今回の投稿までだいぶ時間が経ってしまいましたが・・
今回は、フルートに限らない、どの楽器にも共通で大切な、
「音楽の流れ」に関するお話をしたいと思います。
時々、バッハやモーツァルトは歌い方がよくわからず
敷居が高くて・・という言葉を耳にします。
例えば、私が以前オーストリアで受講した、
フルーティストのヤーノシュ・バーリントの講習会。
各オーケストラのフルートの入団試験に必ずといっていいほど、
モーツァルトのコンチェルトが課題に入っています。
この講習会でも、実に多くのプロを目指すフルーティストが、
このモーツァルトを受講曲に持ってきました。
しかし・・皆自分の曲練習ばかりに必死で、他の受講生の
レッスンをあまり聴講しなかった。
そして、ヤーノシュさんは気の毒なことに、一日に
何度も何度も同じモーツァルトを教える羽目になる・・
ついに激怒!
「モーツァルトというものはな!実に単純明快な美しい和声で
つくられているんだ。この和声の流れさえ会得してしまえば、
モーツァルトのどの曲も、特別に難しいわけではないのだ!
このコンチェルトだって、誰かのレッスンを一度ちゃんと聴いて、
スコアの和声とにらめっこすればそれでOKなんだぞ!
自分が吹くことばかり考えず、人の演奏も聴いて勉強しろ!!」
◆◇◆◇
さて、この「和声の流れ」ですが、
基本の基本に「カデンツァ」というものがあります。
Ⅰ(T トニカ)-Ⅳ(S サブドミナント)-Ⅴ(D ドミナント)-Ⅰ(T トニカ)
これでは何のことやら、ですが・・下の図を参照してください。
(そして音楽には、ハ長調、ト長調、イ短調・・など、全部で
24調ありますが、どの調でも、初めの音をド(Ⅰ)とし、そして
レ(Ⅱ)・ミ(Ⅲ)・ファ(Ⅳ)・・と続きます。(←移動ド)
下記参照
さてこの、Ⅰ(T)-Ⅳ(S)-Ⅴ(D)-Ⅰ(T) ですが、
音楽のひとつひとつのフレーズは、大体において、
T トニカの和音(主和音)で始まり、T トニカで終わります。
トニカとは、まるで「落ち着く家」のよう。
そしてその、トニカ で始まり トニカ で終わる1フレーズの中で、
音楽を発展させていくⅣ(サブドミナント)やⅤ(ドミナント)の和声には、
(この他にも色々と和声のバリエーションはありますが)
音楽を前に進ませる緊張感やふとした緩和など、様々な性格をもっています。
まるで、
家(トニカ)から外出し、
仕事行ったり買い物行ったり・・という外出のような動きがサブドミナント、ドミナント、
そして最後には再び、いかなるルートを曲中たどっても、家(トニカ)に戻り、
動きが落ち着く・・。
人に、自然な流れとして聞こえ、響いていく音楽とは、
この緊張と緩和の緩やかで絶え間ない流れの連続なのです。
そして演奏者は、それをどこまで頭で理解し、心で感じて、
表に出していけるか ―
最低限、まずはこのT-S-D-Tのカデンツァを楽譜から探し出し、
つかむことから始めるだけでも、
― 例えば
文章を常に声を張り上げ棒読みする様なことから免れ ―
曲に、きちんとしたセンテンスが浮き出てくるでしょうし、
さらに、先ほど述べたドミナントやサブドミナントの和声に、
緊張や緩和などを具体的に<(クレッシェンド)や>(ディミヌエンド)などで
凹凸(抑揚)をつけていくことで、音楽はさらに躍動感・息吹を増します。
「もっとフレーズがひとつに聞こえるように」
よく演奏の評価として聞く言葉です。
感想としてこう述べるのは楽ですが、指導という面においては、
勉強する身に教えるべき本当に大切なのは、
そこから具体的にどうすべきか―という、その先です。
認識外で、フレーズが一つに聞こえず吹いている訳ですから、
そういう場合はきちんと具体例を提示し教えるのが、
指導側として責任ある、やるべき仕事だと思います。
私自身もずっと、その一つに聞こえないフレーズの何故に悩み、
モヤモヤしつつ・・飛んだドイツで、
フルートに限らない様々な楽器の素晴らしい先生方が、その
和声の極意とともに初めて旋律の歌い方を具体的な例を用いて
示してくださったおかげで、今の自分の音楽が在ります。
示していただいた後、それを自力で練習に取り入れることは
慣れないことで決して容易ではないことでしたが・・
それでも徹底的に、明確な美しい和声が潜んでいるバロック~
古典~ロマンのレパートリーを集中的に勉強しなおし、
試行錯誤でも数をこなしていくうちに、その和声の「色」を体が
自ずと感じて、自然と反応してくるようになったと思います。
面倒くさいようですが、取り組まないことには、そのままです。
こう、和声を心と体で感じることこそが、音楽を一辺倒にしない
最大の武器ではないかと思います。
作曲家シューマンが音楽をチェスになぞらえこう述べました。
「音楽において、メロディーはクィーン、そして和声はキングだ」
クィーンはどこにでも自在に動けますが、結局チェスゲームは
キングをとられたらおしまいであるくらい、キングが勝負を担う。
シューマンが述べたように、この和声こそがまさに、
万人に通用する自然の摂理をもつ「音楽」の統括役、
音楽をもっとも美しく自然な流れにきかせ、かつ人の心に響く、
極意なのであると私は確信しています。
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今回は、フルートに限らない、どの楽器にも共通で大切な、
「音楽の流れ」に関するお話をしたいと思います。
時々、バッハやモーツァルトは歌い方がよくわからず
敷居が高くて・・という言葉を耳にします。
例えば、私が以前オーストリアで受講した、
フルーティストのヤーノシュ・バーリントの講習会。
各オーケストラのフルートの入団試験に必ずといっていいほど、
モーツァルトのコンチェルトが課題に入っています。
この講習会でも、実に多くのプロを目指すフルーティストが、
このモーツァルトを受講曲に持ってきました。
しかし・・皆自分の曲練習ばかりに必死で、他の受講生の
レッスンをあまり聴講しなかった。
そして、ヤーノシュさんは気の毒なことに、一日に
何度も何度も同じモーツァルトを教える羽目になる・・
ついに激怒!
「モーツァルトというものはな!実に単純明快な美しい和声で
つくられているんだ。この和声の流れさえ会得してしまえば、
モーツァルトのどの曲も、特別に難しいわけではないのだ!
このコンチェルトだって、誰かのレッスンを一度ちゃんと聴いて、
スコアの和声とにらめっこすればそれでOKなんだぞ!
自分が吹くことばかり考えず、人の演奏も聴いて勉強しろ!!」
◆◇◆◇
さて、この「和声の流れ」ですが、
基本の基本に「カデンツァ」というものがあります。
Ⅰ(T トニカ)-Ⅳ(S サブドミナント)-Ⅴ(D ドミナント)-Ⅰ(T トニカ)
これでは何のことやら、ですが・・下の図を参照してください。
(そして音楽には、ハ長調、ト長調、イ短調・・など、全部で
24調ありますが、どの調でも、初めの音をド(Ⅰ)とし、そして
レ(Ⅱ)・ミ(Ⅲ)・ファ(Ⅳ)・・と続きます。(←移動ド)
下記参照
さてこの、Ⅰ(T)-Ⅳ(S)-Ⅴ(D)-Ⅰ(T) ですが、
音楽のひとつひとつのフレーズは、大体において、
T トニカの和音(主和音)で始まり、T トニカで終わります。
トニカとは、まるで「落ち着く家」のよう。
そしてその、トニカ で始まり トニカ で終わる1フレーズの中で、
音楽を発展させていくⅣ(サブドミナント)やⅤ(ドミナント)の和声には、
(この他にも色々と和声のバリエーションはありますが)
音楽を前に進ませる緊張感やふとした緩和など、様々な性格をもっています。
まるで、
家(トニカ)から外出し、
仕事行ったり買い物行ったり・・という外出のような動きがサブドミナント、ドミナント、
そして最後には再び、いかなるルートを曲中たどっても、家(トニカ)に戻り、
動きが落ち着く・・。
人に、自然な流れとして聞こえ、響いていく音楽とは、
この緊張と緩和の緩やかで絶え間ない流れの連続なのです。
そして演奏者は、それをどこまで頭で理解し、心で感じて、
表に出していけるか ―
最低限、まずはこのT-S-D-Tのカデンツァを楽譜から探し出し、
つかむことから始めるだけでも、
― 例えば
文章を常に声を張り上げ棒読みする様なことから免れ ―
曲に、きちんとしたセンテンスが浮き出てくるでしょうし、
さらに、先ほど述べたドミナントやサブドミナントの和声に、
緊張や緩和などを具体的に<(クレッシェンド)や>(ディミヌエンド)などで
凹凸(抑揚)をつけていくことで、音楽はさらに躍動感・息吹を増します。
「もっとフレーズがひとつに聞こえるように」
よく演奏の評価として聞く言葉です。
感想としてこう述べるのは楽ですが、指導という面においては、
勉強する身に教えるべき本当に大切なのは、
そこから具体的にどうすべきか―という、その先です。
認識外で、フレーズが一つに聞こえず吹いている訳ですから、
そういう場合はきちんと具体例を提示し教えるのが、
指導側として責任ある、やるべき仕事だと思います。
私自身もずっと、その一つに聞こえないフレーズの何故に悩み、
モヤモヤしつつ・・飛んだドイツで、
フルートに限らない様々な楽器の素晴らしい先生方が、その
和声の極意とともに初めて旋律の歌い方を具体的な例を用いて
示してくださったおかげで、今の自分の音楽が在ります。
示していただいた後、それを自力で練習に取り入れることは
慣れないことで決して容易ではないことでしたが・・
それでも徹底的に、明確な美しい和声が潜んでいるバロック~
古典~ロマンのレパートリーを集中的に勉強しなおし、
試行錯誤でも数をこなしていくうちに、その和声の「色」を体が
自ずと感じて、自然と反応してくるようになったと思います。
面倒くさいようですが、取り組まないことには、そのままです。
こう、和声を心と体で感じることこそが、音楽を一辺倒にしない
最大の武器ではないかと思います。
作曲家シューマンが音楽をチェスになぞらえこう述べました。
「音楽において、メロディーはクィーン、そして和声はキングだ」
クィーンはどこにでも自在に動けますが、結局チェスゲームは
キングをとられたらおしまいであるくらい、キングが勝負を担う。
シューマンが述べたように、この和声こそがまさに、
万人に通用する自然の摂理をもつ「音楽」の統括役、
音楽をもっとも美しく自然な流れにきかせ、かつ人の心に響く、
極意なのであると私は確信しています。
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