていようと皆が考えるのである。それは物事の本質を隠し、思考停止になる。当たり障りのない「言葉」が支配し、人を統制する、恐ろしい社会になる。
ところで、東洋経済も「マスコミ」だろ。
どうも日本の「マスコミ」というところは、同業なのに「俺のところとは考え方が違う」というときに限って「マスコミ」って使う傾向が見られるよね。
>ネットでの反対意見では、そのように受け取られていない。「戦争に行きたくない」ことを利己的だと言った、と受け取られている。
これは武藤の本心じゃないのか。
そりゃ、「炎上」したあとだったらどうにでもいえる。それが東洋経済におけるインタビュー記事だろう。
ツイッターは最初から文字数が限られているということを、まさか武藤自身が知らないわけがあるまい。だとするならば、より本人の主張というものが、ツイッターには反映されやすい。
但し、武藤自身はある意味、「軽はずみ」な形で『つぶやいた』のだろう。だが、政治家の言葉だ。軽はずみなど通用するわけがあるまい。
『SEALDsという学生集団が自由と民主主義のために行動すると言って、国会前でマイクを持ち演説をしてるが、彼ら彼女らの主張は「だって戦争に行きたくないじゃん」という自分中心、極端な利己的考えに基づく。』
という文面から察するに、じゃ、お前には「(戦地に行く)覚悟があるのか」という問いかけをしたくなるのは当然の話ではないか。
そこで、武藤はこう言ってるね。
『武藤 私個人のことを申し上げれば、他国が侵略してきたら、愛する家族や故郷を守るために戦います。しかし政治家が戦争に行くことは、国家としての意思決定が出来なくなりますし、政治家は軍事技術を持っていないので、実際戦地に行くべきではないと考えますが。』
要するに、
「俺は政治家だから行け、と言われても「行けない」(行かなくて済む)。だが、SEALDsよ、お前たちは政治家じゃない。日本の存立の危機が迫っているとするならば、まずはお前たちが率先して国家に奉公すべきではないのか」
ということなんじゃないのか。
だとするならば、余計にツイッターでのつぶやきについて、「じゃ、政治家を今すぐにでも辞して、お前がまずは手本を示せ」と言いたくなるわな。
それと、政治家には軍事技術など必要ないのは当然の話。必要なのは「外交技術」だろ。すなわち、どうやって戦争させないか、ということが仕事ではないか。
武藤貴也にはそうした視点が全く抜け落ちている、と言わざるを得ない、ということが上記の記事で分かったような気がする。