例年は4月の第二日曜に寄居北條まつりが開催され、剣道大会はその前日の土曜日に開催していましたが、昨年は東日本大震災の影響で開催時期が延期となり、秋の10月に開催されました。今年はどういうわけかわかりませんが、例年より1カ月遅れの5月13日(日)に北條まつりが開催されることとなり、本会主催の剣道大会もその前日の5月12日(土)に開催いたしました。
かつては個人戦の高点試合(勝ち抜き戦)で、各年代・性別ごとに部門を分けて実施しておりましたが、出場者数が少なくなってきて、年代によっては勝ち抜き戦にならないような部門も出てきたことから、試合方法が見直され、平成20年からは出場者全員を年代・性別が均等になるように2つに分け、団体戦で実施することとなりました。小学生から中学生、高校生、一般と、各年代を混成して一つのチームとして、試合方式は高点試合(勝ち抜き戦)です。勝てば次の相手と対戦し、勝ち抜いていけば小学生が中学生と対戦することもあり、また、男子と女子の対戦でもハンデはありません。チームの名称は一方を「北條軍」、もう一方を「豊臣軍」とし、まさに戦国時代のお祭りにふさわしい試合方式となっています。
この大会では特に「高点試合」にこだわっています。高点試合とはいわゆる勝ち抜き方式の対戦のことで、私が子どもの頃(今から40年くらい前?)は、どこヘ行ってもこの方式で試合がおこなわれていました。今では、どこヘ行ってもトーナメント方式が一般的ですが、トーナメント方式の場合は予め出場選手の名前を提出しておき、主催者側で組合せをおこなっておく必要がありますが、高点試合の場合は、当日集まってきた選手を一列に並べて順番に試合をやらせればいいわけで、事前の準備の手間がかからないというのが利点でした。しかし、反面で当日の順番を決めるのに手間取ったり、あるいは試合に強い選手が勝ち抜いてしまい弱い選手には勝ち上がるチャンスが少なくなるなどの問題点があり、近年では高点試合をやる大会は皆無となっています。また、「高点試合」という言葉自体が忘れ去られようとしているのではないかとも感じています。
寄居北條まつりは、かつては「鉢形城まつり」と称していました。寄居町にある国指定の史跡「鉢形城」を中心とした戦国時代の往時を偲ぶお祭りです。今や歴史となりつつある「高点試合」も、ある意味では一種の文化財であり、これを保護保存していきたいという願いを込めて、あえてこの試合方式を採用している大会でもあります。一人倒しても、すぐに次の相手と対戦しなければならない。もう一人勝ってもさらに次の相手が襲いかかってくる。まさに戦国時代のお祭りの大会にふさわしい試合方式と考えております。
さて、前置きが長くなりましたが、今年の大会は出場申込者数が99名と過去最多となりました。過去の出場人数を振り返ってみると、この試合方式が始まった平成20年(第47回)が70名、21年(48回)が74名、22年(49回)がちょっと多くて83名、昨年の23年(50回)は諸事情もあり54名と、これまでは90名以内に納まってきていました。試合時間は2分としていますから、単純に計算して90名で180分、約3時間となります。
全日本東西対抗戦のように全国から選りすぐられた選手の対戦なら一日かかっても、その見応えに飽きることはありませんが、地方の小中学生の試合であまり長時間はいただけません。実はこの2チームによる団体戦方式を採用しようとしたとき、出場者数の限度は90名あたりを想定していました。それが今回99名、出場者数が多いことはありがたいことですが、大会運営をどうするかで頭を悩ませました。先鋒の試合から大将戦まで、あまり長引くと締まりがなくなってくるおそれがあります。実際過去の試合を見ていても、人数の多い中学生あたりの試合で中だるみが感じられることがしばしばありました。そんな試合を見ていて感じたのは、試合時間が2分でも3分でも、決まらない試合はいつまで経っても決まらないということが多いということです。
そこで「ダラダラやるより、キビキビやる!」と、思い切って試合時間を1分30秒とすることにしました。小中学生ならまだしも、高校生以上ではちょっと短いのではないかとの意見もありましたが、八段審査でも2分、六・七段にあっては2分にも満たない時間の中で力を発揮しなければなりません。また、毎年5月に京都で開催されている全日本演武大会では、錬士以上の剣士の試合がやはり1分半にも満たない試合時間の中で勝負が競われています。ヘタに時間を費やすよりは、かえって試合内容が充実するのではないかとの期待も込めての試合時間の短縮に踏み切りました。
さて、大会当日、数名の欠席者が出て、実際に出場したのは94名でした。各軍46名対48名の壮大な団体試合です。出場選手の年代・性別の区分ごとの構成は、小学生が6名、中学生女子が41名、中学生男子が32名、高校生女子が3名、高校生男子が5名、一般男子が7名という内訳です。今年は、これまで出場者が少なかった高校生部門に寄居城北高校から出場をいただき、各年代がそろってのバランスのよい構成となりました。
試合結果は次のとおりです。

序盤戦では小学5年生の宮下(成心館)が善戦、中学生も敗る3人抜きで北條軍が先行します。しかし、豊臣軍の富永(成心館)が先輩の意地を見せ、宮下を止めると、さらに勝星を重ね、6人抜きの快進撃で豊臣軍が逆転します。
富永の試合は気合いも充実して立派な戦いぶりでしたが、やや雑さが感じられる技の決め方に、高校生が「ちゃんと残心をとるように」と、そっとアドバイスしている姿が印象的でした。この大会の試合方式を現在のようにしたのは、こうした世代間の交流を図るという狙いもあります。小学生の試合を中学生が応援し、高校生の試合を小・中学生が見て学ぶ。そんな成果の一端を垣間見たような気がしました。
その後、北條軍の津久井(寄居中)が5人抜きで巻き返すと、豊臣軍は久保(男衾中)が3人抜きで再び追いつき、中学生の対戦は一進一退の攻防が続きます。中盤から終盤にさしかかったところで流れを変えたのが北條軍の西川(寄居中)でした。過去の実績を買われ、後衛に布陣された西川でしたが、先輩相手に今大会も大健闘。そのあとの新井(寄居中)の活躍もあって北條軍が大きくリードを奪いました。
やや万事休すの豊臣軍でしたが、高校生の登場で試合場の空気の流れが変わります。豊臣軍は、間部と富永で流れを五分に取り戻すと、北條軍からは岩田、豊臣軍から小林の対戦は、本大会の雌雄を決する好勝負となりました。試合開始前、蹲踞の姿勢からまだ審判の開始の号令がかかる前に、岩田が一歩踏み出す場面があり、同門ながらも勝負に臨む緊迫感が伝わってきました。試合が始まると、両者の激しい打ち合いに会場内の目が注がれ、どちらが勝ってもおかしくないようなきわどい技の応酬が続きましたが、ともに決め手を欠き、このまま時間切れの引き分けかと思われた試合終了間際、一瞬の間をついて小林がドウを決め、死闘を制しました。
激戦をものにした小林はさらに勢いに乗り、続く一般の選手を撃破し突き進みます。このまま大将首まで穫るのではないかという勢いでしたが、ここで立ちはだかったのが北條軍副将の杉山(男衾中教員)でした。どっしりと構えた正統派の剣風は若武者の猛攻を耐え忍びながら、たびたび場内を沸かせる攻防を繰り広げました。結局、時間内に決着がつかず引き分けに終わりましたが、みごとな試合内容に魅了されました。
豊臣軍は小林の活躍でリードを奪い、3人残しで北條軍の大将を迎えます。北條軍大将の荒木(寄居剣連)は60代、一人目の50代の選手は退けたものの、続く豊臣軍副将の宮下(成心館)は40代、昇段審査を控えて稽古も積んでおり、苦戦を強いられます。ともにきわどい技は出るものの一本には至らず、延長戦へもつれ込む厳しい勝負となりました。長期戦となり、両者の息づかいが聞こえてくる展開の中で、一瞬の隙をついて宮下のメンが伸びました。この一本で豊臣軍は大将の出番を待たずに勝利を決めました。
チームの勝敗は以上で決定となり、今大会では豊臣軍が勝利を収めましたが、まだ豊臣軍の大将が試合をしていません。こういう場合は、最後に勝ち残った選手が、自軍のチームの残った選手に向かって試合を進めていくことになります。今大会では残ったのは大将だけですので、最後に勝ち残った宮下と豊臣軍大将の清水(成心館)の対戦となります。味方同士の対戦ですので、これを「下剋上戦」と呼んでいます。実質的には何のことはない消化試合なのですが、一応戦国時代のお祭りらしく演出しております。チームの勝敗は決しておりますので、精神的にはいくぶん気が楽ですが、やはり子どもたちに見られているという状況から、勝敗とはまた違った点での緊張感があります。
この大会では、有望な選手でも初戦敗退という残念な結果がたびたび見受けられます。前述の岩田選手(寄居城北高)や杉山選手(男衾中教員)などもそうですが、その他にも実力がありながらも勝星に恵まれなかった選手が、この対戦結果表の影に隠されています。まさに戦国時代、数多の武将たちがその名を残すことなく戦場の露と消えていったことでしょう。そんな戦乱の世を彷彿させるこのたびの大会でした。
閉会式の講評で、前会長の柴崎先生が、短い試合時間の中で、ほとんどの試合が勝敗を決せられたことを評価していました。引き分けに終わった試合でも、決して守りに入るのではなく、積極的に攻め合う中での引き分けで、試合内容は充実していました。この大会の意義と成果を再確認できた今大会でした。今後のますますの発展を願っています。

また、翌日には剣道具を鎧兜に付け替えて、寄居北條まつりの武者隊に参陣しました。こちらでも例年の中学生たちに加えて、寄居城北高校の生徒たちも参加してくれて、総勢30名近い人数で部隊を構成することができました。攻防戦では照れてしまったのか、ちょっと迫力に欠けましたが、何ごとも経験です。ぜひとも毎年ご参陣いただけますよう、関係各位のご参加ご協力をお待ちしております。
いずれにしても、剣道大会と武者隊ご参陣、大変お世話になりました。
「皆の者!大義であった!」
かつては個人戦の高点試合(勝ち抜き戦)で、各年代・性別ごとに部門を分けて実施しておりましたが、出場者数が少なくなってきて、年代によっては勝ち抜き戦にならないような部門も出てきたことから、試合方法が見直され、平成20年からは出場者全員を年代・性別が均等になるように2つに分け、団体戦で実施することとなりました。小学生から中学生、高校生、一般と、各年代を混成して一つのチームとして、試合方式は高点試合(勝ち抜き戦)です。勝てば次の相手と対戦し、勝ち抜いていけば小学生が中学生と対戦することもあり、また、男子と女子の対戦でもハンデはありません。チームの名称は一方を「北條軍」、もう一方を「豊臣軍」とし、まさに戦国時代のお祭りにふさわしい試合方式となっています。
この大会では特に「高点試合」にこだわっています。高点試合とはいわゆる勝ち抜き方式の対戦のことで、私が子どもの頃(今から40年くらい前?)は、どこヘ行ってもこの方式で試合がおこなわれていました。今では、どこヘ行ってもトーナメント方式が一般的ですが、トーナメント方式の場合は予め出場選手の名前を提出しておき、主催者側で組合せをおこなっておく必要がありますが、高点試合の場合は、当日集まってきた選手を一列に並べて順番に試合をやらせればいいわけで、事前の準備の手間がかからないというのが利点でした。しかし、反面で当日の順番を決めるのに手間取ったり、あるいは試合に強い選手が勝ち抜いてしまい弱い選手には勝ち上がるチャンスが少なくなるなどの問題点があり、近年では高点試合をやる大会は皆無となっています。また、「高点試合」という言葉自体が忘れ去られようとしているのではないかとも感じています。
寄居北條まつりは、かつては「鉢形城まつり」と称していました。寄居町にある国指定の史跡「鉢形城」を中心とした戦国時代の往時を偲ぶお祭りです。今や歴史となりつつある「高点試合」も、ある意味では一種の文化財であり、これを保護保存していきたいという願いを込めて、あえてこの試合方式を採用している大会でもあります。一人倒しても、すぐに次の相手と対戦しなければならない。もう一人勝ってもさらに次の相手が襲いかかってくる。まさに戦国時代のお祭りの大会にふさわしい試合方式と考えております。
さて、前置きが長くなりましたが、今年の大会は出場申込者数が99名と過去最多となりました。過去の出場人数を振り返ってみると、この試合方式が始まった平成20年(第47回)が70名、21年(48回)が74名、22年(49回)がちょっと多くて83名、昨年の23年(50回)は諸事情もあり54名と、これまでは90名以内に納まってきていました。試合時間は2分としていますから、単純に計算して90名で180分、約3時間となります。
全日本東西対抗戦のように全国から選りすぐられた選手の対戦なら一日かかっても、その見応えに飽きることはありませんが、地方の小中学生の試合であまり長時間はいただけません。実はこの2チームによる団体戦方式を採用しようとしたとき、出場者数の限度は90名あたりを想定していました。それが今回99名、出場者数が多いことはありがたいことですが、大会運営をどうするかで頭を悩ませました。先鋒の試合から大将戦まで、あまり長引くと締まりがなくなってくるおそれがあります。実際過去の試合を見ていても、人数の多い中学生あたりの試合で中だるみが感じられることがしばしばありました。そんな試合を見ていて感じたのは、試合時間が2分でも3分でも、決まらない試合はいつまで経っても決まらないということが多いということです。
そこで「ダラダラやるより、キビキビやる!」と、思い切って試合時間を1分30秒とすることにしました。小中学生ならまだしも、高校生以上ではちょっと短いのではないかとの意見もありましたが、八段審査でも2分、六・七段にあっては2分にも満たない時間の中で力を発揮しなければなりません。また、毎年5月に京都で開催されている全日本演武大会では、錬士以上の剣士の試合がやはり1分半にも満たない試合時間の中で勝負が競われています。ヘタに時間を費やすよりは、かえって試合内容が充実するのではないかとの期待も込めての試合時間の短縮に踏み切りました。
さて、大会当日、数名の欠席者が出て、実際に出場したのは94名でした。各軍46名対48名の壮大な団体試合です。出場選手の年代・性別の区分ごとの構成は、小学生が6名、中学生女子が41名、中学生男子が32名、高校生女子が3名、高校生男子が5名、一般男子が7名という内訳です。今年は、これまで出場者が少なかった高校生部門に寄居城北高校から出場をいただき、各年代がそろってのバランスのよい構成となりました。
試合結果は次のとおりです。

序盤戦では小学5年生の宮下(成心館)が善戦、中学生も敗る3人抜きで北條軍が先行します。しかし、豊臣軍の富永(成心館)が先輩の意地を見せ、宮下を止めると、さらに勝星を重ね、6人抜きの快進撃で豊臣軍が逆転します。
富永の試合は気合いも充実して立派な戦いぶりでしたが、やや雑さが感じられる技の決め方に、高校生が「ちゃんと残心をとるように」と、そっとアドバイスしている姿が印象的でした。この大会の試合方式を現在のようにしたのは、こうした世代間の交流を図るという狙いもあります。小学生の試合を中学生が応援し、高校生の試合を小・中学生が見て学ぶ。そんな成果の一端を垣間見たような気がしました。
その後、北條軍の津久井(寄居中)が5人抜きで巻き返すと、豊臣軍は久保(男衾中)が3人抜きで再び追いつき、中学生の対戦は一進一退の攻防が続きます。中盤から終盤にさしかかったところで流れを変えたのが北條軍の西川(寄居中)でした。過去の実績を買われ、後衛に布陣された西川でしたが、先輩相手に今大会も大健闘。そのあとの新井(寄居中)の活躍もあって北條軍が大きくリードを奪いました。
やや万事休すの豊臣軍でしたが、高校生の登場で試合場の空気の流れが変わります。豊臣軍は、間部と富永で流れを五分に取り戻すと、北條軍からは岩田、豊臣軍から小林の対戦は、本大会の雌雄を決する好勝負となりました。試合開始前、蹲踞の姿勢からまだ審判の開始の号令がかかる前に、岩田が一歩踏み出す場面があり、同門ながらも勝負に臨む緊迫感が伝わってきました。試合が始まると、両者の激しい打ち合いに会場内の目が注がれ、どちらが勝ってもおかしくないようなきわどい技の応酬が続きましたが、ともに決め手を欠き、このまま時間切れの引き分けかと思われた試合終了間際、一瞬の間をついて小林がドウを決め、死闘を制しました。
激戦をものにした小林はさらに勢いに乗り、続く一般の選手を撃破し突き進みます。このまま大将首まで穫るのではないかという勢いでしたが、ここで立ちはだかったのが北條軍副将の杉山(男衾中教員)でした。どっしりと構えた正統派の剣風は若武者の猛攻を耐え忍びながら、たびたび場内を沸かせる攻防を繰り広げました。結局、時間内に決着がつかず引き分けに終わりましたが、みごとな試合内容に魅了されました。
豊臣軍は小林の活躍でリードを奪い、3人残しで北條軍の大将を迎えます。北條軍大将の荒木(寄居剣連)は60代、一人目の50代の選手は退けたものの、続く豊臣軍副将の宮下(成心館)は40代、昇段審査を控えて稽古も積んでおり、苦戦を強いられます。ともにきわどい技は出るものの一本には至らず、延長戦へもつれ込む厳しい勝負となりました。長期戦となり、両者の息づかいが聞こえてくる展開の中で、一瞬の隙をついて宮下のメンが伸びました。この一本で豊臣軍は大将の出番を待たずに勝利を決めました。
チームの勝敗は以上で決定となり、今大会では豊臣軍が勝利を収めましたが、まだ豊臣軍の大将が試合をしていません。こういう場合は、最後に勝ち残った選手が、自軍のチームの残った選手に向かって試合を進めていくことになります。今大会では残ったのは大将だけですので、最後に勝ち残った宮下と豊臣軍大将の清水(成心館)の対戦となります。味方同士の対戦ですので、これを「下剋上戦」と呼んでいます。実質的には何のことはない消化試合なのですが、一応戦国時代のお祭りらしく演出しております。チームの勝敗は決しておりますので、精神的にはいくぶん気が楽ですが、やはり子どもたちに見られているという状況から、勝敗とはまた違った点での緊張感があります。
この大会では、有望な選手でも初戦敗退という残念な結果がたびたび見受けられます。前述の岩田選手(寄居城北高)や杉山選手(男衾中教員)などもそうですが、その他にも実力がありながらも勝星に恵まれなかった選手が、この対戦結果表の影に隠されています。まさに戦国時代、数多の武将たちがその名を残すことなく戦場の露と消えていったことでしょう。そんな戦乱の世を彷彿させるこのたびの大会でした。
閉会式の講評で、前会長の柴崎先生が、短い試合時間の中で、ほとんどの試合が勝敗を決せられたことを評価していました。引き分けに終わった試合でも、決して守りに入るのではなく、積極的に攻め合う中での引き分けで、試合内容は充実していました。この大会の意義と成果を再確認できた今大会でした。今後のますますの発展を願っています。

また、翌日には剣道具を鎧兜に付け替えて、寄居北條まつりの武者隊に参陣しました。こちらでも例年の中学生たちに加えて、寄居城北高校の生徒たちも参加してくれて、総勢30名近い人数で部隊を構成することができました。攻防戦では照れてしまったのか、ちょっと迫力に欠けましたが、何ごとも経験です。ぜひとも毎年ご参陣いただけますよう、関係各位のご参加ご協力をお待ちしております。
いずれにしても、剣道大会と武者隊ご参陣、大変お世話になりました。
「皆の者!大義であった!」
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます