そもそもここに来た縁を作ったのが、朝日新聞だった。朝日の夕刊に西田幾多郎の哲学講座を知り、柄にもなく参加したのがきっかけだった。ここに来てもその新聞はあったが、郵送されていたので昼刊だった。かれこれ50年になるが、勤めや家事育児、畑仕事に追われ、今ようやくじっくり読めるようになった。ところが、地震で配達されなくなり、中日の方が下の県道まで届けれくれることになり、そこまでの約2キロを取りに行っている。

若者の多くの情報はスマホから、新聞を読む人は減少している。でも私は紙を手で広げて読むのが性に合っている。単なるニュースだけでなく思わぬ記事に出会えたり、専門家の意見、考え、知識も得られ、また読者の声も聞ける。人によっては偏っているとも言われるが、それは誰にも当て嵌まることだと思う。この頃の情報過多の中、何を選ぶか、信じるかは各自に委ねられている。

ネットはピンポイントで、新聞はもう少し視野が広がると思っている。そう、あのスマホを手に見入る姿勢より、新聞を大きく広げたほうが、人間が大きく見えやしないだろうか、なんて勝手に思っている。最近の御混迷を極める昨今、情報でなく、人が信じられるか、そこが大事だろう。ただ、この頃広告の紙面が目立つようになった。やはりどこも厳しいのだろうか。これから、ほほえましい記事、穏やかな記事、そして考えさせてくれる記事が載ることを期待して。


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