片付けも終わりが見えてきた。
藍小屋を片付け、後は物置をすれば大体終わる。今年の春の片付けは畳替えがあって大掃除になってしまった。
春の畑仕事の種蒔きも始まり動きっぱなしの日々も,今日は久し振りに炬燵に座っている。
片付けの楽しいのは,思いがけない見付け物があること。
大事だからといつもと違うところにしまって忘れていた物がひょいっと出てくる。
何か得をした気分になる。
畳替えで思い切った決断もできた。
数年使わなかった物、普段の生活になくても支障がないも捨てることができた。
ビフォアー
アフター
この片付けでこの私が良くも悪くもよーく見えた。
もったいないが高じて捨てられない症候群になっていたこと。
消費より生産型症候群に陥り食べきれない野菜や山菜の保存が溜まってきてしまった。
また布類のリメイク病に患っていたこと。
時間のことがすっかり抜け落ちていたことに気付いた。
何でも感でもという私の時期は過ぎたのだと自覚せざるをえない。
そこに在った物がなくなって,できたのは何もないと言う空間、その空間が広がってそこにきれいな空気が流れてきた。
すると,ゆったりとゆっくりと深呼吸している自分がいる。
また,何か新しく始まる、わくわくしている私がいる。
甲府から持ってきた椅子の底が抜け落ち,住職と長男で直して蘇った椅子。