公営競技はどこへ行く

元気溢れる公営競技にしていきたい、その一心で思ったことを書き綴っていきます。

とりあえずは陽性馬はいなくなった

2007-10-19 19:50:00 | 競馬

浦和競馬で依然として馬インフルエンザに対して陽性反応を示していた3頭が陰性に転化そうだ。これで地方競馬における陽性反応馬は一頭もいなくなった。

http://www.netkeiba.com/news/?pid=news_view&no=23742&category=B

やっとこれでこの問題も解決の方向への道筋がついたというべきか。それにしても2ヶ月かかったなぁ・・・

しかし、これから寒くなる季節に入る。1971年のときは年末に発生しただけに気を緩めるな、ということかな。


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島田信広さん逝去

2007-10-19 08:32:44 | オートレース

2002年にオートレースを引退した、島田信広さんが18日午前10時35分、食道がんのため亡くなった。享年57歳。

http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2007/10/19/01.html

脱サラ選手として1973年にオートレースデビュー。船橋オートレース場に配属。年齢的には変わらない飯塚将光が後に黄金時代を築き上げたことから、長らくSG等の舞台においては脇役に甘んじたが、1990年、39歳のときにスーパースター王座決定戦で優勝するや何と同タイトル5連覇達成。

とりわけ1992年の3連覇目のときの畑吉宏との壮絶なトップ争いは今もなお、オートレース史上に残る名勝負と謳われている。また、全日本選抜オートレースは実に6回制覇。他にも、1994年の船橋・オールスターにおいて、オートレースのSGが4冠制となってから初めてグランドスラムを達成。1996年の日本選手権優勝戦では、年間グランドスラムがかかった片平巧、さらに全勝同士対決となった小林啓二らを制し、見事完全優勝を果たした。通算優勝は141回、生涯獲得賞金は16億1381万8292円で、SG通算優勝回数14回は片平巧に次いで史上第2位である。

特に冬場が滅法強かったことから「冬将軍」の異名を取り、SG14回制覇のうち11回が冬~春にかけてのもの。全盛期は片平と互いにSGの優勝回数記録を競い合ったばかりか、他地区の記念開催であるにもかかわらず、その地区の地元選手が、「島田さんが出るならばまず俺たちは勝てない」と尻尾を巻いていたこともあった。

しかし引退間際には何かしらの疑いを持たれて出場停止処分となったり、また引退の真相についても語られなかったりと、引退時は惜しまれて、という形にはならなかった。

だが、オートレース史上に残る大選手であり、また、雨走路は滅法強く、晴雨問わずの「オールラウンダー」選手であったことから、「迷ったら島田から行け」というファンの格言まであった。

しかし57歳という年齢で逝ってしまうのは残念。ご冥福をお祈りいたします。


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