公営競技はどこへ行く

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超大物が競輪入りか?

2006-05-17 00:00:20 | 競輪

1998年、長野冬季オリンピック・ショートトラック500Mの覇者、西谷岳文選手が現役を引退。所属先のサンコーも既に退社しており、次なるステップとして、「競輪選手」となることを表明した。

読売新聞より

スピードスケート、ショートトラック長野五輪金メダリストの西谷岳文(27)が15日、現役引退と競輪への挑戦を明らかにした。

 日本競輪学校の受験資格で、24歳の年齢上限が今年度からなくなったことを知り、挑戦を決めたという。

 母校の阪南大(大阪)で記者会見した西谷は、「体の動くうちに、次のステップに挑みたい気持ちが出てきた」と話した。

 スケートからの競輪への転向組では、長野五輪ショートトラック銅メダルの植松仁、ソルトレーク五輪スピードスケート代表の武田豊樹が活躍中。3月にはトリノ五輪代表の牛山貴広が合格、千五百メートルの日本記録保持者・今井裕介も競輪選手の道を目指している。

(2006年5月15日19時21分 読売新聞)

 ちなみに98年のこのレースにおいては、現在競輪選手の植松仁が銅メダルを獲得。植松はその後、競輪学校に「特別選抜制度枠」が設けられたことから競輪への転身を表明し、86期に合格した。その後、競輪選手となる。

一方、西谷は当時まだ阪南大学2年生で、年齢もまだ19歳。アジア選手権の優勝こそあったものの、国際舞台ではこれといった実績がない選手で、全く下馬評にさえ上っていなかった。

しかし、

「浪速の弾丸男」

の異名を取り、スタートからトップに立つとそのまま押し切った。

植松が競輪入りを果たしたことで私は、

「西谷も来てくれれば・・・」

と思っていたが、まだ学生の身で五輪の金メダルを獲得したわけだから、さらに年齢を重ねて迎えるソルトレークシティ、トリノでも五輪で活躍したいと本人自身も当然思っていたし、ましてやトリノまでは競輪のことなど一切考えてもなかっただろう。

ましてやソルトレークシティでは、「実力で連覇をもぎとりたい」と語っていたし、それに見合う実力も備わっていた。

しかし連覇を期待されたソルトレークシティでは最終選考会で転倒し骨折。怪我を圧して出場するも8位入賞が精一杯。多分このソルトレークシティがショートトラックの選手としてはピークだったように思われただけに返す返すも直前の怪我が惜しまれた。

しかもその期間中確か、社会人になって所属したところがすぐに廃部か何かあって、練習環境もままならない状態を強いられたことがあった。

すぐさま、大阪に本社がある健康食品会社のサンコーに転籍し、サンコーもショートトラックに力を入れてくれたが、トリノ五輪時には西谷の実力はとうにピークを過ぎた状態となっていた。

国内では確かにまだまだ第一人者であったが、国際大会となると苦戦の連続。それでもトリノ五輪時は、不振で海外遠征メンバーから一時外されながらも、最終選考会で500Mとリレーのメンバーにだけは選ばれた。それも一番最後の切符であった。

長野のときも一番最後の切符だった。しかし優勝した。弾丸ダッシュはまだ健在だったし、ひょっとしたら五輪の大一番で復活も、と思われたが・・・

予選で15位と惨敗。リレーも準決勝で失格を取られ、西谷はトリノでは全くいいところなく敗退を喫した。

そしてついこの間、母校の阪南大学で引退記者会見を開き、その席上で、競輪転身を目指したいと表明した。

長野から8年。私がその当時、

「植松と一緒に来てくれたらなぁ。」

と思っていた西谷がひょっとすると競輪に来てくれるかもしれない。非常にうれしいし、また、五輪の金メダリストが競輪界入りしたケースはこれまでない。

しかし、世間的には、

「ショートトラックと競輪はよく似ている」

「ショートトラックは氷上競技の競輪だ。」

といわれるものの、私は全く別物だと思っている。むしろスピードスケートのほうが競輪に向いているような気がする。

確かに戦術面は競輪と似ている部分はあろう。しかし、ショートトラックの場合、トラックの周長が確か120メートルぐらいしかなく、しかも場合によっては西谷が得意としていた、スタートからの押し切りも十分可能な競技である。また、長い距離だと陸上の長距離レースのような耐久戦の様相を呈するときがある。つまり、途中で脱落する選手を待つというようなレース展開である。

そして、ショートトラックは相手の隙を突く部分が見ていて多分にある。つまり、相手の選手が気を許す一瞬の隙をついて差すといったレース展開が目立つように感じる。

対して競輪は日本の場合だとどんなに短くとも333M。海外でのレースだと今や250Mが主流だが、どちらにせよ、ショートトラックで行われるレースよりも周長の長い競技場で行われる。

そして競輪はスタートから弾丸ダッシュというわけにはいかないし、ダッシュ力というのは、勝負どころでいかに発揮するかにかかっている。

さらに相手の隙をついてというようなやり方もできにくい。

ショートトラックの関係者には申し訳ない表現となるが、競輪ははっきりいって、道中でのごまかしプレーはまず「利かない」。要は自分でレースの活路を見開いていかねばならない。

まだ、ほとんど単走状態で走りぬくことが要求されるスピードスケートのほうが向いているというのは、そうした理由からである。

競輪は確かに6~9人で戦い抜くスポーツであるが、案外1000Mとか、200MFTTダッシュといった「独走」の練習が重視され、また、そのタイムが意外と実際の競走面においても通じるところがあるわけで、とにかく自分で活路を見開き、自分で着順をもぎ取らねばならないという意識のある選手でないと、まず大成しない。

したがってこれも申し訳ない表現となるが、競輪のほうがはるかにショートトラックよりも、「難しい競技」なのである。

西谷がそれなりに覚悟を決めているんであれば、私も切望していたことだし、競輪界の発展に貢献してもらいたい気がする。

その西谷だが、希望では、自転車でも五輪を目指したいと表明している。

 

もし西谷が93期を合格すれば、卒業は確か来年10月となるから、何とかギリギリ北京には間に合う計算となる。

但しご承知の通り、自転車のトラックの場合、まずワールドカップで好成績を収めて世界選手権の出場権を得なければならない。

そして五輪出場権となるともっと厳しくて、アテネ五輪の際は、ケイリンだと世界選決勝進出者だけ、スプリントだと同4位以内しか優先出場権が与えられなかった。

となると西谷がデビューすると仮定される場合の時期は国際大会のシーズン真っ盛りなので、相当に競輪学校時代においてモチベーションを高揚しておかねばとても出場などおぼつかない。

しかし一度は五輪の頂点を極めた男。そういった実績というのを体験できたアスリートなどなかなかいないわけだから、西谷はその点においては十分アドバンテージがある。

それと西谷は大阪だったな。

大阪といえば、大昔は競輪王国といわれたものの、今や古豪、いや、古豪という人さえいない。ただの弱小地区に成り下がっているのが現状。

もし競輪界入りするんであれば、停滞続く大阪の競輪にも新風を巻き起こしてほしいね。

とにもかくにも、それなりの覚悟があるんならば、競輪界は西谷を心から待っている。ま、一番待ち焦がれているのは、「競輪サポーター」である客だ。