公営競技はどこへ行く

元気溢れる公営競技にしていきたい、その一心で思ったことを書き綴っていきます。

10月12日の優勝戦・重賞結果

2010-10-12 20:56:53 | 各日の公営競技

・競輪

函館

S級 柴崎淳 411

A級 長島大介 321

・競艇

 久田敏之 1211341

芦屋 倉谷和信 161213411

 


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官僚に舐められている

2010-10-12 03:29:10 | 政治経済問題
再び、 「邪道開催」は来年4月からの予定 のコメントより

但し、一部だけ抜粋


施行者競技会選手会があれば競輪出来るのに、法に座古かいた天下り団体をどげんかせないかんです

施行者選手会競技会のなぁなぁは有らぬ誤解を生みます

偏らない番組判定 自動番組 厳選な判定

競輪場を残すと言う事ばかり考えれば、地元や自分の感情が入ってしまいます

日本で競輪事業を継続する大局で考えたなら

競輪事業を守るために競輪場や選手を適切数にすべきだと思いますよ

自治体単位で考えるだけではなく賞金プール制 売上比率による施行者への還付金による運営を統一団体が管理施行できなけば競輪は無くなりますね

赤字を出さない雇用なんて今の時代なかなかないんですよ

国が地方から絞り上げる 官僚天下りシステムから 地方が地方と相互扶助で雇用をつくらなければ(競輪は都市圏より地方圏が多いですから尚更です)日本の地方は廃れるでしょうね………………


この手の類の話は何度も述べた通り、政治の問題。だから政治家に何とかしてもらわねば困る。

とはいっても、今の日本の政治家といえば、官僚の言いなり。つまり、官僚の考え方を論破し、ひいては官僚を本当の意味において「公僕」として仕えさせるだけの術がない。要は、官僚「丸投げ」というのか、官僚依存体質。

自民党の議員は基本的に今でもそんな考え方。湾岸戦争とイラク戦争のときの自衛隊派遣問題を巡って、憲法解釈の「二枚舌」を使った内閣法制局を擁護しているし。共産党にしても同様。官僚の、大企業への天下りについてはボロカスに言うくせに、特殊法人への天下りについては、批判など聞いたことがない。みんなの党は公務員の給与カット、職員数削減について執心しているだけで、「官僚政治打破」のスタンスではない。公明党は「どっちつかず」。

ということは、今の野党は基本的に「官僚依存体質派」といえよう。

だとすると、民主党を中心とする現与党に頑張ってもらうしかないが、その「急先鋒」というのか、意外と現官僚にも「隠れファン」が多いと見られる、小沢一郎が今、ああいう状態となってはどうしようもなく、菅直人首相は財務大臣時代にすっかり官僚に取り込まれる始末。他の菅内閣の閣僚もまた、自民党の議員とスタンスを一にしている人が少なくないから、結局は、「政治主導」という話はどこかに吹っ飛んでしまっている。だいたい、「国家戦略局」の規模縮小を菅首相が言明した時点で、民主党も政治主導のスローガンはトーンダウンした、と見るべきなのだろう。

ま、体裁だけ繕って、天下りについては、ちょっとは監視の目を光らせよう、という姿勢は見えるが、ただそれだけのこと。

加えて、既得権益を守ろうとする「マスゴミ」が、官僚と結託して、自身の「抵抗勢力」をペンや映像の力でねじ伏せようとするから、今の政治というか日本の社会は、

「既得権益VS反既得権益」

の様相を呈しているだろ。

恐らく、国民の多くは「反既得権益」派なんだろうが、国民を誘導すべき政治家、官僚、マスコミが「既得権益」派であるがゆえに、国民の多くも彼らに「取り込まれている」。

しかしながら一方で、官僚も、ひいてはマスコミも、20世紀時代ほどの権力と威光は今はない。

「世論操作」など、マスコミの姿勢を見ていると、別に「小沢叩き」をやったところで、発行部数や視聴率が上がるわけなんかないのに、今でも小沢を「アンチヒーロー」へと祭り上げていることを考えると、要は小沢に今後もずっと「影の権力」を維持してもらいたいのであろう。但し、「小沢総理」など、権力の中枢の座に居座ってもらっては困るから、そうなった場合には徹底して叩いて引きずり下ろす。検察も然り。

しかしながら、あまりにも無茶・無理を重ねているから、どこかしらにボロが出る。村木局長逮捕・起訴でっち上げ事件なんてその典型だろうが、これは、「小沢民主党政権誕生」を快しとしない検察が、民主党にダメージを与えようとした事件であることはいうまでもなし。

政治家についても、とりわけ民主党については、官僚勢力と結託したマスコミ主導派とそうでない派の2つに分かれる。そもそも、「親小沢派」がマスコミに登場するケースなんてほとんどない。つまり、与党内でもそのスタンスは分かれる。もっとも、野党についても、ごく一部の議員に「脱官僚派」がいるのは間違いあるまい。

というように綴っていくと、官僚の「悪行」については、多くの国民がなんとかしてもらいたい、と思いつつも、結局は政治家が、官僚に手玉を取られてしまっているがゆえに、一向に先へと進まない。

だが、西松事件を発端とする検察の「特攻的な」姿勢、「世論調査」を連発するマスコミの姿勢を見ると、彼らが追い詰められていることは間違いあるまい。それはつまり、「官僚主導」のあり方が少しずつではあるが、変わってきていることの現われではないかと好意的に捉えたい。

この流れを、「多くの国民が望んでいる姿勢」へと導くのが政治家の仕事。政治家生命を維持するため、官僚に取り込まれてはどうにもならない。政治家のあるべき姿とは国民目線が第一。それが本当に分かっている政治家ばかりならば、官僚主導時代など、やがて古の時代へと葬り去ることができるのだ。
コメント (1)
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